らっきー

ムラサキハルカ

 冬、夕空の下、仕事帰りの慎也が寒風に身を震わせデパートの前を通り過ぎようとした際、カランカランという音が耳に入ってきた。振り向けば、デパートの入り口付近に福引会場が設けてあり、そこでスーツの上に青い長袖のはっぴを羽織った若い女性がベルを振りながら「三等です」などと言っている。そういえば、この間デパートに寄ったな。思い出しつつ慎也は立ち止まり、財布を探った。程なくして福引券が一枚出てくる。こうしてデパートの前を通り過ぎたのも一つの縁だろうと思い、福引会場へと近付いていく。ほとんど列もできていなかったため、さほど待たずに慎也の順番になった。無言で券を差し出すと若い女性は微笑み、
「それではお願いします」
 回転式の抽選機を掌で示した。慎也は頷いてからすぐにレバー掴み、ゆっくりと回す。どうせもらえても、ティッシュか駄菓子辺りだろう。そんな風にしてちっとも期待をせずに、目の前の抽選機が発するガラガラという音に耳を傾けた。程なくして、玉が飛びだす。二三度小さく跳ねて止まったその球体は金色だった。慎也は目を丸くするのと同時に、金と黄とを見間違えたのではないのかと疑った。その次にこの抽選機には金色の玉がいっぱい入っていて、五等だとか六等辺りの参加賞なのだろうと考えた。その気持ちはカランカランというベルの音と「大当たりです」と叫ぶ係員の女性の興奮した声によって掻き消され、

 強い日差しに目を細めつつ、慎也はサングラスをかけ直し、ハンモックの上で日陰の方に身をよじった。その際、椰子の葉がゆっくりと揺れる様子が視界の端に入ってくる。いいな、これ。茹りそうな頭の後ろで両手を重ねて、体から力を抜きつつ、慎也は心からそう思う。たまには人間関係のしがらみだとか仕事だとかを忘れてこうして楽にしているだけというのも悪くない、と。寒い土地から離れてこの南の島らしい気候を味わえるのだから、福引とはいいものだ。そんな気持ちになりつつ、小波のように押し寄せてくる眠気に身を任せようとする。
 不意にハンモックを揺すられる。体をごろんと転がすと、白いワンピースを着た若い女性が淡い青色の液体が入った透明なプラスッチクコップをそれぞれの手に持って、慎也の方を楽しげな目で見ていた。
「一杯、いかがですか」
 慎也と同じ国の言葉で話しかけてくる女に「いただくよ」と応じてから、上半身を起こしながら腕を伸ばして飲み物を受けとると、コップに刺してあるストローに口をつけた。途端に口内に甘いカクテルの味が広がる。女は微笑みながら、ハンモックのかたわらに置いてある白いプラスチック製のビーチチェアに腰を下ろす。
「慎也さんはいつもここにいますね」
「楽だからね」
 短い答えを無愛想過ぎるのではないのかと思い返したあと、飲み物に口をつける。しかし、女は気分を害した様子もなく、喉を潤す慎也の顔を横から覗きこんできた。
「せっかく南の島に来ているんですから、もう少し観光とかしないんですか」
「最初はそういうのも考えたんだけど、なんか一日目で面倒臭くなっちゃって」
 それでもポケットマネーでここにやってきていれば、慎也ももう少し真面目に観光をしようという気になったかもしれない。しかし、ただで南の国へとやってこられたということがどことなく非現実じみているせいか、なにをしていても味気なく感じられてしまう。口では面倒臭いと言ってみたものの、なにをしていてもさして楽しくないというのが本当のところだった。
「贅沢ですね、慎也さんは」
 女は不満げに頬を膨らましたあと「私は自分のお金で来ているっていうのに」とぼやく。それを見ながら、福引会場で鐘を鳴らしていた彼女の姿を思い出す。あの時は、重ね着をしていたとはいえ寒そうだなという印象を抱いたものだが、今は薄着なのにもかかわらず額や頬から汗が垂れている辺り暑そうだった。
「でも、すごい偶然だよね」
 慎也はすでにこの島にやってきてから何度か口にした話題をまた口にする。慎也と女の間にあまり共通の話題がないというのもあったが、それ以上に旅行先にあの福引売り場でバイトをしていた女がいたという大きな偶然への驚きがいまだに根強く残っていたため、ついつい何度も言ってしまいがちだった。女は「また、その話ですか」と呆れたように応じたものの、どことなく浮かれた声音からして、うんざりしているというわけでもないようだった。
「でも、偶然ってわけではないと思いますよ。私はあそこでバイトしてて、この島への旅行が一等だと知っていたんですから」
 女が話すには、当たりくじを引いた慎也を見た瞬間に、急に南の島に行きたい気持ちが沸いたという。曰く、くじ引き売り場で突っ立っている自分が馬鹿らしく思えたとのこと。
「もちろん、同じ日に慎也さんがやってきたっていうのは偶然ですけどね。あの時点で南の島に行こうっていうのは私の心の中では決まっていたわけで」
「それでも、俺は驚いたんだよ。君はそうじゃないの」
「ええ、まあ。けど、それ以上にラッキーだなって」
「どこらへんがラッキーなの」
 聞き返せば、女は少しだけ照れ臭そうに頬を掻く。
「正直なところ、いざ旅行にやってきたはいいんですけど、急な思いつきだったので、連れがいなかったんですよね。最初はそれでいいと思ったんですけど、いざ、空港に着いたら途端に寂しさが押し寄せてきて。そしたら、つい最近見た顔を見つけて」
 すごく、安心したんですよね。そう言って、女は上目遣いで慎也の方を覗きこんでくる。見つめ返しながら慎也は、ふと、女がほぼ毎日自分に会いに来ている、ということに思い当たった。先程の女が言ったことを引いてくれば、彼女こそ観光を楽しむべき人物のはずなのにもかかわらず、どこかに行くでもなく、慎也が宿泊しているホテルの近くにあるこの椰子の木の傍にやってくる。もちろん、全ての時間この場所にいるわけではなかったが、多くの時を慎也とのなんでもない会話に割いていた。福引を当てた慎也と異なり、彼女は有料でやってきているがゆえに、観光をする資金的な余裕がないだけなのかもしれないが、今の彼女が口にした言葉を信じるのであれば、同じ国の人間が傍にいるところにいたいだけなのかもしれない。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、こんなおっさんの話し相手になってくれて感謝してるよ」
「おっさんだなんて、慎也さんはまだお若いですよ」
 お世辞とも本音ともつかない言葉を口にした直後、不意に女が椅子から立ち上がりゆっくりと身を乗りだしてくる。慎也は女の動作に一瞬戸惑いはしたものの、南の国だし、などという理由にもなっていない理由の元、軽くなった気持ちとともに女の方へと唇を寄せていった。程なくして、大きくなっていった女の顔が見えなくなり、そして、
 
「高級松坂牛一週間分です」
 女の声で我に返った慎也は、目を瞬かせる。聞き間違いかと疑ったが「良かった、牛さん大好きなんですね」と尋ねてくる女と、服の隙間から入りこんでくる風の冷たさが、今目の前にある出来事を現実であると理解させた。慎也はしばらく景品についての説明を受けながら、先程、頭の中で瞬く間に築かれたまぼろしの残骸を掬いあげて、恥ずかしくなる。
「腐らないように気を付けてくださいね」
 どことなく可愛らしい注意をされて松坂牛の入った箱を渡されたあと、慎也はとぼとぼと家路についた。その途中、ふと思い出し、スマホを手に取る。
『どうしたのあなた』
 近頃は電話をかけること自体が稀になったせいか、妻の声音はどことなく不思議そうな色合いを帯びていた。それを耳にしつつ、慎也は「さっき、デパートで松坂牛が当たってさ」と静かに口にする。
『それ、ほんと。じゃあ今日はすき焼きにしましょうか』
 弾んだ妻の答えに、慎也は「ああ」と応じつつ、こう言うのも悪くないなと笑みをこぼした。南の島ほどではないないにしろ、すき焼きをつつくのは温かいだろうから。 

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