とかげのしっぽ

ぜろ

 とかげはそのしっぽがどうして切れているのか、自分でも思い出すことができなかった。何かに挟んで切らざるを得なかったのか、それとも誰かに切られてしまったのか、ひょっとしたら自分で切ってしまったんだろうか? どうしても思い出せなかった。とかげは映画館の軒下に住んでいた。たまにうまく誰かの靴に張り付いて、赤い座席のてっぺんで映画を観ることがあった。もっとうまくやって支配人の靴に張り付くと、映写機の横で観ることができた。とかげの夢はいつかここから出て、街に行くことだった。
 とかげはその日も軒下で、誰かが立ち止まるのを待っていた。あと10分で「真夜中のカーボーイ」が始まるところだった。とかげは沢山の靴が行ったり来たりするのを見て、丁度いい靴が来るのを待った。掴まりやすそうなスニーカーを探したが、見つからない。夏が近いからか、見える足はミュールやビーチサンダルばかりだった。サンダルはだめだ、裸足だと気づかれてしまう。今日は諦めようか、きっとまた映写機のテストをする時に支配人が流してくれるだろう…沢山の靴が映画館の中に入って行くのを見ながらそう思ったとき、とかげは映画館の向かい側にある本屋の影からふさふさした尻尾が沢山出てくるのを見た。小さな村に住んでいる動物の中で、犬たちは一番体が大きかった。金や白の長い毛をした犬はいつも大きい尻尾を揺らしながら歩いていて、とかげはそれが羨ましかった。長い首をちょっと曲げて後ろを見ると、中途半端に切れた自分の尻が見える。いいなあ。脚も長いし。とかげが自分の尻からもう一度犬たちに目をやると、一匹だけ変わった犬がいるのが見えた。尻尾がない。白っぽいフワフワした毛があるだけで、その脚の短かさときたら、お腹の毛が泥で汚れるほどだ。他の犬たちに置いていかれてしまったらしいその変な犬は、ションボリと尻尾を垂らした(どういうわけだか、尻尾があるように見えたのだ)。そして、顔を上げるととかげと犬の目が合った。ふたりはそういうふうにして出会った。
 うちはうち、よそはよそと言われて、犬のしっぽは切られたらしい。キツネのように大きな耳をパタパタ動かすと、犬は首を傾げて言った。
「きみは? きみの尻尾の続きはどうしたの?」
「問題はそこだよ。思い出せないんだ。なんで続きがないのか」とかげはない肩をすくめた。「尻尾が欲しいと思ったことは?」
「あるよ。でも、もう忘れちゃったな。気づいたら切られててなかったんだ。きみは?」
「欲しいよ、というか、取り戻したいよ。続きを。続きのない尻尾なんて嫌でしょ? 続きのない、途中で終わっちゃう映画みたいで」
「映画って?」うつむいていたとかげは首がとれそうな勢いで顔を上げた。「映画って、だって?」

「タイタニック」が駄作か傑作か、犬ととかげでちょっとした喧嘩をするようになるまで、そう長くはかからなかった。「ゴジラ」を観てから、とかげの生えてこない尻尾を犬はじっと見つめて言った。「きみ、よく見るとゴジラに似てるかも」
「どのゴジラ?尻尾があればもっと似てるよ。後ろ足で立てないから、どっちかっていうと変身する前だけど」
「きみの仲間はいないの?」
「いるよ。でも、もっと街の方に行かないとだめだな」
「街には何があるの?」
「そりゃ、いろいろ。もっと大きな映画館とか、ビスケット屋さんとか、スタジオとか」
「スタジオ?」
 スタジオは映画を撮る場所だと説明すると、犬はもういてもたってもいられない様子だった。濡れた鼻先でとかげの背中を押したり、しっぽの無い尻を振ってそわそわとあたりをぐるぐる回ると、犬はとかげを口にくわえて自分の首の上に放った。
「いきなり噛むなよ!」
「噛んでないよ!母さんにこうやって運ばれたの。別に食いちぎるわけじゃ―――そんなことどうでもいい!」
 とかげは慌てて犬の首輪を掴んだ。どうして足が短いのに早く走れるんだろう?車や人の話し声は風がびゅんびゅん鳴る音に変わった。犬は村の横にまっすぐ続く線路沿いの道をもの凄い速さで走った。とかげは今までこんな速さで移動したことはなかった。後ろを振り返ると、映画館の隣のダイナーのネオンが消えるのが見えた。時速何マイルだろう。1955年にタイムスリップしたらどうしよう。そこまで考えてどうでもよくなった。悪くない。とかげはゆっくり前を向いた。風が目にしみて出た涙が飛んでいく。止まっていた貨物列車がゆっくり動き出す。今なら追い越せるかもしれない!とかげは首輪から手を離して両手を広げた。散々犬と議論したが、結局「タイタニック」のことは好きだった。

「どうしてしっぽが生えてからでなきゃいけないの?」
「なぜって……だって、恰好悪いから」
 そういうと、犬は鼻をヒクヒク言わせて笑って、後ろを向いて真っ白な毛をとかげに見せた。「これを見てもまだそう言う?」とかげは思わず笑い声を漏らした。
 それから、ふたりはどうやって街まで行くか、街に行ってどんなことをするか、毎日話し合った。はじめは村を歩きまわりながら、次第に映画館の近くが多くなり、ついにはほとんど犬が軒下に通うようになった。とかげのしっぽが生えてくるはずの場所は淵が黒ずんでいき、とかげの脚はだんだん動かなくなり、とかげの元気はだんだん無くなっていった。犬は毎日変わらず、今日は何を観たか、次は何を観るか、街では何が観られるかを話した。犬はほんとうに、毎日変わらなかった。とかげはそれが嬉しかった。
 
 鉛のように重い脚としっぽを必死に引きずって、とかげは地獄のように熱い砂漠を走っていた。徒歩で「マッドマックス」なんて笑えない。太陽は恐ろしいほど照りつけているはずなのに、いくら走っても日陰のままだった。後ろから追いかけてくるそいつが作る陰はちっとも涼しくなかった。足の裏が焼けそうだ。いくら爬虫類でも限界がある。暑い日に歩きながら、肉球焦げそう、と犬が言ったことを思い出したとき、後ろのそいつがとかげのしっぽをぐいと掴んだ。だめだ!命が惜しい。しっぽに構っている暇はない。切ってしまおうと後ろを振り向いて、確かに掴まれた感触のあったはずのそれがないのを見たとき、何かが崩れる音でとかげは目が覚めた。
 崩れた軒下から這い出ても、意識は朦朧としたままだった。あったはずのしっぽが無いなんて!逃げ惑う足の中からスニーカーに掴まろうとして失敗した。小さい頃は誰よりも立派なしっぽがあったのに。宙に飛ばされて、視界がスローモーションになった。とかげは映写室から煙が上がっているのを見た。やっぱり、古い映画館はこうなると相場が―――ちょっと待って、「小さい頃」だって?小さい頃のとかげにしっぽなんてあったか?とかげは犬を初めて見たときのことを思い出した。一匹だけしっぽの無いのが犬だった。自分は、まるでああではなかったか?
 そして、とかげは思い出した。とかげは、どうして自分のしっぽが無いのか思い出せないのだ。とかげには、元々しっぽなんて無かったのである。
 しっぽの無いとかげはとかげなのか?スニーカーに蹴られたとかげはバシャンと音を立てて水の中に入って、金魚にしたたかにぶつかって視界が真っ青になった。水槽じゃなくてトイレだったら、海まで行けたかもしれないのに。真っ青だった視界はすぐに暗くなっていった。
 真っ暗だった視界が急に明るくなった!とかげの上にいたのは濡れた金魚だと思っていたら、濡れた鼻だった。犬はいつだったかそうしたように、とかげを口にくわえると風のように走り出した。今度はもっと、ずっと遠くまで。
 とかげが目を覚ますと、犬よりも速い速さで景色が動いていた。ふたりは貨物列車の上にいた。ふたりが出会ったあの小さな村も、映画館も、もう見えない。屋根のない貨物列車の上はすごい風で、犬はとかげを風から守るように丸まっていた。体はもうほとんど動かない。とかげは藁の間に体を差し込んでなんとか立った。立って前を向いた。
 犬の鼻先がとかげの右腕を支えて、とかげはもう一度両手を広げた。
「ねえ、もし気づいてないんなら言うけど」後ろで鼻を鳴らした犬が言った。「君に小さなしっぽが生えてるよ」
 とかげは笑った。しっぽがあるかどうかなんてもうどうでもよかった。ふたりをのせた貨物列車はどこまでも走っていった。

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