ハーモニー

ソルト・DA・53

 そっと目を瞑る。窓から入る爽やかな風が私の髪を揺らす。
 じっと風が過ぎ去るのを待つ。柔らかな陽の光が私の頬を温める。
 ちょっと後ろに下がって日差しから逃れる。軽やかな鳥の鳴き声が聞こえる。
 すっと意識を集中する。髪を弄ぶ春の風も、眩しい陽光も、楽しげな鳥たちのさえずりも、全て無に帰える。
 ぱっと目を開ける。世界は私だけのものになる。

 頭のてっぺんから体を突き抜けて畳まで、一本のまっすぐな線を思い描く。軽く顎を引き、背筋を伸ばす。その中心線に意識を染みこませるイメージで、体中の気を集める。
 呼吸はゆっくり、三つ数えて鼻から吸い込み、七つ数えて口から吐き出す。それを繰り返しながら、中心線をだんだん縮めて体の中央で小さな塊に変える。線から点へ、凝縮された中心は、胸の少し下辺りで仄かな熱を発して、確かにそこに存在している――。そう意識する。
 温かな塊を臍下丹田に降ろす。きっかり一呼吸分そこに留めたら、重力に任せて足下まで下げる。川底に泥が沈殿するように、白から黒へと明度を減ずる無彩色ように、爪先から足首まで、順に温もりを満たしていく。
 溜められた温もりに体の重心を添える。そして地中に根を張るように深く、深く浸透させていく。地球の真ん中まで届かせるつもりで、下げ進めていく……。
 そうして私の体は地球とひとつになる。
 それが私の気を結ぶ時のルーティン。結んだ気は、今度は放散されなくてはならない。
 右腕を弓なりに前に伸ばし、五指を軽く開く。右足を半歩前に出して膝を曲げ、慎重に重心を移動する。前足に六、後ろ足に四の荷重バランス。右手右足が前にあるので、腰を捻って体を正面に向ける。決して猫背になってはいけない。真向法の要領で骨盤を伸展するように腰を立て、胸を張る。後ろ足の膝を伸ばし、足先はほぼ直角に外に向ける。
 大地に根を張った重心はそのままに、気だけをゆっくりと吸い上げる。足から腰、脊柱から肩甲骨、弓なりに伸ばした腕から指先……、そして一気に放出。
 この時体のどこにも力は入っていない。筋肉はどこも収縮させてはいけない。かといって弛緩しているわけではない。力ではない力、脱力によって練りだされる力、それを意識して構えの姿勢を保つこと、それで十分。
 呼吸のリズムは変わらず、三吸って七で吐く。目線は対象を絞らず、広く全体を俯瞰する。
 宮本武蔵の五輪書に「観の目強く、見の目弱く」とある。これは八方目とも呼ばれ、目で見ることに頼らず、心の目で観よという心得を説いてる。近視眼的にひとつの対象に固執してはいけない。視野を広げ、しかし視点は固定して、視界に入るもの全てを把握する。
 私は目を閉じ、そのことを意識して、再び目を開ける。

 目の前に男が立っていた。見知らぬ顔。剣呑な眼光で私のことを見据えている。右手にはシースナイフ。その刃先がまっすぐ私の胸元に向けられている。鋸刃のないシンプルなハンティングナイフ。反射防止のブラックコーティング。ブレードに刻まれたアルファベットの刻印――。
 私はナイフを見る目を引き剥がす。
 男の額に細かな汗の粒が浮いている。呼吸は浅く、早い。肩は強張り、太い腕の縄のような筋肉の束が硬く収縮しているのが分かる。男の緊張が観える。
 私はもちろん丸腰。木綿の道衣と袴、足は裸足。その時点で優位性は完全にあちら側にあった。
 不吉さを具現した暗い影のような刃先が微かに揺らいだ。
 来る――。
 男は一歩踏み込んで間合いを詰める。懐付近で腕を伸ばし、突き出す。私は半円を描いてそれをかわす。再び間合いを取る。
 相手との距離は畳一枚分、二メートル弱といったところ。立ち合いの間合いとしては適当だが、身長差プラスナイフの刃渡り分あちらが有利。私は四分の一歩ほど左にずれ、体の向きを一五度右に向ける。
 人間の体の構造上、力が最も効率的に発揮するのは体の正面だ。逆に僅かでもそこから逸れてしまうと、力の作用する方向はずれ、本来持っているパフォーマンスは損なわれる。男を私の正面に据えたまま、私は男の少しだけ斜交いに逸れた。これで私の劣勢は一応の改善が期待できる。
 男が息を止めた。足先は前を向いている。まっすぐ来る。
 男はコンパクトに振りかぶった。今度は突くのではなく切りつけるつもりだ。
 切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ。私は反転せずに相手の懐に飛び込んだ。武蔵曰く、踏み込み見れば後は極楽、だ。
 男の腕の下に潜り込み、ナイフを振りおろす刹那のグリップエンドを抑える。気勢を殺がれた力は行き場を失い、さまよい、無効化される。男は私に力負けしたと錯覚して色めいている。
 対する角度と踏み込むタイミングさえ間違えなければ、フィジカルで勝る相手の攻撃を無効にするのはさほど難しいことではない。
 前足の足先が外側を向いた。次は右から。返す刀で横面からバックハンドで水平に切り付ける気だ。
 私は相手と呼吸を合わせる。―相手との同化―。刃先の勢いを殺さぬよう、男の腕を右の手刀で受ける。その接点を軸として時計回りに回転。―しかし感化してはいけない―。左手で男の顔に裏拳を叩きこむ。ダメージは期待しない。意識を逸らせられればそれで好し。
 男の顎が跳ね上がる。これでもう死に体。一方、私の中心線はキープされている。重心は錨のように地球の真ん中に置いたまま、さざ波ほどにも揺るがない。
 受けた手刀で男の手首を、当て身を入れた掌で肘をそれぞれ掴む。男の腕を折り畳むようにしながら体重移動で後ろへ方向転換。ただでさえ体勢を崩していた男は、いとも簡単に転がった。
 男は畳に這いつくばったまま放心している。何が起きたのか理解できていない顔だ。
 攻撃とはすなわち力。無意識に、力には力で応じてくるという期待が働いている。その約束事を一方的に反故にされるとどうなるか? 腰掛ける先には必ず椅子があるはずで、それが取り払われると尾骶骨を強打する憂き目にあう。支えがそこに存在しているという前提で、重心を移動しているからだ。
 私は支えを取り払っただけ。重心の移動を誘い、ちょっとだけ体の反射を促せば、人は簡単に転ぶ。何故か? 人間の体はそういう風にできているからだ。

 私はじっとりと汗をかいていた。道衣の下に着ていたアンダーシャツが肌に張り付いている。でも息は切れていない。幻想の暴漢を相手にイメージトレーニングを終えた私の体は、心地よい疲労に包まれていた。
 反省点は山ほどあった。初手で相手の腕を取れてさえいれば、小手を返してその時点で制圧できていた。その後の対応もお粗末だ。踏み込みの際に若干力のぶつかりが見られ、相手の力を利用しきれなかった。かろうじて優勢を保つことはできたものの、わずかなタイミングのずれはフィジカルで勝る相手との立ち合いでは致命傷になりうる。呼吸半分ほど早く動き出せていれば、やはりその時点で相手の攻撃は難なく無効化できたはずだ。
 人間の反射速度はおよそ〇.三秒。目で見て、頭で判断してから、泥縄で呼吸半分のタイミングを修正するのは難しい。観の目で相手の動きを先読みし、楽器を調律するように相手の気持ちとシンクロさせる必要がある。
 フェイ・バレンタインはいった。戦いの基本は先制攻撃だと。しかしここでそれは当てはまらない。
 後の先――、相手に先手を打たせつつ、それを利用して己の後手で先んずる。対立から迎合へ、こちらに向けられた脅威に寄り添うことで自分の力とする。
 塩田剛三が残した「自分を殺しに来た相手と友達になる」という言葉は、きっとそういうことなのだろう。
 己を無にして相手と一体となる。そこでは力と力の対立は意味を成さない。その行きつく先は深遠なる和の理合い「和合」とへと繋がるはずだから。
 その彼岸はまだ、朧にも見えない。

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