ZOO

カミタカ サチ

 車を下りると、澄みきった風が肌寒いくらいだった。遠足シーズンも終わった平日とあって、動物園は閑散としている。
「早く」
 小学生低学年の平均的な身長のタクミが、ひらひらと手を振った。そのあどけない顔を見られるのは今日で最後になると思うと、牧内の目頭は熱くなった。
 牧内の腰の高さでカチカチ鳴る回転バーを、タクミは胸で押して入った。ゲートが落とす透き通った影から出ると、秋のさわやかな風が胸に吸い込まれていく。
「本物じゃなくて良かったのかい?」
 気になっていたことを聞くと、タクミは迷わず頷いた。
「だって、本物動物園は臭いもん。お父さんは、本物のほうが良かった? 僕とのでいとに、お仕事のところは嫌だった?」
「いや、そんなことはないよ」
 周辺住民への異臭や騒音の配慮、絶滅危惧種の入手困難などで経営上悩みの多い動物園に、動物型ロボットを導入したのは牧内たちの会社だった。
 専門家の力も借りながら動物の生態、動きを研究し、機械で忠実に再現していく。それらを展示することで、生態系へ影響を及ぼすことなく、多種多様な生き物の姿を見せることができるようになった。おまけに、本物と違って清潔で、逃亡などの心配がない。
 それでも本物志向の人々からは、いまだに批判の声があがる。しかし、毛並みの艶が失せた百獣の王や、狭い囲いの縁を走るシマウマなどが「本物」と言えるのか、疑問である。
「もぐもぐタイム、始まっちゃうよ」
 タクミが駆け寄る囲いでは、アミメキリンたちが籠を持った飼育員の後をぞろぞろついていくところだった。それとは別に、塔とも言える高い台に、餌となる野菜が載せられたものが隣の囲いに用意されていた。
 飼育員がキリンをなだめて歩みを止め、餌台に通じる扉を開け放った。長い首をふりたて、キリンたちが餌を食む。
 タクミの視線に、飼育員が細い枝付きの葉を渡してくれた。彼が受け取ったとたん、囲いを越えて首が伸びてきた。紫色の舌が、ねろんと彼の手を舐める。
「うひゃひゃひゃ」
 興奮して言葉にならない奇声を発しても、機械であるキリンたちは首を振るだけでパニックにはならない。
 機械でありながら食事をした後は、当然出さなければならない。口から入った食べ物を細かく砕き、消化酵素などを混ぜて発酵したものを乾燥させ、排出させる。そのような小技も、機械式の動物たちはやってのけた。
 これには、当初機械式動物の導入に反対していた飼育員たちも満足してくれたようだ。従来通りの「世話」が必要になり、路頭に迷わずにすんだ。
 むしろ、飼育員の存在は重要だ。展示動物の成長や季節に応じた変化について、彼らほど詳しい知識を持つ人はいない。夏毛から冬毛に変わる時期、毛の質、量など、細かくアドバイスを受けながら、技術者が展示物の調節をする。技術者はいわば楽器で言うと調律士で、飼育員は演奏者だった。
 キリンの隣は、小動物と触れ合うコーナーだった。舐められた手を洗い、モルモットの囲いに近づいたタクミの足が止まる。
 小さな先客がいた。歩き始めたばかりのような幼い子が、母親と一緒にモルモットを撫でている。母親が顔をあげ、タクミを見て一瞬怪訝な顔をしたのを、彼は見逃さなかった。うろたえたようにきびすを返す。
「お父さん、ゾウ見にいこ」
 平日に、明らかに小学生と分かる子供が学校以外の場所にいれば、不審に思われて仕方がない。だが、タクミも牧内も、そこまで覚悟ができていなかった。
 ゾウがいるサファリコーナーへ行く途中に、アイスクリームの屋台が出ていた。タクミがねだるので、イチゴアイスを買ってやる。頭部に絵文字的な笑顔を映したロボットが、録音された音声で応対した。
 リアルなヒューマノイドも容易に作れる時代だ。しかし、リアルすぎると本当の人間と区別がつきにくく不気味だとの声もあり、お仕事ロボは敢えて機械的な外見になっているものが多かった。
 店員の動きはスムーズで、優しくアイスを渡されたタクミは満足顔で近くのベンチに座った。
「ねえ、ニンゲンはどのコーナーにいるの?」
「人間の展示はないよ。人間を檻に入れるのは、牢屋だよ」
 通路の向こうではゴリラがこちらの様子をちらちら気にしている。タクミの視線がアイスへ向けられると、大人向けの下ネタパフォーマンスを披露してくれる。プログラミングを担当したのは誰なのだろう、と牧内は苦笑してしまった。
 日が高くなった。昼食をどうしようかという時間になったころ、牧内の携帯端末が着信を告げた。タクミに断り、彼から少し離れたところで応対する。
「お仕事?」
 通話が終わって戻ると、タクミが不安げに問いかけた。牧内は頷き、タクミの柔らかな髪を撫でる。
「お母さんが、入り口まで迎えに来てくれるよ」
 タクミと手をつないで出口へ向かいながら、その柔らかな手の感触もこれで最後なのだと思うと、牧内の胸に悲しみがこみ上げてきた。
 さまざまな不安を抱えながらゲートをくぐると、一台の赤い車が待機していた。
「どう、楽しかった?」
 微笑む母親に、タクミはあれこれとお喋りを始める。一段落したところで、彼女は牧内に向き合った。
「いいわね?」
 頷くと、彼女はタクミへ、先に乗車しておくよう促す。素直に従った彼がドアを閉めると、彼女はいたずらっぽく牧内の顔を覗き込んだ。
「まさか、あなたがこんなことをしでかすなんてね」
「申し訳ありません、教授」
「警察には届けてないわ。魔が差した、てこと?」
「せめて最後に、思い出を作ってやりたくて」
 牧内は俯いた。その様子に、彼女は肩をすくめる。
「破棄される小児ヒューマノイドの欠陥品にいちいち同情しているようでは、研究員としてやっていけないわよ? しかも、記憶データを改ざんして自分と親子設定にしてしまうなんて」
「破棄に、変更はないのですか?」
 開発の時点からタクミに関わってきた牧内にとって、本当の息子のような存在だった。わずかな欠陥のためにデータのみ抜き取って破棄するというのは、臓器を抜き取って殺される人の子のようなものだ。
 教授は、形のよい唇から息を吐いた。
「今回に限っては、まだ『手術』の余地もありそうね」
「記憶は」
「なぁに? 今日のこととか、残しておきたいの?」
 ころころと笑った後、教授はカツリとヒールを鳴らした。
「ま、思い出のひとつくらい、入る余裕はあるでしょ」
 車へ向かう後ろ姿に、牧内は深く頭を下げた。
 ゲートの向こうでは、機械式ライオンの咆哮が響いていた。

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