時計は小人が回している
カミタカ サチ
小学校の何年生のときだったろうか。
国語の教科書に、柱時計に住む小人の話があった。
夜中、寝付けないおじさんに目撃されているとは気がつかず、テーブルの上の寿司(冷蔵庫に入れないと腐ってしまう、と大人になってから思うが)に近づく。そして、わさびを「おいしそう」と食べてしまい、辛い辛いとおおさわぎをする二人の小人の話。
読んでからしばらく、時計は小人が回しているのだと信じていた。
同居を始めた祖父に時計の内部構造を見せてもらったのは、小人の存在をうっすらと疑いながらも信じている頃だったと思う。
――見てごらん。
壊れた機械式アラーム時計の裏蓋を取り除くと、薄い金属テープを巻いたものが鎮座していた。
――変なカタツムリだね。
不思議そうな顔をすると、祖父は笑った。
――これはぜんまいだよ。この時計を動かしている力だ。と教えてくれた。そして、歯車があるだろう、と細いドライバーの先で示してくれる祖父の言葉を聞きながら、目を見開いて小人を探した。
この時計のどこかに、教科書の挿絵にあったようなとんがり帽子を被った小さな人が潜んでいるはずだと、かなりの時間をかけて視線をめぐらせた。
当然のことながら、小人を見つけることはできなかった。
がっくりと肩を落としていると、理由が分からないなりに祖父は一生懸命なだめてくれた。
落胆しながら、お話に出てくるような大きな時計にしか小人は住めないのかもしれないと、自分に言い聞かせた覚えがある。
時計の内部への興味を掻きたてられ、家中の時計を分解して回ったのは中学生の頃。
なけなしの小遣いで眼鏡修理用のドライバーセットを買い、掛け時計から父の腕時計まで、裏蓋を開けては電池をはずし、中に仕舞われている小さな歯車に見入った。
どんなに外側が傷だらけであっても、歯車は磨かれ輝いていた。
肉眼で数えられない細かな刻みがぴたりと噛みあい、奇跡のように連携して時を刻む。トンボの翅のように繊細な歯車が、重たそうに秒針を動かしているのだと考えると、小人がいないとしても神秘を感じた。
そこまで時計が好きなら、いっそ時計職人になればいいと言われたこともある。なりたいと思ったこともある。だが、できなかった。
分解して、とくと芸術的な繊細さを堪能したあと、手順を遡って組み立てていく。ところが、電池を入れて裏蓋をした時計が再び時を刻むことはなかった。時には、手元にアカアリほどに小さなネジが机に残っていたり、何かの金属の欠片が煌いていたり。
家にある時計を一通り動作不能にしたところで、母から時計に触れることを禁じられてしまった。動かなくなった時計と共に、時計に関わる仕事に就く夢も不燃ごみの袋に入れられたのだ。
長い間、時計は時間を知るための道具に成り下がった。携帯端末を持ち歩くようになってからは、身につけることすらなくなった。
次に手にする時計が祖父の形見になろうとは、予想だにしていなかった。
奇しくもそれは祖父の百歳の誕生日。葬儀で彼が長年身に着けていた腕時計を渡された。
祖父が定年退職した記念に買ったものらしい。そう高価なものではなさそうだが、シンプルなデザインが祖父好みだと思った。文字盤が、くすんだ金属バンドにはさまれて沈黙している。
戯れにはめてみると、手首にしっくり馴染むことに驚いた。祖父の手首は、もっと太いかと思っていたのに。
「いくらぜんまいを巻いても、動かないの。持ち主がいなくなったのを、分かってるのかね。これはあんたにって、おじいちゃん言ってたよ」
母の言葉を聴いて、心の奥で歯車が回り始めた。
帰り道、喪服のまま百円均一ショップでミニドライバーセットを購入した。帰宅すると、清めの塩を振る間も惜しく、革靴を脱ぎ捨てた。
ゴミ箱から引っ張り出した惣菜のパックを洗って水気をふき取り、内側にティッシュを敷く。時計をテーブルへ置き、両方の掌を擦り合わせる。舌先で唇を湿らせると、ドライバーを手に取った。
裏蓋の縁には、薄緑色の錆が浮いている。細かい傷が無数につき、金属はかつての輝きを完全に失っていた。
それでも、蓋を開けると、精巧な歯車が輝きを放っている。風化した石棺に収められた財宝を探り当てた探検家の気分だ。
取り外したパーツを丁寧に惣菜パックの中に並べ、歯車のひとつひとつをみつめる。
母が言うとおり、いまどき珍しい機械式、つまり駆動力が電池ではなくぜんまいの腕時計だった。過ぎ去った年数を感じさせない煌びやかさ。雲母を削って作られたかのような薄い歯車。振り子の役割を果たすざんぎ車の繊細さ。
数十年間、祖父の側で時を刻み続けた小さな部品たちは、静かに整然と並んでいる。
祖父と共に、旅にも行っただろう。シルバー人材派遣で働いていたときには、仕事のスケジュール管理に一役かっていたかもしれない。デイケアのお迎えを待つ間、車椅子に座ってじっと見つめていたかもしれない。
魅力溢れる時計の内部世界へ導いてくれた祖父に対し、仕事を理由にろくに顔を見せない孫でいたことが悔やまれた。
――お疲れ様でした。
そっと胸の内で手を合わせた。
心ゆくまで鑑賞した後、名残惜しさと共に部品を戻していった。分解するときは気にならなかった目の霞みに苦笑しながら、ひとつひとつ部品を重ねていく。歯車が反射させた光が、視野の端でちらちら踊る。
蓋をはめたところで、微かな音が刻まれるのを聞いた。鼓動のような、規則正しいリズム。チリチリと楽しげな金属の囁き。
半信半疑で文字盤を返し見ると、はかない秒針が震えながら数字をめぐっていた。
驚愕している間に、今度は分針が勢いよく回り始める。数箇所で一瞬動きを止めながら。
四、六、また四、九。
そして何事も無かった顔をして時を刻み始める。
ふと、針の後ろに、祖父に似た小さないたずらっぽい笑みを見た気がした。
心臓の音と秒針の動きが呼応する。
それ以来、この腕時計が止まれば自分の心臓も止まるのではないかと恐れるようになった。毎日欠かさず竜頭を巻き、ぜんまいの動きを確かめる。
そのうち、おかしな錯覚に襲われるようになった。
竜頭を回すとき、体が小さくなっていく感じがする。まるで、そう。小人になったように。
国語の教科書に、柱時計に住む小人の話があった。
夜中、寝付けないおじさんに目撃されているとは気がつかず、テーブルの上の寿司(冷蔵庫に入れないと腐ってしまう、と大人になってから思うが)に近づく。そして、わさびを「おいしそう」と食べてしまい、辛い辛いとおおさわぎをする二人の小人の話。
読んでからしばらく、時計は小人が回しているのだと信じていた。
同居を始めた祖父に時計の内部構造を見せてもらったのは、小人の存在をうっすらと疑いながらも信じている頃だったと思う。
――見てごらん。
壊れた機械式アラーム時計の裏蓋を取り除くと、薄い金属テープを巻いたものが鎮座していた。
――変なカタツムリだね。
不思議そうな顔をすると、祖父は笑った。
――これはぜんまいだよ。この時計を動かしている力だ。と教えてくれた。そして、歯車があるだろう、と細いドライバーの先で示してくれる祖父の言葉を聞きながら、目を見開いて小人を探した。
この時計のどこかに、教科書の挿絵にあったようなとんがり帽子を被った小さな人が潜んでいるはずだと、かなりの時間をかけて視線をめぐらせた。
当然のことながら、小人を見つけることはできなかった。
がっくりと肩を落としていると、理由が分からないなりに祖父は一生懸命なだめてくれた。
落胆しながら、お話に出てくるような大きな時計にしか小人は住めないのかもしれないと、自分に言い聞かせた覚えがある。
時計の内部への興味を掻きたてられ、家中の時計を分解して回ったのは中学生の頃。
なけなしの小遣いで眼鏡修理用のドライバーセットを買い、掛け時計から父の腕時計まで、裏蓋を開けては電池をはずし、中に仕舞われている小さな歯車に見入った。
どんなに外側が傷だらけであっても、歯車は磨かれ輝いていた。
肉眼で数えられない細かな刻みがぴたりと噛みあい、奇跡のように連携して時を刻む。トンボの翅のように繊細な歯車が、重たそうに秒針を動かしているのだと考えると、小人がいないとしても神秘を感じた。
そこまで時計が好きなら、いっそ時計職人になればいいと言われたこともある。なりたいと思ったこともある。だが、できなかった。
分解して、とくと芸術的な繊細さを堪能したあと、手順を遡って組み立てていく。ところが、電池を入れて裏蓋をした時計が再び時を刻むことはなかった。時には、手元にアカアリほどに小さなネジが机に残っていたり、何かの金属の欠片が煌いていたり。
家にある時計を一通り動作不能にしたところで、母から時計に触れることを禁じられてしまった。動かなくなった時計と共に、時計に関わる仕事に就く夢も不燃ごみの袋に入れられたのだ。
長い間、時計は時間を知るための道具に成り下がった。携帯端末を持ち歩くようになってからは、身につけることすらなくなった。
次に手にする時計が祖父の形見になろうとは、予想だにしていなかった。
奇しくもそれは祖父の百歳の誕生日。葬儀で彼が長年身に着けていた腕時計を渡された。
祖父が定年退職した記念に買ったものらしい。そう高価なものではなさそうだが、シンプルなデザインが祖父好みだと思った。文字盤が、くすんだ金属バンドにはさまれて沈黙している。
戯れにはめてみると、手首にしっくり馴染むことに驚いた。祖父の手首は、もっと太いかと思っていたのに。
「いくらぜんまいを巻いても、動かないの。持ち主がいなくなったのを、分かってるのかね。これはあんたにって、おじいちゃん言ってたよ」
母の言葉を聴いて、心の奥で歯車が回り始めた。
帰り道、喪服のまま百円均一ショップでミニドライバーセットを購入した。帰宅すると、清めの塩を振る間も惜しく、革靴を脱ぎ捨てた。
ゴミ箱から引っ張り出した惣菜のパックを洗って水気をふき取り、内側にティッシュを敷く。時計をテーブルへ置き、両方の掌を擦り合わせる。舌先で唇を湿らせると、ドライバーを手に取った。
裏蓋の縁には、薄緑色の錆が浮いている。細かい傷が無数につき、金属はかつての輝きを完全に失っていた。
それでも、蓋を開けると、精巧な歯車が輝きを放っている。風化した石棺に収められた財宝を探り当てた探検家の気分だ。
取り外したパーツを丁寧に惣菜パックの中に並べ、歯車のひとつひとつをみつめる。
母が言うとおり、いまどき珍しい機械式、つまり駆動力が電池ではなくぜんまいの腕時計だった。過ぎ去った年数を感じさせない煌びやかさ。雲母を削って作られたかのような薄い歯車。振り子の役割を果たすざんぎ車の繊細さ。
数十年間、祖父の側で時を刻み続けた小さな部品たちは、静かに整然と並んでいる。
祖父と共に、旅にも行っただろう。シルバー人材派遣で働いていたときには、仕事のスケジュール管理に一役かっていたかもしれない。デイケアのお迎えを待つ間、車椅子に座ってじっと見つめていたかもしれない。
魅力溢れる時計の内部世界へ導いてくれた祖父に対し、仕事を理由にろくに顔を見せない孫でいたことが悔やまれた。
――お疲れ様でした。
そっと胸の内で手を合わせた。
心ゆくまで鑑賞した後、名残惜しさと共に部品を戻していった。分解するときは気にならなかった目の霞みに苦笑しながら、ひとつひとつ部品を重ねていく。歯車が反射させた光が、視野の端でちらちら踊る。
蓋をはめたところで、微かな音が刻まれるのを聞いた。鼓動のような、規則正しいリズム。チリチリと楽しげな金属の囁き。
半信半疑で文字盤を返し見ると、はかない秒針が震えながら数字をめぐっていた。
驚愕している間に、今度は分針が勢いよく回り始める。数箇所で一瞬動きを止めながら。
四、六、また四、九。
そして何事も無かった顔をして時を刻み始める。
ふと、針の後ろに、祖父に似た小さないたずらっぽい笑みを見た気がした。
心臓の音と秒針の動きが呼応する。
それ以来、この腕時計が止まれば自分の心臓も止まるのではないかと恐れるようになった。毎日欠かさず竜頭を巻き、ぜんまいの動きを確かめる。
そのうち、おかしな錯覚に襲われるようになった。
竜頭を回すとき、体が小さくなっていく感じがする。まるで、そう。小人になったように。
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