よあけまえ

 あどけない夢を見ていた。もうほとんど忘れかけているけれど、私自身にとってすごく幸せなものらしかったことだけは覚えている。一月の、とことん冷え込む静けさで、いつもよりずっと早く起きてしまったせいもあり、絶対に起き上がりたくない気分だった。私は乱れた掛け布団と毛布を、上の方を手で押さえつつ、足を使って上手に整えていき、このうすのろぼんやりした、夜とも朝とも片づきそうにない時間帯を乗りこえることに決める。ほんのりあたたかみの残る布団を口までかぶって、じっと目をつぶる。
 こうしてじっとしていると、すぐにもあの夢は消えてしまいそうだった。脳が徐々に死に絶えていくのがわかる。そうして意識はなくなっていき、再び眠りへと誘われるだろう。で、あの幸せな夢は、気づいたときにはもう手遅れになってしまうのだ……なんてことを思うと、ぎりぎりのところで眠れない。かといって、起き上がるのも面倒だった。結局、私のしたことといえば、「ううぅぅ」という獣みたいな声をどこへともなく届けさせる作業だった。
 すると、それを聞いた枕元の人形が、私の耳元をぱしぱし叩いてきた。回復体位で寝るのが好きな私は、うっとうしかったので、顔だけ天井に向けて「やめて」と言った。けれどもそれは、外国で人気の熊の人形なのだけれど、熊はもうしばらくこちらの顔を、まるでぐずついた子どもが、これ以上お母さんに歯向かっても無駄だというのに、どうしてもお母さんを叩く手を止められないみたいにして、叩いてきたのだけれど、途中、当たりどころが悪くて、急にお母さんが真面目に痛そうな声を上げたものだから、それでふっと自分の行ないを反省し、でも素直に謝るわけにもいかず、あげくもやもやした気持ちのまま、ものすごい顔でぐずつくのを中止する小さな男の子みたいに、熊も私を叩くのを止めて、また元の素直な人形に戻った。きつく言い過ぎたかもしれない。何しろ寝ぼけていたから、今でさえもうどんな叱り方だったかはっきりしないけれど、いつもの私の数倍増しでどぎつい𠮟り方だったのかも。あとで謝らなければとは思うが、これもまたいつまで憶えていられるかわかったものじゃない。でも今謝ろうとは、不思議なことにまったく思わなかった。薄暗かったからよく見えなかった、でも、また回復体位に戻ろうというとき、ちらっと人形の顔をのぞいてみたら、その目は人形のくせにうるうるしていた。
 そんなことばかり考えていると、ますます頭が冴えてきてしまう。そうなるともう私は、一週間前から始まった中学校のことで精神を煩わせないわけにはいかない。とくにいやな思い出なんてないのだし、むしろ無難なスクールライフを送れていると私自身自負できるほどなのだけれど、でもなぜか、学校というものを真剣に思念してみると、それに対して少なからず億劫さを感じてしまう。そのくせ、登校したらしたで、そんな気だるさはどこへやら、それなりに楽しめてしまえるのがなんとも不思議だった。呪いをかけられているのかもしれない。

 たとえばトイレに行こうとしていたとき、漏れそうだったのだけれど、そのとき教室から一番近いトイレが、そんなときに限って超満員で、他にいくらでもあったのだけれど、もしかすると他のトイレも超満員なのかもしれないという推測によって私の足はストップし、であればここでずっと並んでいた方がまだ得だろうという、もう半年くらい前にもなるだろうか、そんな馬鹿らしいことを思い出してみたり、ちょっとしたつながりから、クラスでもカッコいいともてはやされている男子と一緒になったことがあって、それから間もなく、クラスで「女傑」とまことしやかにささやかれている女の子が私の机までやってきて、佐々木さんも、脩平くんを? と遠慮なく言ってきたときの、あの妙な感動、これまでほとんど縁のなかった人と話せたことの嬉しさ、でもそれは私からじゃなく向こうから話しかけてきたわけだから、あちらが私におもねった、ということで、だからそこにはちょっとした優越感もあり、とにかく気持ちの良かったこと、それ以来彼女やそのグループと「仲良し」になって、彼女たちのLINEメンバーにもなったのだけれど、そして今はもう全然やりとりをしていないのだけれど、だから未読がますます増えていくのがうっとうしくてならないのだけれど、なら見ちゃえばいいじゃないかという話なのだけれど、もしも私に関してよくない噂を、私自身メンバーであるにもかかわらず堂々とやりとりしていたのだとしたら、そして彼女たちの目的がまさに、私にそのやりとりを見せつけることだとしたら、なおさら見るわけにはいかなくて、でもメンバーから脱退するタイミングも見つからないから、そのうち何を言われるかわかったものじゃなく、とりあえず三年生に上がって、クラスが別になった際に、誰にもばれないよう夜中のうちに済ませておくか、ああでも二年から三年に上がるときはクラス編成がないから、その作戦は駄目で、それなら偶然のきっかけから、また彼女たちと教室で話すようになって、LINEに来ていなかったことも打ち明けて、実は私に関する噂なんてやりとりしていなかったのだということを本人たちから確認したうえで、もう一度メンバーの一員として過ごせたらなあというのが私の望みなのだけれど、もとをたどれば原因は、脩平くんと私が二人きりで話したせいであり、こっちは全然そんな気はないのに、余計なことを訊いてきた彼女たちのせいでもあり、私は全然悪くない、とはいいつつ、彼と話したときの感じは全然悪いものじゃなかったから、いよいよ私も、男を知る年齢になったのかしら、などと夜とも朝ともつかない時間帯に一人ほくそ笑むのもちょっと気持ち悪かったので、どうにか興奮を抑えつけようとするのだけれど、一旦フル回転し始めた思考は止まる気配がなくて、ますます気持ちはたかぶってくる。
 ふと、弟は今、何をしているのだろうと思う。寝ていることには違いない。でも、男の子は眠っている最中にもエッチな妄想をしており、その際にちんぽを勃起させたり、最悪射精までしてしまうこともあるという。弟だって来年は中学生だ、たぶんそういうことは済ませてあるに違いない。であれば、私と同年代の脩平くんはなおさら、爽やかな好青年で通っているけれど、エッチな妄想をみんなの見ていないところで繰り広げていることだろう。あるいは、そんな必要はもうないのかもしれない。彼にはもうちゃんとしたパートナーがいて、妄想などしなくても、そういう気分になる前に、彼女とのセックスで欲望を満足させてしまうのかもしれない。そういうことを思うと、何だかこれまで自分の見ていた世界が信用できなくなる感覚だった。こんなこと、口が裂けても公言できない。私だって表向きは、まるで淑女のような、でもどこか抜けたところのあるおっとり系女子でまかり通っているのだから、そんな想像を夜とも朝ともつかない時間帯にせっせとこしらえていたことがばれてしまえば、友だちやクラスのみんなを失望させるだけだ。そもそもこういうことばかり考えること自体、不健康すぎる。
 すると私の脳裏には、思いがけないタイミングだったのだけれど、もう少し小さかった頃、弟とお風呂に入った最後の思い出がよみがえってくる。そこで何が起きたのか、もうはっきりしないけれど、それ以来、こっちがいくら誘っても、弟は一緒に入ってくれなくなった。普段はいつも通り話しかけてくるし、ふざけ合ってもいたのだけれど、弟の裸を見ることもなかったし、こちらの裸を見せることもなくなった。お父さんと入らなくなったのはもっと前だから、最後に目撃した男の裸は、必然的に弟になるわけだが、私は当時、彼のちんぽに興味津々だっただろうか? そうでもなかったかもしれない、これは一体どうしてあるのだろう、みたいなことは考えていたけれど、なんだか触れてはいけないもののような気がして、あえて触れないようにしていたのだ、言葉にしろ、物理的にしろ。
 対して弟は、気にせずこっちにべたべた触ってきていた。最後の方になると遠慮がちになっていたけれど、もう少し前まではそれこそ恋人みたいに抱き着いたりしてきた。そのときは私も弟を抱きしめていたけれど、それはひどく警戒してのものだった。今にして思えば、私は弟に対して、愛情とともに恐怖も感じていたらしい。
 二年くらい前までそれは続いていた。それ以降は知らない。でもネットとかで見る限り、いよいよ成長して、毛だって生えてくる頃合いだろう。弟と私、どっちが先に、またあのときみたいに異性とお風呂で一緒になるのだろう? 想像すると、おへそあたりが張り詰めた感じになる。弟に関することでそういうことになるのは、私としても不本意だったから、急いで打ち止めようとするのだけれど、一旦始まってしまったそれは止まりそうにない。
 やっぱり今日の私は呪われている。そうでしょ熊さん?

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