稲妻と若様

一二三 五六八

 フォルミーネは細心の注意をはらって針を刺し続けていた。しかしそれも三十六本目で止まる。まだ正午を少し過ぎたばかりだというのに、作業台の上がいつの間にか暗い。目を上げた窓の外、空は黒雲にすっかりふさがって、おりしも遠雷が意地悪く喉を鳴らしはじめた。フォルミーネは三十七本目を人像ではなく針山に刺すと、長いスカートを物ともせず身軽に梯子を登った。屋根裏部屋の小窓を引き下ろし、だが床に広げた薬草類をそのままに階下へ取って返す。三日のあいだ炉の火を絶やすなとは祖母の言いつけで、違えれば大目玉を食う。一雨来るまえに裏の薪小屋から薪を取って来ておかねばならない。
 外へ出ると早くも小雨が降り出していた。フォルミーネは思わず足を止める。辺りは雨だれにざわめく木々と高みでどろどろと呻く雷鳴に満たされていたが、その調和を破り迫るものがあった。待つまでもなく、森を縫うのらくら小径から一頭の逞しい鹿毛がおどり出ていななく。鞍上の人は馬が静止しきらぬうちにひらりと降り立つや、今度はみずからの足でフォルミーネ目がけて突進して来た。そのとき雷光に世界が白く眩んで、絹を裂くような悲鳴が森にこだました。

 迅雷は早くも去った。村落から離れた森の中にぽつんと建つ一軒家はいま、水没と雨もりを心配しながら激しい雨に叩かれている。さいわい暖炉の火はまだ安定しているがそれも保って小一時間ほどだろう。フォルミーネは後ろ頭にできたこぶをさすりながら、ひざまづいて平謝りの人物を忌々しげに見おろした。思いおこせば五年前にはじめて会ったときも雷に怯えたこの若者にしがみつかれて、手提げ籠いっぱいに集めた野苺をぶちまけるわ立木に頭をぶつけるわと散々な目にあわされたフォルミーネであった。
「もういいです。それよりその濡れた上着を脱いで火にあたってくださいませ若様。いつまでもそんなままではお風邪を召されます」
「どうか怒らないでくれ、愛しいひと。どうしても雷だけは克服できないのだよ」
「存じてますよ、だから怒ってなどいませんわ」
「いいや、あなたは怒っている」
「まあ、まさか」
「あなたは怒るとやさしくなるんだ。それに」
 若者は耐え難いというふうに手で鼻をおおった。
「これ以上近づいたら気を失いそうだ。何のにおいだい」
「祖母の秘薬ですわ。だいじょうぶです、この鍋の中身を全部飲み干したって死にゃあしませんから」
 フォルミーネは最上級のほほえみを浮かべたまま若者の背後にまわると襟首をつかんで上着をはぎ取り、火の側へと押しやった。足で。
「ときに若様」
 話しながらフォルミーネは部屋の中央にどっしりと構える柱に外套をかけた。厚く艶のある生地、丁寧な仕立て、釦は黒蝶貝に重ねた花風車の透かし彫りがうつくしく、どれもが若者の身分を誇示していた。フォルミーネは丸まりそうになる背筋を伸ばし、もとの作り笑いでふり返る。
「最近お身体のどこかが痛くなったりしませんか。頭とか胸とか手足とか」
 すこぶる元気と胸を叩く若者の、濡れた髪からしたたる雫がシャツの肩口にシミを広げていた。フォルミーネは戸棚から手巾をとり出して頭にかぶせてやると、鼻と鼻が触れそうな距離でその目をのぞき込んだ。重ねてどこもと問えば、ためらいなくどこもと返ってくる。
「ああ、やっぱり念じるだけじゃ駄目なのね」
 わざとらしい溜息を吐いて、フォルミーネは若者の頭を乱暴にこね回した。
「痛いよ、フォルミーネ。どうしたんだい、私を痛い目にあわせたいのかい、念じるってなに?」
「痛い目にあわせたいっていうか……」
 何かを思いついたのかフォルミーネはあっと声を上げると、作業台までの数歩を軽快な足どりで往復した。そして取ってきた物を差し出す。
「若様。髪の毛を一本くださいな。それとこれ、これに名前を書いてくださらない」
 それは布で作られた人像で、頭部に数十本の針が刺さっていた。若者の顔からさっと血の気が引く。よくよく見れば満面の笑みの向こう、痩せて穴ぼこだらけの作業台の上には粘土に木彫り、蝋、藁とちょっと思いつく限りの材料で作られた人像が並んでいるではないか。しかも粘土製のものなど、全身が見るも無惨な針山状態であった。
「フォ、フォルミーネ! 私を殺す気なのかい」
「大丈夫ですわ、若様。私はまだ見習いですから効いてもチクッとするくらいです。……マグレでも起きない限り」
「そのマグレが起こったらどうするんだよ!」
 それは考えていませんでしたとあくまで白々しいフォルミーネの手をとって、若者は切々と訴えた。なぜこんな仕打ちをするのか、怒りの原因は何なのか。
「伯爵令嬢」
 やはり笑顔で答えたフォルミーネに、若者は本能的に後ずさった。が、フォルミーネは許さない。取られていた手を逆にしっかと握りかえし、箒に追われる虫けらのごとく狼狽える若者を繋ぎ止める。
「ちがっ……ちがうんだ! 誤解だフォルミーネ!」
「いいんですよ、仕方のないことですもの。若様はご領主様の総領息子、あたしはしがないまじない屋の孫、いつかこんな日が来ることは覚悟しておりました。でも……」
 若者の手が砕けんばかりにぎりぎりと締めあげられる。
「せめてご自身から告げていただきとうございました」
「いまっ……! いますべての報告に、こうして……!」
 外套で雨を免れたはずの若者の背中が、ぐっしょり濡れる。同じ年頃の村娘達と比べても小柄なフォルミーネだが、男手のない家で育ったせいか外見を裏切る怪力であった。その力をふいに抜いてひざまづいたフォルミーネは、ぐったりした若者の手をあらためて捧げ持ち、その甲にくちづけた。
「よい夢を見させていただきました。これよりは一領民としてお仕えいたします」
 十二の年に出会って恋に落ちた。けれども十二の小娘でも、いつかこんな日が来ることくらい知っていた。最初からわかっていたのだ。
「さようなら、若様」
 手放し難い手を放そうとして、しかし今度はフォルミーネの手首が捕らわれる。
「フォルミーネはそれでいいのか」
 見おろした顔はいつになく厳しかった。
「私はいやだ。あなたとの思い出を夢なんかにするつもりはない」
「でも……」
「実は勘当されたんだ」
 予想外の告白にフォルミーネは頭が真っ白になった。
「妻とするひとは心に決めておりますので、伯爵家との縁談はお受けできないと」
「……そんな真っ直ぐ言っちゃったんですか」
 無邪気に肯かれて床に突っ伏す。これがこの若者の良いところなのだと言い聞かせつつ、叫ばずにはいられない。
「それじゃ、あたしが悪者になるじゃないですかー!」
「私だってあれこれ考えたんだよ。もっとも順当かつ穏当な方法は、ご令嬢を妻に迎え、あなたを愛妾とすること」
 それは貴族の子息と恋に落ちた平民の娘に望める、おそらく最上の待遇であった。だが。
「でもあなたはいやだろう」
 若者の言うとおりだった。それを選べば祖母の跡を継ぐこと一人前のまじない屋となることを諦めねばならない。
「でも、伯爵家に恥をかかせたりしたら」
「伯爵家は我が家の家督を継ぐ者との縁組みをご所望なのだから、ご令嬢の婚約者が私から弟にかわっても差し障りはないさ」
「でもでも弟君がお生まれになったのは一昨年前で!」
「ご令嬢もこの春、御年四才におなりあそばしたばかりだ。輿入れは早くとも十年後だよ」
 ほかには、と促されてフォルミーネは口を閉ざした。
「それよりフォルミーネこそ私でいいの? 私は何も知らないんだよ。服だって今日初めて一人で着たんだ。とんでもないハズレを引いたと後悔しやしないかい」
 雨が降る。いつの間にか窓からは西日が射しこんでいた。だが若者の頬にはあたたかくて大粒の雨が、あとからあとから降りしきり、なかなか止みそうもなかった。

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