花と歯車

ひいろ

「Verfborstelと言うの。貴方の国の言葉だと、そうね、より正確に表すなら、自描筆、とでも呼ぶのかしらね」
 形だけを見れば蕾を付けたユリと植木鉢だった。しかし、そのユリの蕾は黄金に輝く金属楕円体である。弧を描いて繋がる茎は、銀色の湾曲した金属板が鱗のように連なっており、根元の方には真四角な銅色の葉が二枚付いている。
光り輝く植物を支える植木鉢は木製で、深く彫り込まれた装飾が施されている。その側面に一つ、鍵穴があり、そこから、意図せずできたらしい亀裂が一筋走っている。
「……発条を巻くことで、箱から伸びた茎が動き、ああ、先端の蕾が万年筆のような構造になっているのですね、その筆が、紙に絵を描く、といった所でしょうか」
「正解! さすが清十郎だわ」
「アンネ様のヒントのおかげです。自描筆、という名称は、自鳴琴を元に考えられたのでしょう。よくご存知でしたね」
「優秀な家庭教師に教わったから」
「家庭教師ではなくただの軍人です」
 いつものようにアンネの誤りを正しつつ、語学教育の際にそんなことを教えただろうか、と思い返す。
「これから清十郎の国へ行って、貴方と一緒に過ごすのだもの。いくら勉強しても、し足りないわ」
怪訝な様子に気づいたアンネが、胸を張って言った。
「……私は、アンネ様の護衛任務のため隣にいるだけです。私との時間のために、労力を割くのはお止め下さい」
 軍人とは任務のための歯車であり、自分を偽ることなど造作もないことのはずだ。しかし、アンネの唇をきゅっと噛みしめた一瞬の表情に、胸に隠した物の違和感が誤作動のように湧き上がる。
「……話を戻すわ。これは、私の曽祖父が作った物なの。彼が時計技師だった頃に生み出し、軍将校の娘であった曾祖母に売り込んだと伝わっているわ。結果、その技術力を軍に認められ、曾祖母の家に婿入りを果たしたの。それがこの会社の始まり」
「それでは、この中に世界に革命を起こした数々の歯車技術が組み込まれているのですね」
 窓から外を眺める。目に映る工場、車、電灯や通信機器。この繁栄の礎たる歯車が目の前に詰まっているのだ。
「これさえなければ、世界が戦乱になることもなかった」
 機械を持つアンネの手に力が込められた。白く細い手の甲から骨が浮かび上がる。微かに震えていた。
「仮定の話は無意味です。アンネ様は、その戦乱を止めるために、極秘技術を持って我が国に亡命なさるのでしょう」
 強張ったアンネの手から機械を受け取るため、手を伸ばす。植木鉢を掴むと、彼女の指先に、自分の指先がわずかに重なる。それを撫でるようにこちら側へ寄せ、その重い塊を引き受けた。
「ありがとう、清十郎」
 力を抜いたアンネが自分を見る。その無防備な表情を見ると、自分の中でなにかが軋むような耳鳴りを覚える。
「それで、これはどのような絵を描くのですか」
 耐え切れず話題を進めるが、ここでアンネは、妙に緊張した、それで真剣な眼差しを機械の蕾に向けた。
「わからないの。これを動かすことを曽祖父は固く禁じていたから」
「なぜですか?」
「それもわからないの。曽祖父は相当な職人気質で、与えられた仕事を淡々とこなし、どれだけの成果を上げてもいつも険しい顔をしていたそう。きっと、この禁も、その気質の表れだろうと言われているけれど、詳しいことは」
 アンネは首からいつも付けていたネックレスを、服の内から引き上げた。彼女の胸元で金色の鍵が揺れる。
「でも、私は禁を破るわ。この先どんな結果になっても、ここに戻ることはないだろうから」
 アンネが鍵をはめ、回していく。「紙を」と頼まれ、持ち歩いていたノートを渡す。植木鉢の装飾に差し込まれ、キャンバスのような形で蕾の前に用紙が収まる。
「どうしてアンネ様は、私をこの場に呼んだのですか」
 カチ、と音を立てて鍵が止まる。アンネは笑った。
「この先どんな結果になるかはわからないけれど、私たちをこんな運命に巻き込んだ始まりを、見たかったの」
 清十郎と、一緒に。
 始まった駆動音の中に、そんな言葉を聞いた気がした。
 ギシギシとなにかが軋む音がする。金属の植物は茎をぎこちなく折り曲げ先端の蕾で絵を描いていく。時折動きを止め、かと思えば急に身を降って紙を少し破いてしまう。
 そんな挙動を見守っていると、唐突にその動きを止めた。
 描かれた絵は子供の落書きのようだった。強いて言えば、
「組み合わさった歯車、かしら。だいぶ形は歪だけれど」
 アンネも同じように感じたらしい。
「百年近く前の技術だしね。でも、曽祖父は、なにを考えていたのかしら。禁までした絵が、歯車、だなんて」
 アンネは力なく寂しげな笑みをこぼした。
「アンネ様」
 思わず声が出てしまった。アンネが驚いてこちらを見る。任務と関係のないことはするな。自分の声が脳裏を過ったが、胸の方で鳴るギシギシという残響にかき消されていく。
「アンネ様、この機械は、故障している可能性があります。先ほど巻かれた発条に対し、動きが少ないです。駆動音も劣化というよりは欠陥があるような響きを持っていました」
 言いながら、植木鉢の穴に指を入れ、木の枠を外す。中から緻密に組み合わされた形状も大小も様々な歯車が姿を現す。枠を外した振動で、機械はまた駆動を開始した。やはり、さっきの挙動は途中で止まっていたのだ。
 目を凝らして見つめると、整然と動く歯車の中で、ギシ、ギシと音を立てながら、時折動きを止めるものを見つけた。
「この歯車が原因でしょう。外装部の傷から察するに、地面に落ちるかして、この歯車が歪んでしまったようですね」
 その歯車を摘まみ、そっと取り外す。
「この歯車は……。アンネ様、このサイズの歯車を、どこかから探してきていただけませんか?」
「え?……ええ! もちろん」
 アンネが歯車をよく確認し、部屋を飛び出していく。
 自分も身に付けた機械から、歯車の代わりを探した。

 しばらくするとアンネが戻ってきた。その表情は暗い。
「……見つからなかったわ。特殊な規格のものみたい」
「私の方では一つ、代用できそうなものを見つけました」
 アンネが顔を上げる。まるで信じられないことを聞いたかのように、目が大きく見開かれている。
「今、組み込んでみます」
 手に持っていた歯車はぴったりと機械の空白に収まった。
 外装を元に戻し、アンネがもう一度準備し直す。
 カチ、と音を立てて鍵が止まる。
 そうして動き出した機械の植物は、前の動きとは全く異なっていた。銅色の葉が風にそよぐ様にバランスを取り、銀色の茎がやさしくなめらかに揺れる。そして金色の蕾が光を受けてきらきらと輝きながら紙を撫でていく。
 描かれた絵を手に取り、アンネは満面の笑みを咲かせた。
 抱えているのは、鮮やかな筆致で描かれた、満開の花束。
 それを見た瞬間、彼女の曽祖父の気持ちがわかる気がした。曾祖母に贈られた美しい花束。技術の軍事転用に喜ぶことのない顔。叩きつけたような痕のある機械の植物。
「清十郎!」
 アンネが急に飛び込んできて、ぎゅうと抱き着いてくる。
 その突然の行動に、思わず冷や汗が出てしまう。自分の胸に隠した物に気づかれないよう、そっと彼女を離す。
「ありがとう! 清十郎のおかげで、とても素敵な贈り物を受け取れたわ!」
「……戻りましょう。やるべきことを、やらないと」
「ええ、そうね。これでもう、思い残すことはないわ」
 そう言って、アンネは自分に背を向けて歩いていく。
 自分は、任務を果たすべく、彼女の後ろ姿を見つめる。

 胸の内から、隠していた発条式消音拳銃を取り出す。
 彼女に照準を合わせ、
 引鉄を引く。

 作動しなかった。当然だ。歯車が、欠けているのだから。

「アンネ様」と、彼女に気づかれないように拳銃を隠し、声をかける。「歪な歯車の絵は、こちらで処分しておきましょう」
「……これも持っていく。清十郎がくれたものだもの」
 アンネは花束と歯車を抱えながら、前に進んで行った。

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