盲目はアイを迎える

ポニーテ・エル・ウマオスキー

 僕にとって、彼女との別れの瞬間を思い出すことは簡単だった。
 ダイニングテーブルの上にはマグカップが一つ。対面に座る彼女は涙ながらに言葉を紡いでいた。紡いでくれていた。想い描く映像全てが真っ白な霧に包まれて、思考することすら鈍重になった僕のため。そう、彼女はいつだって僕のため。
「もっと大きな家に越したら、書斎を作ってね。二人で並んで腰かけて、好きな音楽流しながら、なんて」
 彼女は自重気味に笑いながら、壁際に置かれた小さな書棚を見やる。ワンルームに置ける冊数は限られていたが、僕らは読書が好きだった。図書館に足を運び、雑多に読み耽っては知らない世界に浸るのが楽しかった。
「まるで結婚したての二人みたいだ」
 僕がぼそりとそう呟けば、彼女はたちまち頬を赤くして、今度は照れ臭そうに笑った。目が合う。彼女の瞳に、きっとその時の僕はとても無機質に映っていただろうと思う。
 人と機械が共に暮らす世界を目指す。その幾段目かのステップで、試験的に一部の居住区へ所謂ヒューマノイドがあてがわれた。もう一年以上も前になるだろうか。そうして僕と彼女は出会うのだが、二人にとって過程などはもうどうでもいいのだ。きっと社会に求められていたのも結果だけであっただろう。
「結婚、してくれるの?」
「それは法的にかい。それとも僕らの周りが認めてくれれば?」
 もしくは、と言いかけて口をつぐんだ。空になったマグカップを手にとって立ち上がる。キッチンへ向かうすれ違い様、横目に見る彼女に静かにありがとうと告げられた。シンクにマグカップを置いて、そのまま腕時計に視線を落とす。十時を回っていた。そろそろ行く時間だが。
 彼女がテレビをつけたようだった。女性の声はさぞつらそうに、旧式個体の廃棄処分について悲劇めいて話していた。続いて話し始めたのは男性評論家のようで、テーブルに戻ると彼女は食い入るように画面を見つめていた。未だに現実を直視できないのはどうやら僕の方みたいだ。
「ヒューマノイドにも人格が、というと確かに酷い話だとそう思われても仕方ありませんが、ヒューマノイドは人ではない。いえ、言葉遊びではないですよ。我々が作ったものです。人と同様に環境に併せて学習し、成長するのは、そうなるように我々が作ったのです」
「でもそうして形成されたものが人格なのでは」
 それは人と同じではないですか、そう女性コメンテーターが噛みついた。評論家は穏やかな笑みを浮かべて淑やかに話す。その瞳に欺瞞の色が隠れているように思うのは、僕のうがった見方だろうか。
「ここで私がヒューマノイドについて語るには些か時間が、ね。もっと建設的に、今後の話をしましょう」
 今後の話。人との生活で培ってきたものは、次世代のヒューマノイドに活かされる。幾つもある課題を潰していくために、造られ、活かされ、壊されていく。最大限に個を制限された製品が、いずれこの世界に産み落とされるのだ。
「ごめんね。そろそろ、だよね」
 広告の途中でテレビを消して、僕たちは手を繋いで外へ出た。施設は奇しくも徒歩圏内にあったのだが、遠方の地域は回収班を派遣しているそうなので、むしろ都合が良かった。その道程で一体どれだけの人が振り返っただろうか。笑顔で思い出を語る彼女と、相槌を打つ僕を。繋がれた手を。無神経な言葉を背に感じながら、僕はその手を固く握り返した。彼女の手はとても温かい。
「注目されちゃってるね私たち」
 くすりと笑う彼女。僕は笑うことも泣くこともできずに、いよいよ施設の前までやってきた。まるでモーゼの十戒。マスコミと野次馬の群れ。さすがの量に彼女も尻込みしたようだった。ぱっと手を離すと、俯いたまま早足で入口へと向かった。バリケードで囲われた道。集音マイクのアーチを潜りながら、彼女のかかとを追った。背中で受け止めるのには数の多い言の葉が僕らを突き刺した。
「男の方がヒューマノイド?」
「女の方らしいよ」
 そうだ。僕なんかより彼女の方がずっと感情に富み、人間らしい。
「え、でも泣いてるよ」
 そうか、彼女は泣いているのか。
「空気中の水分からどうとかって。作り物だよ」
 違う。彼女は泣いているのだ。
「表面温度をコントロールして、人のそれに近いんだって。凄いよね」
 違う。彼女の温もりは造り出したものではない。彼女のものだ。
 どこかで聞き齧った情報を我が物顔で、はては悲観的に、彼女自身が造り出したものに目を向けないお前たちにこそ個はあるのか。涙も、体温も、あの笑顔も、彼女が意図して造り出したものに違いない。本を読み、世界を見て、人を知り、そうして造り上げたものに違いない。この時になってようやく、僕は世界に対する怒りを知覚した。規則正しく進む彼女の足を追いながら、声にならない声を置き土産に吐き捨てていく。気付けば僕たちは、施設の中へ足を踏み入れていたようだった。
「お帰りなさい。私はお前を歓迎するよ」
 受付の前に立つ白衣の男は両手を広げ、仰々しく僕たちを迎えた。男は口元だけに笑みを浮かべ、舐めるような視線を僕たちに向けた。まるで品定めでもするように。
「君、その子を愛しているのかい?」
 それは唐突な問いだった。反射的に違うと言いかけて、それと同時に隣に立つ彼女の肩がびくりと震えたのを視界に捉え、僕は口をつぐんだ。ヒューマノイドを愛するなど、なんて不毛なことだろう。非生産的。ヒューマノイドにとってもそうだ。人を愛するなど、潰されるべきエラーだ。何度も窘められてきたことだ。拳を握り、下唇を噛む。
「あなたは彼を愛しているのかい?」
 僕の答えを待たずして、ドクターの問いは続く。横を向けば彼女は、溜め込んだ涙を溢れさせ、何度も何度も目頭を拭い、そしてこくりと一つ、頷いた。
 僕は息を飲んだ。ふっと沸いたガヤは一瞬にして無音の世界に吸い込まれ、僕の見る景色は彼女独りとなった。視線が交錯する。じっと見つめるその瞳も、とめどない涙も、赤らむ頬も、作り物だという。どうやって作り出されるのか、そんなこと、二人にとってもはや過程などどうでもいいのだ。すれば僕たちは何も変わらない。それを迎える勇気さえ、僕にあれば。
「ありがとう」
 彼女の絞り出したようなか細いその一言が、最後の言葉になってしまうだろう。彼女は再び前を向いて、男のもとへ歩みを進めた。手を伸ばせば届いた距離が徐々に広がっていき、そして喧騒も戻る。
「観察していたよりもずっと、あなたは素晴らしい個体のようだね」
 仮面は落ち、男は歪んだ笑みを浮かべていた。
「あなたのエラーを潰すことが、次世代の一歩となるのだよ」
 あと一歩踏み出せば男の腕の中へ、というところで彼女は動きを止めた。男は広げていた手を下ろし、首を横にふる。まるで何かを諦めたかのように、自嘲気味に笑って。不穏で、ものものしい雰囲気が辺りに満ちていく。
 その空気を裂くように、彼女は踵を返して走り出した。状況を理解するより早く、彼女を抱き止めた。強く。存在を確かめるように。胸に抱いた彼女の頬に両手を添えて、口づけを交わした。嬉しいのか悲しいのか、崩れに崩れた彼女のその顔に、僕はようやくの笑みを向けた。そして手を取り、出口へと駆ける。ここを出たらどうしようか。珈琲を飲んで、図書館に出掛けよう。無数の本に囲まれて、いつか大きな部屋に構える本棚を夢想するのだ。ああ、いけない。走馬灯を描いてはいけない。ふと我に返る。軽くなった片手。握られたままの手。ただその手首から先は砕け散っていた。振り返れば、彼女の肘からは電流がほとばしり。声を出す間もなく、僕は組み伏された。ゆっくりと沈んでいく視界。彼女はもう一方の手を伸ばそうとしていた。合わない焦点でもはっきりと分かる。彼女の背後にある無数の銃口。彼女を迎えなければ。愛していると、そう告げるだけなのに。四肢を飛ばされ、挙げ句は頭部だけとなり、ごろりと僕の目の前に転がる。色を宿したままの瞳が僕を見た。そうか、ここに彼女がいるのか。
 額が合わさり、僕はただ涙した。

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