黒死病と白血球

一兎

――ファージ、食うもの、壊すもの。そして、その世界の片隅で。

 世界は今日も世界然として解釈者による解釈で成り立っていた。マクロを捉えるにはいくつものパラメータがあるが、それをどのように解釈するかは自由奔放であった。共栄共存とは遥かにかけ離れた次元で差別だとか、差別主義者だとか言い合うように争っているものもあったが、それとは関係なく内需の観点から日本のGDPは下がっていると解釈されていた。

 付加価値率だとか生産人口だとか人口動態だとか、耳に入る人もいれば、耳からすり抜ける人もいて、今と同じ暮らしが延々と続くことは退屈であるが、自分が主導的に何かを変えたいとも変えられるとも思わないし、何もしないことが平和だと考える人が大半であった。その前提として、今が平和であるという実感を誰もが持っていた。問題意識を持つきっかけは人それぞれだが、総中流の意識から深刻に考える人はあまりいなかった。

 彼もその例外ではなかった。しかし、それは既に数年前のことだ。

「P」Politics:政治
 
 彼が彼らとなり、彼らと認知された頃、彼らは不特定多数になることをおそれた。それは彼らが彼ら自身を失うことに他ならなかったからだ。法人格が「人格」であるように彼らの人格が不特定多数に発散することは彼らが「彼」を含む集合に退行することを意味している。しかし、彼らは退行を避けられず「思想」となった。

「E」Economy:経済

 彼らが思想となったのは、「欲求」が彼らを援用したためだ。低次欲求から高次欲求まで、欲求はあらゆるものを個人に分解する。個人に分解された彼らは欲求の「口実」となり、思想として欲求を満たすことが彼らの経済となった。耳をふさぎたくなるようなつまらない口実すら、彼らの一部として消費された。

「S」Society:社会

――誤解を恐れずに言えば、ほとんどの小さな自治体において人口がV字回復するような未来を描くことは困難であり、“全国の自治体が試算する将来の人口を合算すると日本全体で2億人を超える”といった笑い話に象徴されるような、根拠なきビジョンはビジョン足り得ない。
 
 死亡数が出生数を上回れば、人口は減る。昔から自治体は人を奪い合う。これに対し国策は場当たり的であり、出生を増やすためには、もしくは出生以外で「人」を増やすには×××。また、死亡数を減らすことは生産人口を増やすことにはならない。

「T」Technology:技術
 付加価値率を業種別に見た場合、製造業以外は軒並み低水準である。したがって、テクノポリス構想自体は合理的であった。製造業の収益の源泉は技術であるが、もしそれが盗まれたらどうだろうか。そう、技術が「魔法」から「常識」に変わる。その先にあったのは退行であった。

 彼には守りたいものがあった。彼はそれを守るべきものであると認識していたし、愛していたし、誇りに思っていた。
 だから、彼はそれが病んでいくことを看過できなかった。だけど、それは彼だけのものではない。だからこそ彼は一人ではなく、彼には仲間がいたし、反面、敵がいることも分かっていた。

 彼が彼らとなり、彼らと認知された頃、彼らは不特定多数と戦うことになった。欲求を共有する部分もあれば、共有しない部分もある。それは集団として個人として、あるいは社会として思想として。

 そして、彼らになりすます存在によって、総体として根底的に明らかであるはずの当たり前のことが歪められていることが分かる。そう、それこそが眩暈のするような病いのもと。

 日本は原発を止め、石油で貿易収支が悪化した。東芝が巨額の損失で話題となる中、中国は淡々と原発を増設し、フランスは原発による売電で儲けていた。彼は付加価値率があまりに低く誰も得をしないソーラーパネルばかりが増える故郷が悲しかった。もしも、故郷に原発ができたら彼は迷うことなくそこに勤めたいと思っている。付加価値率の高い仕事がないから地方は過疎化している。

 このまま彼を含めて誰も何も行動しなければ、地価は下がり続け、彼の故郷は流入した外国人ばかりとなるだろう。彼の知らない言葉、彼の知らない文化、彼の知らない町。彼はそうして問題意識を持った。

 世界中にばら撒かれていく血による支配に対し無血開城するほどばかげた事はないだろう。彼の血はそれを拒んだ。文化の破壊者と徹底的に戦うことを決めた。

 彼は世代的に好景気とは縁がなく、故郷で仕事を探すも見つからず、上京し、狭い部屋に住んでいた。彼は低学歴だから低所得であった。彼の部屋にあるものといえば、テレビとコタツぐらいであった。コタツはすばらしい。暖房器具を使えばすぐに暖まる部屋ではあるが、彼にとってコタツは食卓であり、布団である。一年を通じ、寝食をそこで過ごす。彼の過ごす日々は平穏ではないが、穏当であった。

 コタツは彼にとって欠かせないものであった。そして、コタツに欠かせないものが何か分かるか。その当たり前すら通じないことが悲しい。そう、除夜の鐘にどのような意味があるかを知らなくてもそれが騒音だとは思わないし、仏教を信仰していなくても仏像を破壊することが罰当たりだというのは当たり前に理解できる。

 彼はコタツでみかんを食べた。彼はコタツで駅伝を見た。ごはん党のCMを見てお茶を少し無駄にした。そして、明日からまた何事もなかったかのようにスーツに着替え会社に行くのだ。1月4日、スーツに着替え電車に乗り込む。電車は今日も時間通りに走る。

 彼は会社では特段目立たない人間であったが、政治活動家であった。会社の同僚は彼が活動家であることを知らない。彼はスマホで世界と繋がっていた。また、他の人より少し公安に詳しかった。彼も彼らもまだそれ以外の方法を知らない。

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