森の奥の水車小屋の翁

檀敬

 ボクが六歳の時だった。
「坊や、迷子になったのか?」
 その声にボクは振り返った。そこにはボロ布をまとったお爺さんが立っていた。
「キノコを採っていたら、誰もいなくなっていたんだ」
 頭から被ったボロ布の、その奥にあるお爺さんの顔が笑ったような気がした。
「そうか。この小川の流れに沿って歩いて行け。そうすれば必ず村に辿り着く」
「うん、分かった」
 そう返事をしておきながら立ち去らないボクに、水を汲み続けるお爺さんはまた声を掛けた。
「まだ何か用か、坊や?」
「お爺さんはいつからここで水汲みをしているの?」
「ずっと昔からだ。これがわしの仕事だ」
「フーン」
「早く行った方がいい。家族が心配するぞ」
 お爺さんがそう告げてからすぐに、ボクを呼ぶ母の声が聞こえた。
「母さん、ボクはここだよ!」
 大声でそう叫んでから、お爺さんにお礼を言おうと振り返った。だが、そこにお爺さんの姿はなかった。
 これがジュゼッペ爺さんとの出会いだった。もっとも、名前は後で知ったのだが。

 もう少し大きくなってから、ボクはジュゼッペ爺さんを探して森の中を歩き回った。時間は掛かったが、ジュゼッペ爺さんは森の奥にある水車小屋に住んでいることを突き止めた。それから毎日、ボクは水車小屋に通った。
「また来たのか、ピエトロ」
「だって、ジュゼッペ爺さんとの話は楽しいもん」
 頭から全身にボロ布をまとったジュゼッペ爺さんは仕事の手を休ませることなく、ボクと話をした。
「何を作っているの?」
「歯車さ」
 ジュゼッペ爺さんは、水車の回転から取り出した軸に刃物を取り付け、そこに輪切りの丸太を押し当てて周囲がギザギザになった円盤を削り出した。
「これを組み合わせることで便利になる」
 ジュゼッペ爺さんは水車小屋の中を指し示した。見ると、水車小屋の中に組まれた歯車がたくさんあって、それらが回転して水を運んでいた。
「こうした機械は便利なのだが、便利が人間に不幸をもたらした。便利すぎるっていうのも良くないのだろうな」
 そう言って、ジュゼッペ爺さんは黙々と作業を続けた。
「人間が不幸になった?」
 ボクは首を傾げる。
「そうだ。人間はとんでもない武器を作って人間を殺し、挙句の果てに地球を壊しそうになった」
 作業をするジュゼッペ爺さんの腕や手がボロ布の隙間から時々見える。鈍色で織り目のような模様があるのだが、テカテカと光沢がある。それはどう見ても人間の手には思えなかった。
「ジュゼッペ爺さんは人間じゃないの?」
 ジュゼッペ爺さんは動きを止めてボクを見た。
「あぁ、人間じゃない。『機械人形』だ」
 言い終わると、ジュゼッペ爺さんは作業を再開した。
「フーン」
 不思議だったが、ボクはそのことに驚かなかった。

 それから三年後のある日、いつものように水車小屋に行って話し掛けていると、ジュゼッペ爺さんは作業の手を止めてボクに歩み寄ってきた。
「君に託すことにした」
 ジュゼッペ爺さんは、そう言って鈍色の手を差し出した。その手のひらにキラキラと輝く結晶体が載っていた。
「これは何?」
 結晶体をボクに渡して作業に戻ったジュゼッペ爺さんは手を止めることなく答えた。
「それは『わしの心』だ」
 そう言ったあとは、何を尋ねても答えてくれなかった。

 結晶体をもらったその日に限って、家に帰り着くのが遅くなった。目印を付けて迷わないようにしていた道だったが、なぜか途中でその目印を見落としたらしい。
 帰りが遅くなった理由を正直に、母に話したのはまずかった。普段は優しい母がそれを聞いて激怒したのだ。
「えぇ?『森の奥の水車小屋で爺さんに会っていた』ですって! アレは悪魔よ! なんて恐ろしい子なの!」
 母の怒りは尋常でなく、父からも釘を刺された。
「よく聞くんだ、ピエトロ。あそこにいるのは恐ろしい魔物だ。だから、近づいてほしくないんだよ。父さんに『もう二度と森の奥には行かない』と約束してくれ」
 ジュゼッペ爺さんが人間ではないことを、父も母も知っていたことにとても驚いた。けれども、ボクは父との約束を守ってそれ以降は森に行かなかった。

 ボクは、ジュゼッペ爺さんにもらった結晶体をペンダントトップにして肌に離さず持ち歩いた。それを見る度にジュゼッペ爺さんを思い出して勉学に励んだ。どうしてもジュゼッペ爺さんの秘密を知りたかったから。そんなボクの学業成績が認められて、十五歳ながら飛び級で都会の大学校への入学を許可された。
 ジュゼッペ爺さんは自分のことを『機械人形』と言っていた。だから、ボクは迷わず工学を専攻した。そして、ジュゼッペ爺さんのことを知るために、大学校の蔵書にある工学の本を片っ端から読み始めた。
 しかし、蔵書に機械人形のことが記載された本は見当たらず、途方に暮れたボクは教授を頼った。
「君はそのペンダントのことを知りたいんだよね?」
 ボクの想いを見抜いていた教授は、研究室の奥から今にも朽ちそうな数冊の書類綴を持ってきてボクに渡した。
「これは、私が若い頃に発掘した『災厄』以前の機密書類だ。読めば君が知りたいことが分かるかもしれない」
 読んだボクはジュゼッペ爺さんが何者なのかを知った。

 零点能源を動力源とし、高度に学習された人工知能を酸化珪素結晶体に作り込んだ量子計算機上で稼働させ、生体化学融合素材を用いた筋肉や骨格と、高分子金属複合素材の装甲などの部品が組み付けられた『機械人形』がジュゼッペ爺さんであり、「失われた超技術で作られた世界最強の兵器」そのものだったのだ。
 現代の情報によれば、世界各地で遺物としてパーツでの発掘はされているが完全体での発掘例はなく、ましてや今も稼働している機体は一体もないとされている。
 しかし、秘匿名「ジュゼッペ」と呼ばれた機体だけは当時から経過記録なしであることを機密書類は告げていた。

 ボクはペンダントトップにしていた結晶体の解析を始めた。しかし、失われた技術が多すぎて解析は遅々として進まず、やっとの思いで小さな情報槽をこじ開けた。そこにはある装置の情報と短いメッセージが収められていた。

 ボクは、結晶体の解析結果と二つの気持ちを抱えて故郷に戻った。気持ちの一つは「その前にジュゼッペ爺さんが接収されるのでは?」という危機感、もう一つは「これがジュゼッペ爺さんの想いなのか?」という葛藤だった。

 森は、最後に来た時と同じ静けさを保っていた。以前と全く変わらないケモノ道が森の奥へと続いていた。生い茂った草木をかき分けて小川を辿った。
 ザザーッ、ザザーッと水を流す音が聞こえてきて、周囲を見渡す。小川の近くに鈍色の物体が最初に出会った時と同じ動作で水を汲んでいるのを見付けた。
「ジュゼッペ爺さん……」
 小さな呟きがジュゼッペ爺さんには聞こえたようだ。中腰だったジュゼッペ爺さんは水汲みを止めて背筋を伸ばした。同時に背中や頭の上にあった苔が滑り落ち、ジュゼッペ爺さんのボディが露わになった。百年以上経過したはずの融合素材は今も新品と同様の黒い光沢を放っていた。
「ピエトロがやってくれるのだね、わしの機能停止を」
「……うん」
 静かに頷いたボクは、ペンダントトップだった結晶体を組み込んだレイガンをジュゼッペ爺さんに向けていた。

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