富くじ騒動
樹莉亜
その町には、奇妙な生き物と一寸変わった人々が住むという。誰とはなしに、そこは妖町(あやかしまち)と呼ばれていた。
その日は朝から雲行きの怪しい空であった。木戸の前にみすぼらしい風体の老人が立っているのに気づいたのは、木戸脇に店を構える古手屋であった。ぼろを纏ってやせ細った体つきの老人からは鼻をつまみたくなるような異臭がしている。古手屋店主の狸親爺は、商いの邪魔になるからと老人を追い払おうとしたが、彼はちょいと脇に寄っただけでその場にうずくまってしまう。
そこへ通りかかったのは裏長屋に住む浪人の又三郎であった。
「どうしたんだい、そのじいさん。具合でも悪いのかい」
問われて狸親爺が首を振る。
「さあねえ。兎に角ここに居られたんじゃお客に逃げられちまいますよ。どっか余所に連れてっちゃくれませんかね」
袖で鼻と口を覆いながら顔をしかめる古手屋に、又三郎は、仕方がないと苦笑を漏らす。
「じいさん歩けるかい。ちょいとそこで休んでいくかい?」
彼は老人を立たせて自分の住まいへと誘った。
間口が九尺程の狭い棟割長屋(むねわりながや)に入るなり、腹が減ったと老人が言うので又三郎は米櫃の底をさらって飯を炊き、目刺しを炙ったものと豆腐の味噌汁を作って出した。老人はそれらをぺろりと平らげると今度は、風呂に入りたいと言いだした。又三郎は連れ立って湯屋へ行き、ひと風呂浴びてさっぱりとした。すると老人が、風呂上がりに一杯飲みたいと言うので蕎麦屋へ行って蕎麦と焼き味噌を肴に酒を酌み交わし、古手屋の前まで戻って来た時には日も随分と西へ傾いていた。
古手屋の店先には古道具と古着が半々に並んでいる。老人はその中から縞柄の着物を指さし、それがほしいと言いだした。古手屋が、金はあるのかと老人に問い質すと、ないと言う。
「それじゃ売るわけにいきませんよ」
と、狸親爺はにべもない。仕方なく又三郎が懐から財布を出すと、丁度その古着が買える程度の小銭が残っていた。
「これで売っちゃあくれねえかい」
と、言う又三郎に古手屋は渋い顔をみせる。
「旦那ぁ、人が良すぎますよ。どうせ今日一日そんな調子で、このじいさんに集られたんじゃないですか?」
「んー、まぁそうだが良いじゃねえか。じいさんだってこんな、ぼろ着たままじゃ不憫てもんだ」
人懐こい笑みを見せ、又三郎は有り金をはたいて古着を買うと、それを老人に着せてやった。その上、泊まるところがないという彼を一晩自宅に泊めてやるという始末であった。
翌朝、又三郎が目を醒ますと老人はいなくなっていた。綺麗に畳まれた夜着の上には書きおきと富くじの札が一枚置いてあった。書きおきには、世話になった礼に富くじを差し上げるので必ず富突(とみつき)を見に行くようにとあった。
丁度その日が月に一度の富突の日であったので、又三郎は古手屋を誘って天神まで赴いた。
天神の境内は既に黒山の人集りであった。大広間の中央に用意された木箱には富札と同じ番号が書かれた木札が入っている。箱の蓋には小さな穴が空いていて、そこに錐を突き入れて刺さった木札の番号が当たりであった。錐で突くので『富突(とみつき)』である。
さて、この富突で又三郎の札が見事一等に当選した。古手屋などは驚きのあまり茶色い耳と尻尾がぺろりと出てしまう程であった。
「だ、だんな、千両ですよ、せ、せんりょう」
「古手屋、尻尾が出てるぞ」
又三郎が小声で注意すると、化け狸は慌てて尻尾を隠した。天神は彼ら妖の多く住む町からは離れた所にあるので、周りは普通の人間ばかりであったのだ。
富くじというのは寺社の修繕費を集める為の講であり、たとえ千両当たっても、その内の二、三割は諸経費や寄付金として差し引かれるのが常であった。そんな訳で又三郎が受け取ったのは七百両程であった。
早速古手屋が揉み手をせんばかりにすり寄って来る。
「旦那ぁ、そういやこのところ店賃の払いが溜まってるんですがねえ?」
古手屋は地主から裏長屋の管理を任された大家でもあったから、支払いの遅れている家賃を払えと言う。ついでに、向こう何年分かの家賃も前払いしてはどうかと勧めてくる。
「なに、百両もありゃ暫く店賃に困りませんよ」
「百両か、月四百文だから八十三年分はあるぞ」
さすがに苦笑を漏らす又三郎に、狸親爺はもう少し広いところが一軒空いたからそちらに移ってはどうかと食い下がる。月一分でいいからと言うと又三郎は根負けして百両を古手屋に渡した。
「三十年分で九十両、残りの十両はいつも世話になってる礼だ」
狸は太い尻尾を大いに振って喜んだ。
話を聞きつけた長屋の面々は次々に又三郎の所へ押し掛ける。からくり職人を亭主に持つおかめは亭主の作ったからくりが見せ物小屋に安く買い叩かれたと恰幅の良い体を揺らして泣きついた。豆腐屋のおろくは息子を手習いに通わせたいが纏まった金がないのだと言って長い首で又三郎に巻き付いた。気分屋は生き分かれた妹が吉原にいるのだと言ってさめざめと泣き出し、その涙は哀玉という人の気分を悲しくさせる飴玉になった。
又三郎は彼らに一々同情し、暮らしの足しに、子供の学費に、吉原の揚げ代にと気前よく金を出した。
そんな風にして数日経ったある日、またひょっこりと例の老人が現れた。
又三郎は老人を新居へ招き入れると、富くじが当たった事を報告し、分け前を渡したいと言った。
「それはお前様に差し上げたもの。儂がもらう筋ではない」
「いいや、じいさんに半分渡すのが筋というもんだ。俺はそのつもりで取って置いたんだ」
又三郎は頑として譲らず、五百両を小風呂敷に包んで老人の前に差し出した。
「やれやれ、お前様は欲がない」
と、老人は渋団扇をあおいだ。
「折角の千両富も、三十年も先までこんな裏長屋の店賃に消えるわ、からくり職人の女房は米の代わりに帯を買うわ、妹に会いに行った男は悪所で遊び呆けるわ、そこのろくろ首は手習い所を探す気配もないと来た。どうだね、お前様の施しなんぞ、何の役にも立たなかったぞ?」
老人の言葉にも、又三郎は人懐こい笑みを崩さない。
「まあ、良いじゃねえか。一度渡した金だ、どう使おうが人の勝手さ」
「惜しくはないのかね? これだけの金があればどこぞの藩に仕官も出来よう。商いを始めても良かろう」
「生憎、俺は今の暮らしが気に入ってるもんでな」
又三郎は相変わらず笑みを浮かべたままであったが、それはどこか諦観にも似た微笑みであった。
「やれ、つまらんのう。これでは貧乏神としては片手落ちというもんじゃ」
「じいさん、やっぱり貧乏神だったのか。しかし俺はこの通り元の貧乏暮らしに戻ったんだから良いじゃあねえか」
老人は、そうではないと首を振る。
「一度贅沢を覚えると、なかなか元の暮らしに戻れぬもの。悔しい、惜しいと嘆く心が儂の好物よ。お前様にはそれがない」
「そうかい、そいつはすまなかった」
真面目腐って謝ると、貧乏神は呵々と笑った。そうして五百両の包みごと、煙のように消えてしまった。
やれしくじりだという声だけが、木霊のように響いていた。
泡銭をすっかり失った又三郎は、変わらず傘張りの内職に精を出す。少しばかり広くなった部屋は開け放った窓から勝手口へと風が抜け、傘の糊がよく乾くようになった。
余談ながら古手屋が百両で買った天目茶碗は偽物だった。地主に渡す筈の家賃を使い込んでしまった狸親爺はその後暫く自腹で補填する羽目になったのだが、これは又三郎には秘密であった。
その日は朝から雲行きの怪しい空であった。木戸の前にみすぼらしい風体の老人が立っているのに気づいたのは、木戸脇に店を構える古手屋であった。ぼろを纏ってやせ細った体つきの老人からは鼻をつまみたくなるような異臭がしている。古手屋店主の狸親爺は、商いの邪魔になるからと老人を追い払おうとしたが、彼はちょいと脇に寄っただけでその場にうずくまってしまう。
そこへ通りかかったのは裏長屋に住む浪人の又三郎であった。
「どうしたんだい、そのじいさん。具合でも悪いのかい」
問われて狸親爺が首を振る。
「さあねえ。兎に角ここに居られたんじゃお客に逃げられちまいますよ。どっか余所に連れてっちゃくれませんかね」
袖で鼻と口を覆いながら顔をしかめる古手屋に、又三郎は、仕方がないと苦笑を漏らす。
「じいさん歩けるかい。ちょいとそこで休んでいくかい?」
彼は老人を立たせて自分の住まいへと誘った。
間口が九尺程の狭い棟割長屋(むねわりながや)に入るなり、腹が減ったと老人が言うので又三郎は米櫃の底をさらって飯を炊き、目刺しを炙ったものと豆腐の味噌汁を作って出した。老人はそれらをぺろりと平らげると今度は、風呂に入りたいと言いだした。又三郎は連れ立って湯屋へ行き、ひと風呂浴びてさっぱりとした。すると老人が、風呂上がりに一杯飲みたいと言うので蕎麦屋へ行って蕎麦と焼き味噌を肴に酒を酌み交わし、古手屋の前まで戻って来た時には日も随分と西へ傾いていた。
古手屋の店先には古道具と古着が半々に並んでいる。老人はその中から縞柄の着物を指さし、それがほしいと言いだした。古手屋が、金はあるのかと老人に問い質すと、ないと言う。
「それじゃ売るわけにいきませんよ」
と、狸親爺はにべもない。仕方なく又三郎が懐から財布を出すと、丁度その古着が買える程度の小銭が残っていた。
「これで売っちゃあくれねえかい」
と、言う又三郎に古手屋は渋い顔をみせる。
「旦那ぁ、人が良すぎますよ。どうせ今日一日そんな調子で、このじいさんに集られたんじゃないですか?」
「んー、まぁそうだが良いじゃねえか。じいさんだってこんな、ぼろ着たままじゃ不憫てもんだ」
人懐こい笑みを見せ、又三郎は有り金をはたいて古着を買うと、それを老人に着せてやった。その上、泊まるところがないという彼を一晩自宅に泊めてやるという始末であった。
翌朝、又三郎が目を醒ますと老人はいなくなっていた。綺麗に畳まれた夜着の上には書きおきと富くじの札が一枚置いてあった。書きおきには、世話になった礼に富くじを差し上げるので必ず富突(とみつき)を見に行くようにとあった。
丁度その日が月に一度の富突の日であったので、又三郎は古手屋を誘って天神まで赴いた。
天神の境内は既に黒山の人集りであった。大広間の中央に用意された木箱には富札と同じ番号が書かれた木札が入っている。箱の蓋には小さな穴が空いていて、そこに錐を突き入れて刺さった木札の番号が当たりであった。錐で突くので『富突(とみつき)』である。
さて、この富突で又三郎の札が見事一等に当選した。古手屋などは驚きのあまり茶色い耳と尻尾がぺろりと出てしまう程であった。
「だ、だんな、千両ですよ、せ、せんりょう」
「古手屋、尻尾が出てるぞ」
又三郎が小声で注意すると、化け狸は慌てて尻尾を隠した。天神は彼ら妖の多く住む町からは離れた所にあるので、周りは普通の人間ばかりであったのだ。
富くじというのは寺社の修繕費を集める為の講であり、たとえ千両当たっても、その内の二、三割は諸経費や寄付金として差し引かれるのが常であった。そんな訳で又三郎が受け取ったのは七百両程であった。
早速古手屋が揉み手をせんばかりにすり寄って来る。
「旦那ぁ、そういやこのところ店賃の払いが溜まってるんですがねえ?」
古手屋は地主から裏長屋の管理を任された大家でもあったから、支払いの遅れている家賃を払えと言う。ついでに、向こう何年分かの家賃も前払いしてはどうかと勧めてくる。
「なに、百両もありゃ暫く店賃に困りませんよ」
「百両か、月四百文だから八十三年分はあるぞ」
さすがに苦笑を漏らす又三郎に、狸親爺はもう少し広いところが一軒空いたからそちらに移ってはどうかと食い下がる。月一分でいいからと言うと又三郎は根負けして百両を古手屋に渡した。
「三十年分で九十両、残りの十両はいつも世話になってる礼だ」
狸は太い尻尾を大いに振って喜んだ。
話を聞きつけた長屋の面々は次々に又三郎の所へ押し掛ける。からくり職人を亭主に持つおかめは亭主の作ったからくりが見せ物小屋に安く買い叩かれたと恰幅の良い体を揺らして泣きついた。豆腐屋のおろくは息子を手習いに通わせたいが纏まった金がないのだと言って長い首で又三郎に巻き付いた。気分屋は生き分かれた妹が吉原にいるのだと言ってさめざめと泣き出し、その涙は哀玉という人の気分を悲しくさせる飴玉になった。
又三郎は彼らに一々同情し、暮らしの足しに、子供の学費に、吉原の揚げ代にと気前よく金を出した。
そんな風にして数日経ったある日、またひょっこりと例の老人が現れた。
又三郎は老人を新居へ招き入れると、富くじが当たった事を報告し、分け前を渡したいと言った。
「それはお前様に差し上げたもの。儂がもらう筋ではない」
「いいや、じいさんに半分渡すのが筋というもんだ。俺はそのつもりで取って置いたんだ」
又三郎は頑として譲らず、五百両を小風呂敷に包んで老人の前に差し出した。
「やれやれ、お前様は欲がない」
と、老人は渋団扇をあおいだ。
「折角の千両富も、三十年も先までこんな裏長屋の店賃に消えるわ、からくり職人の女房は米の代わりに帯を買うわ、妹に会いに行った男は悪所で遊び呆けるわ、そこのろくろ首は手習い所を探す気配もないと来た。どうだね、お前様の施しなんぞ、何の役にも立たなかったぞ?」
老人の言葉にも、又三郎は人懐こい笑みを崩さない。
「まあ、良いじゃねえか。一度渡した金だ、どう使おうが人の勝手さ」
「惜しくはないのかね? これだけの金があればどこぞの藩に仕官も出来よう。商いを始めても良かろう」
「生憎、俺は今の暮らしが気に入ってるもんでな」
又三郎は相変わらず笑みを浮かべたままであったが、それはどこか諦観にも似た微笑みであった。
「やれ、つまらんのう。これでは貧乏神としては片手落ちというもんじゃ」
「じいさん、やっぱり貧乏神だったのか。しかし俺はこの通り元の貧乏暮らしに戻ったんだから良いじゃあねえか」
老人は、そうではないと首を振る。
「一度贅沢を覚えると、なかなか元の暮らしに戻れぬもの。悔しい、惜しいと嘆く心が儂の好物よ。お前様にはそれがない」
「そうかい、そいつはすまなかった」
真面目腐って謝ると、貧乏神は呵々と笑った。そうして五百両の包みごと、煙のように消えてしまった。
やれしくじりだという声だけが、木霊のように響いていた。
泡銭をすっかり失った又三郎は、変わらず傘張りの内職に精を出す。少しばかり広くなった部屋は開け放った窓から勝手口へと風が抜け、傘の糊がよく乾くようになった。
余談ながら古手屋が百両で買った天目茶碗は偽物だった。地主に渡す筈の家賃を使い込んでしまった狸親爺はその後暫く自腹で補填する羽目になったのだが、これは又三郎には秘密であった。
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