能書き先輩と小生意気な私 2
古賀志 七門
「――その扉を開けたその先に、女性が首を吊っていたそうだよ」
そう言い締めて先輩は、手に持った蝋燭の火を吹き消した。
「先輩……」
私は、神妙な顔をする先輩に話しかけた。
「ん、なんだね?」
その表情を崩さず、先輩は私を見る。
「やっぱり、二人で百物語はキツくないですか?」
一緒に同じ大学に上がって初めての夏休み、今朝急に先輩が私の家を訪ねてきた。蝋燭百本を携えて。
『やぁ、百物語しないかい? 最後に話し終わった瞬間、何かが起こるのか知りたくなってね』
開口一番、先輩はそう言った。そして今、私の目の前にあるテーブルには蝋燭が並んでいる。光源はそれしかなく、カーテンの締め切った部屋の中は薄暗くて、なにより暑かった。
「そうかね?」
「そうですよ。第一なんで朝から百物語しないといけないんですか?」
「二人で百も話すんだ。早い方がいいだろう」
「先輩……、友達いないんですか?」
「こんなことを頼めるのは君だけだね」
たまらず、ため息を吐く。
「しかし君、それはここまで来て言うことかな?」
先輩はそう言いながら、机を見る。残り、十三本。既に夕方。
お互いやたら長くて本格的な話をする上、何度も休憩しているのでここまでくるのに時間がかかった。
「いや、何回も言いましたよね?」
「そうだったかな?」
おとぼけを決め込む先輩に、無性に腹が立ったが言い返すのはやめておいた。この人に口で敵う気がしない。
「なんだかんだ、君も楽しんでいただろう」
「まぁ好きですから」
「私が、かい?」
「怪談話が、です」
「ふむ残念だ」
白々しい、私にも先輩にもそっちの属性がないのはわかっているくせに。私は傍らに置いたペットボトル入りの麦茶をがぶ飲みする。
「ぷはっ、もういいですから先進めましょう」
「君から話を振ってきたんだろうに……」
「いいですから!」
その後、何度目かの休憩を挟んで私と先輩は交互に話し続けた。
蝋燭の数が一桁になる頃には日も落ちて、部屋の中はすっかり暗くなった。
そして最後の一本、話し手は私。
私はここまで残しておいた、とっておきを卸すことにした。
「これは、まだ私が小さい頃の話です。と言っても、私は覚えてなくてお母さんから聞いた話なんですが……」
ピクリ、と先輩が反応する。私が体験談を話すのが初めてだからだ。
「ある日、お母さんが買い物から帰って来ると、リビングで私が大はしゃぎする声が聞こえたそうです。でも、その時お母さんは不思議に思ったそうです。テレビの音も聞こえなくて、おもちゃで遊ぶ音も聞こえなくて……。ただ……タン、タン、と。何度も足踏みをする音だけが聞こえてきたそうなんです。不審に思いながらリビングに行くと……。そこには――ゴキブリをグッチャグッチャに踏み潰している私がいたそうです」
「ひぃぃいいいいっ、ああぁぁぁッ!」
先輩が肩を抱いて絶叫した。今日一の悲鳴を聞き、私は大いに満足して、手に持った蝋燭を机に置く。
「最後の最後にとんでもない話するね君は……」
先輩はこんな口調で、こんな性格だが普通の女の子っぽくゴキブリが苦手だったりする。
「だから最後まで取っといたんですよ」
得意げに言う私に、先輩はため息をつく。
「意地の悪い子になったもんだ……」
「完全に先輩の影響ですけどね」
「ふむ、そう考えると誇らしい」
「むしろ反省してください。というか……」
私は辺りを見回す。一本だけの蝋燭に照らされた薄暗い部屋。しばらく待ってみたが何も起きる気配が無い。
「……やっぱ時間帯がまずかったんですかね?」
と言った瞬間、蝋燭の火が消え、部屋は真っ暗になる。
「ちょっと、急に消さないでくださいよ!」
抗議の声を上げる。しかし、独り言のように声は虚空に消え、何も返っては来ない。
ふと違和感を感じた。いつもなら偉そうな口調で、確実に何か言うのに。
「ひょっとして、恐がらせようとしてます?」
問いかけも空しく響く。耳を澄ましてみると、息遣いも聞こえてこなかった。
「せ、先輩!」
私は不安に駆られ、部屋の電気をつけようと立ち上がろうとした。その時、ギィとという音と共に扉が開き、廊下の照明の光が差し込む。
現れたのは、先輩だった。
「え……」
一瞬、心臓が止まるかと思った。
なんでテーブルを挟んで対面にいるはずのこの人が、部屋に入ってこれるのだろう。
「先輩、いつの間に!」
「ん? 私は今しがた来たばかりだよ」
「そ、そんなはず……」
だって、さっきまで目の前にいたのに。この先輩の言うことが本当なら……じゃあ、さっきまで私といたのはいったい誰? 何?
「ふむ……。とりあえず、電気をつけるよ」
そう言って先輩はドア横のスイッチを押す。僅かな明滅の後、照明がついて部屋が明るくなる。テーブルには火の消えた百本の蝋燭。そして、その先には誰もいない。
先輩は部屋へ足を踏み入れると、蝋燭に目を留めた。
「ほぉ、君も百物語をしてたのかい?」
感心したように言い、私は聞き捨てならないことを聞いた気がした。
「君、も?」
「あぁ、私も昨日徹夜で百物語をしてたのだよ。……残念なことに何も起こらなかったがね。君のその様子だと、何かあったようだね。羨ましいよ」
額に手をやり、ため息混じりで答える先輩。私はすごく嫌な予感がした。
「徹夜、したんですか?」
「まぁね。しかし、あれは一人でやるものではないね。朝までかかってしまったよ」
「……それ、何時ごろですか?」
「ん? んー、そうだね。確かぁ……七時半頃だったと思うよ」
先輩の言葉に私は愕然とした。その時間は、一緒に百物語をした先輩が私の家に来たのとほぼ同じ時間だったからだ。
脳裏にある言葉が駆け巡る。
――ドッペルゲンガー。出会ってはいけないもう一人の自分。
出会えば死ぬって言われる存在。
「それが、どうかしたのかい?」
「い、いえ」
まさか、先輩のドッペルゲンガーと百物語してました、なんて言える訳がない。
「ところで……」
先輩は消えた蝋燭を一本持ち、それを私に向ける。
「な、なんですか?」
私は動揺を隠すように答えて、気づいた。
先輩がなぜかとても興味深そうに、そしてすごく嬉しそうニヤリと笑っているのを。
「私を家に招きいれた君はいったい誰だい?」
そう言い締めて先輩は、手に持った蝋燭の火を吹き消した。
「先輩……」
私は、神妙な顔をする先輩に話しかけた。
「ん、なんだね?」
その表情を崩さず、先輩は私を見る。
「やっぱり、二人で百物語はキツくないですか?」
一緒に同じ大学に上がって初めての夏休み、今朝急に先輩が私の家を訪ねてきた。蝋燭百本を携えて。
『やぁ、百物語しないかい? 最後に話し終わった瞬間、何かが起こるのか知りたくなってね』
開口一番、先輩はそう言った。そして今、私の目の前にあるテーブルには蝋燭が並んでいる。光源はそれしかなく、カーテンの締め切った部屋の中は薄暗くて、なにより暑かった。
「そうかね?」
「そうですよ。第一なんで朝から百物語しないといけないんですか?」
「二人で百も話すんだ。早い方がいいだろう」
「先輩……、友達いないんですか?」
「こんなことを頼めるのは君だけだね」
たまらず、ため息を吐く。
「しかし君、それはここまで来て言うことかな?」
先輩はそう言いながら、机を見る。残り、十三本。既に夕方。
お互いやたら長くて本格的な話をする上、何度も休憩しているのでここまでくるのに時間がかかった。
「いや、何回も言いましたよね?」
「そうだったかな?」
おとぼけを決め込む先輩に、無性に腹が立ったが言い返すのはやめておいた。この人に口で敵う気がしない。
「なんだかんだ、君も楽しんでいただろう」
「まぁ好きですから」
「私が、かい?」
「怪談話が、です」
「ふむ残念だ」
白々しい、私にも先輩にもそっちの属性がないのはわかっているくせに。私は傍らに置いたペットボトル入りの麦茶をがぶ飲みする。
「ぷはっ、もういいですから先進めましょう」
「君から話を振ってきたんだろうに……」
「いいですから!」
その後、何度目かの休憩を挟んで私と先輩は交互に話し続けた。
蝋燭の数が一桁になる頃には日も落ちて、部屋の中はすっかり暗くなった。
そして最後の一本、話し手は私。
私はここまで残しておいた、とっておきを卸すことにした。
「これは、まだ私が小さい頃の話です。と言っても、私は覚えてなくてお母さんから聞いた話なんですが……」
ピクリ、と先輩が反応する。私が体験談を話すのが初めてだからだ。
「ある日、お母さんが買い物から帰って来ると、リビングで私が大はしゃぎする声が聞こえたそうです。でも、その時お母さんは不思議に思ったそうです。テレビの音も聞こえなくて、おもちゃで遊ぶ音も聞こえなくて……。ただ……タン、タン、と。何度も足踏みをする音だけが聞こえてきたそうなんです。不審に思いながらリビングに行くと……。そこには――ゴキブリをグッチャグッチャに踏み潰している私がいたそうです」
「ひぃぃいいいいっ、ああぁぁぁッ!」
先輩が肩を抱いて絶叫した。今日一の悲鳴を聞き、私は大いに満足して、手に持った蝋燭を机に置く。
「最後の最後にとんでもない話するね君は……」
先輩はこんな口調で、こんな性格だが普通の女の子っぽくゴキブリが苦手だったりする。
「だから最後まで取っといたんですよ」
得意げに言う私に、先輩はため息をつく。
「意地の悪い子になったもんだ……」
「完全に先輩の影響ですけどね」
「ふむ、そう考えると誇らしい」
「むしろ反省してください。というか……」
私は辺りを見回す。一本だけの蝋燭に照らされた薄暗い部屋。しばらく待ってみたが何も起きる気配が無い。
「……やっぱ時間帯がまずかったんですかね?」
と言った瞬間、蝋燭の火が消え、部屋は真っ暗になる。
「ちょっと、急に消さないでくださいよ!」
抗議の声を上げる。しかし、独り言のように声は虚空に消え、何も返っては来ない。
ふと違和感を感じた。いつもなら偉そうな口調で、確実に何か言うのに。
「ひょっとして、恐がらせようとしてます?」
問いかけも空しく響く。耳を澄ましてみると、息遣いも聞こえてこなかった。
「せ、先輩!」
私は不安に駆られ、部屋の電気をつけようと立ち上がろうとした。その時、ギィとという音と共に扉が開き、廊下の照明の光が差し込む。
現れたのは、先輩だった。
「え……」
一瞬、心臓が止まるかと思った。
なんでテーブルを挟んで対面にいるはずのこの人が、部屋に入ってこれるのだろう。
「先輩、いつの間に!」
「ん? 私は今しがた来たばかりだよ」
「そ、そんなはず……」
だって、さっきまで目の前にいたのに。この先輩の言うことが本当なら……じゃあ、さっきまで私といたのはいったい誰? 何?
「ふむ……。とりあえず、電気をつけるよ」
そう言って先輩はドア横のスイッチを押す。僅かな明滅の後、照明がついて部屋が明るくなる。テーブルには火の消えた百本の蝋燭。そして、その先には誰もいない。
先輩は部屋へ足を踏み入れると、蝋燭に目を留めた。
「ほぉ、君も百物語をしてたのかい?」
感心したように言い、私は聞き捨てならないことを聞いた気がした。
「君、も?」
「あぁ、私も昨日徹夜で百物語をしてたのだよ。……残念なことに何も起こらなかったがね。君のその様子だと、何かあったようだね。羨ましいよ」
額に手をやり、ため息混じりで答える先輩。私はすごく嫌な予感がした。
「徹夜、したんですか?」
「まぁね。しかし、あれは一人でやるものではないね。朝までかかってしまったよ」
「……それ、何時ごろですか?」
「ん? んー、そうだね。確かぁ……七時半頃だったと思うよ」
先輩の言葉に私は愕然とした。その時間は、一緒に百物語をした先輩が私の家に来たのとほぼ同じ時間だったからだ。
脳裏にある言葉が駆け巡る。
――ドッペルゲンガー。出会ってはいけないもう一人の自分。
出会えば死ぬって言われる存在。
「それが、どうかしたのかい?」
「い、いえ」
まさか、先輩のドッペルゲンガーと百物語してました、なんて言える訳がない。
「ところで……」
先輩は消えた蝋燭を一本持ち、それを私に向ける。
「な、なんですか?」
私は動揺を隠すように答えて、気づいた。
先輩がなぜかとても興味深そうに、そしてすごく嬉しそうニヤリと笑っているのを。
「私を家に招きいれた君はいったい誰だい?」
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