Brandy's Symphony

「スティーブンくん、気分はどうかね。おっと、動こうと思っても無駄だよ。そのアーモンド型の枠は、君にとってのシュバルツシルト半径だ。フフ、アーモンド型なのに半径とは、なんとも違和感をおぼえるだろうが、なに、決して逃げること叶わぬという比喩だ、まあ気にしないでくれたまえ。思えば長い、そう、とても長い闘いだった。ああスティーブン。君はちょびっとだけ、ああ勘違いしてもらいたくないんだが、本当にちょびっとだけだよ、そのなんと言うか強敵だったと思うよ。これからも君は、俺の心の中で、対消滅と対生成を繰り返す粒子と反粒子の様に、いや、この表現はちょっと違うな。そう、事象の地平線を越える時の様に。まさにシュバルツシルト半径を越えて、君はそちら側に行ってしまったわけだが、事象の地平線を越えるところで永遠に時が止まったしまったが如き残像の様に、俺の心の中に生き続けるのだろう。なあスティーブン、憶えているか。あれは、そうそう、キンダーガーデン時代だ。フフ、長く感じるはずだよ。そんな昔から、君とは腐れ縁だったわけだ。そのローレンス=キンダーガーデンで、君が俺に言った言葉だよ。まあ遥か昔の事だ、俺たちはまだ子供だったし、君が憶えていなくても俺は驚かないよ。あの時、そう、俺がクラスで無実の罪に問われていた時さ。君は信じると言ってくれたんだよ。まったく君のお人好しには頭が下がるよ。あの時、俺がどう思っていたかしっているか。まったく馬鹿な奴だ、さ。こいつは利用できる。そうも思っていたかな。なに、君も憶えているだって。いやいや、無理に話しを合わせて貰わなくて結構だ。君のそういう、何でも知っているかの如き言動が、俺は虫酸が走るほどに嫌だったんだよ。君は本当に人の心を逆撫でする男だったな。そうそう、だからあのキンダーガーデン時代からさ。その時から俺の人生設計は決まったと言ってもいい。つまりはそうさ、悪事を働いても君が守ってくれる。上手くいけば君に罪を擦りつける事だってできるかもしれない。何時も上から目線で人を見下していた君が、おぼえのない罪で裁かれる様を見るのは、なんとも小気味いいじゃあないか。と、そう考えたんだな。ところがどうだい。悉く君は俺の邪魔をしたし、俺が手に入れたいものは全て君が持っていた。その上さ、俺が組織に入ったのはまあ必然だったとしても、まさか君が俺を捕まえるために刑事になるなんて、君がそんなに熱血漢だったなんて、当時の俺にはとても予想できなかったんだよ。なあスティーブン。だからこの結末は、君にとっての最悪といえるこの結末はさ、君が自ら招いた事なんだよ。だから少しは後悔していると、俺としても嬉しいかぎりなんだがね。おっと、もうブランデーが空じゃないか。新しいのを入れてくるが、君はどうするね。まあちょっと待っていたまえよ。どうせ君にはたっぷりと、そう星の一生ほどにもたっぷりと時間があるじゃないか。シット。ガッデム。なんてこった、酒が切れてるじゃあないか。ふう、ま、まあいいさ、話しを続けようか。なんだいスティーブン、マリアだって。フハハハハハハ。やはり君は根に持っていたか。俺が彼女をどう思っていたか聞きたいのかい。ああ、今だから、永の別れの前だから、餞別代わりに特別に教えてやるよ。そう、君の予想通りさ。惚れていたよ。だがね、惚れれば惚れるほどに、彼女の心は君に向いていることが、もうどうしようもなくわかってしまうんだ。求めるものに、もうどうやっても手が届かないと分かっている者の気持ち、まあ君には理解できないだろう。三人で馬鹿やってさ、はしゃいでた時は本当に楽しかった。正直に告白するが、これは嘘偽りのない気持ちだよ。楽しかったからこそ、その、揺り返しなのかな。君とマリアだけが大人になっていくのが許せなかったんだ。悩んだよ。煩悶と言ってもいい。だからさ、だからこそだよスティーブン。俺はこう考えることにしたんだ。ある意味量子論的な発想だな。シュレディンガー様々さ。彼女の死が確定しない限り、俺の中で彼女が生きている可能性は残り続けるってことさ。どうだい、天才的だろう。そう、だから彼女は死んでいるとも言えるし、まあそんなことは想像もしたくないがね、生きているとも言えるのさ。ああ、やっぱりブランデーが飲みたいよ。久しぶりに喋りすぎたせいで、喉が渇いて仕方ない。まあいいさ。君に追われることがなくなった以上、俺にも時間はたっぷりとあるからな。あとで買ってくるとしよう。それで、どこまで話したっけ。ああそうだった、マリアだな。そのマリアが言った言葉は憶えているかいスティーブン。そう、それだよ。わたし二人のお嫁さんになるんだ、さ。幾千幾万と交わした言葉の、よくそれだと分かったな。まあ君には全てお見通しというわけかい。ふん、本当に君は腹立たしい奴だな、頭にくるよ。思えば俺たちの歴史は、一方的に俺が君に奪われ続ける歴史だったと言っても過言ではあるまい。俺は幾度となく神を呪ったものさ。だがね、ああ、やっぱり最後には帳尻が合うよう、世の中は上手くできているんだな。君のその目。ああ、こんなに小気味いいものはない。その苦悶の表情を持って、俺はやっとこさ溜飲を下げることができたよ。ああ、疲れた。少し眠くなってきたな。君の顔もだいぶん霞んできてしまったし、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ眠るとしよう。ブランデーはいったいどうしたんだろう。確か週末に買ったやつが、まだ半分は残っていたはずなんだけどな。眠い。おや、スティーブン。君なんかおかしいぜ。酷く、なんか酷く揺れているようだ。まあいいや。そうだ、これは最後まで言わないでおこうと思ってたんだけどな。君のその悲壮感溢れる顔に免じて、特別に教えてやろう。マリア。ああそうさマリアの話しだ。君はマリアに関してだけは本当に勘が良いな。俺の口車にはすぐ引っかかるくせに、まったく変なやつだよ。昔、三人で行った田舎の教会があるだろう。そうそう、あのイカれた神父が居た教会さ。あの丘に立って東を見下ろすと、古びた病院がある。少しばっかり埃っぽいのが玉にきずだが、よく陽の当たる良い病院だよ。俺には眩しすぎてちょっと苦手だがね。其処へ行ってみれば何かわかるかもな。かもだよ。あくまで仮定の話しさね。ああだめだ、いよいよ限界みたいだ。なんだい、おかしなやつだな、君まさか泣いているのかい。残念だけど、悲しんだって結果は変わらんさ。さっきも言っただろ。この結果は君自身が蒔いた種、自業自得だってさ。そう、自業自得なんだよ。神様だってそうおいそれと結果を変えられるもんじゃあない。さあもうおしまいだ。俺は少しばっかり休ませてもらうよ。瞼が重くなってきた。アインシュタインの相対性理論を読んだあの時の様に、自分の意思では抗えないほどに、目を開いているのが辛くなってきた。ああ、ああそうだとも。よく気がついたな。あたりだよ。スティーブン、君が正解だ。二人は相対的であるがゆえに逆もまた然りなのさ。そう、事象の地平線を越えていたのはどうやら俺はの方だったみたいだ。君はいつから気づいていたんだい。まあいい。まあいいさ。俺は存外にこの状況を愉しんでいるんだぜ。だからもう泣くな。泣くな友よ。スティーブン、君にこんなことを言う日が来るとは、コペルニクスだって予想できなかったんじゃないか。本当に癪に触る。腹立たしいかぎりだが、ああ、ああ、こうして、友に抱かれて逝くってのも、案外悪くないもんだな。もう眠るよ。マリアによろしく伝えてくれ。それと、グラス一杯のブランデーもよろしく頼むよ」

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