ふたりのルセット

ぬるまゆ

 語弊を生むことを覚悟して言うならば、天王須アイルは恋をしていた。隠喩を効かせた洒落た一文を詠んだわけではない。女子高生、天王須アイルは恋をしていた。モデル顔負けの風貌でも鼻にかけることなく、面倒見も良く会話は相手を選ばない。それでも浮わついた話もなく、ついには高嶺の薔薇とまで呼ばれるようになっていたアイルが恋をしている。高校二年の春、それは学年すら飛び越え全校生徒の知るところとなったのであった。
「今日は予定通りケーキ作りですからね」
 並べられた材料から調理器具の置き場所など、懇切丁寧な担当教諭の説明はアイルの耳に届くわけもなかった。男女四人で作業台を囲んで、彼女は教諭を背に毅然と前を見据えていた。言うまでもない。彼女の目の前には意中の男子が座っているのだ。
 羽田大地。今年からアイルのクラスに編入してきた転校生である。品行方正で外面も良く、おまけに運動もできる完璧超人として一躍有名になるも、住む世界が違いすぎるからと、気付けばアイドル的存在となっていた。
「ちょっとアイル、いくらなんでも見すぎでしょ」
「いいえ香織さん、これはチャンスなのですわ」
 アイルの恋が発覚した時、少なからず妬みもあれば、根も葉もない噂が流れもした。しかし結果として万人にこの恋が受け入れられることとなった要因には、彼女の「恋は盲目っぷり」にあった。
「先生へ向ける真面目な顔。その視線を怪しまれることなく独占するチャンス、なのですわ」
「いや、どう見ても不自然だからね」
 隣に座る恵の呆れた声を無視して、アイルはにへらと笑った。アイルさんって少し天然だよね。その評価は恋をきっかけに変わってると言われるようになり、半年も経てば親しみと慈しみを込めてアホの子と呼ばれるようになっていた。
「じゃあみんな、材料を取りに来て」
 先生が手を二回叩くと、各班はがやがやと席を立って実習の準備を始めた。二人一組となって材料と調理器具を揃えにそれぞれ動き出す。必然的にアイルと大地がペアを組んだことは言うまでもない。話をまるで聞いていなかったアイルだが、教科書を隅から隅まで読破して予習は完璧。カレーの材料だって暗記している。
「天王須さんはケーキ作ったことある?」
 教科書を片手に材料を拾っていた大地を隣で眺めていたアイルは、声をかけられたことに気付けずにいた。やがて視線が合うと、アイルはみるみる頬を染めて、ひきつった顔面は高笑いに崩れた。
「おほほほほ、ええ、もちろん作りまくっておりますわ!」
 口に手を当てふんぞり返るアイルであったが、もちろん作りまくってなどいない。予習も兼ねて昨晩、自宅でケーキを作ろうとしたところを母親に止められていた。
「僕もケーキ作るけど、誰かと作るのは初めてだから。天王須さんが同じ班で良かったよ」
 同じ班で良かったよ。その言葉を脳裏に焼き付け余韻に浸るアイルを他所に、周囲の女子たちも色めきだつ。まさかのスイーツ男子、きっと可愛い妹のため、シスコン、だがそれがいい。しかし相手はアイルの想い人。アイドル二人を画面越しに見ているような、そんなクラスメイト達であった。
 大地は黙々と材料を自分達の机へ運び続けていたが、恍惚とした表情で手に取った卵を愛でるように撫で続けていたアイルは、調理器具を揃えた恵に首根っこを掴まれ卵ごと回収された。
「ケーキ作りまくってるだなんて初耳なんだけど」
「ホットケーキ」
「ホットケーキ美味しいよね。僕もよく作るよ」
 あんたが甘やかすからアイルの阿呆が加速するのよ、なんてことを恵は内心で思いながらも、声に出さないのはやはり他のクラスメイトと同様に二人を思ってのことである。大地は不安になるほどの善人で、小学校から付き合いのあるアイルは大地が絡まなければ害はない。ただ、二人が揃う度にお花畑が展開されるのはさすがに癪なので、頬を掻きながらにやつくアイルを小突いて、ようやくケーキ作りを始めた。
「じゃあ私と和島くんがムースを作るから、そっちはメレンゲね」
「合点ですわ!」
 胸元で両手握り拳を作るアイル。想い人との共同作業。教科書通りに手順を踏んでいれば失敗することはまずないだろう。ホットケーキしか焼いたことのないアイルでも、教科書を丸暗記した彼女に不安はなかった。ぶつぶつと工程を復唱するアイルが卵を割ろうとしたところで、大地は不意に声をかけた。
「ねえ、アイルさん」
「な、なんですにょ!」
 声をかけられただけならまだしも、大地に一歩近寄られたアイルはいつにも増して動揺し、卵を握り潰すところであった。その大声に教室はしんと静まり返る。
「アイル、いい加減にその慣れないお嬢様口調やめた方がいいんじゃない。あんた酒屋の娘でしょ」
 沈黙を打破する恵のその一言でざわめきが戻った。アイルのお嬢様口調は今年になってのことだったが、元よりお嬢様らしい立ち振舞いだったこともあり、親の躾が厳しくなっただの、快活なお嬢様が大人の階段を登り始めただの、みんなは大して気にもしていなかった。だが、酒屋の娘ともなれば話は別である。イメージの乖離。ではなぜお嬢様口調に転じたのか、思えば理由は簡単だった。アイルを動かすのは大地しかいない。
「だって大地さんの前の学校、格式高いことで有名でしたし。この話し方の方が、慣れ親しんでいるのかと」
 ごにょごにょ、もじもじ。およそ大地と恵と、蚊帳の外になっている和島にしか聞こえないほどの小声で、アイルは俯きながらそう呟いた。
 半年も前になる。転校からしばらく、大地は落ち着かない毎日を過ごしていた。休憩時間の度に他クラスから女子たちが押し掛け、男子からのやっかみも激しかった。そんなときに声をかけてきたのがクラス委員長を任されていたアイルである。鶴の一声で親衛隊じみた女子たちは解散。部活を勧めてみれば、運動神経の良さを買った男子からの扱いも変わっていった。アイルはクラス委員長として当然のことをしたまでだと思っていた。しかし、責務を果たさんと妙に畏まるアイルを不自然に思ったのか、大地は臆面もなく自然体で接して欲しいなとど言ってのけたのだ。天王須アイルが恋を始めるキッカケは、単純にして明快だった。
「前の学校も規律厳しいわけではなかったけどね。でもそうか、ありがとう」
 大地は微笑みながら、びくりと震えたアイルの拳をそっと解いた。
「緊張してるようだったから代わりに卵を、ね」
 そう言って慣れた手つきで卵を割る。よかったら教えてあげるから一緒に頑張ろうよとハンドミキサーを手渡した。上気した顔をあげ、アイルはこくりと頷いた。
「えへ、えへへぇ」
「にやにやしてない。手を動かす」
 恵に急かされ、アイルは顔を綻ばせながらハンドミキサーを手にメレンゲを作り始めた。大地のため、教科書以上の出来を求めていたアイルは、温度や湿度を調べてホイッパーで地道に混ぜる予定であったのだが。
「底にくっつけないようにね。そうそう、天王須さん上手い上手い」
 そんなことを隣で大地に言われれば、ケーキの出来など二の次となってしまう。機械に頼ろうが、込める想いに変わりはないのだ。
「いつもの天王須さんで大丈夫だよ」
 あの時と同じ言葉をかけられ、アイルはふと冷静になる。顔はまだ赤いままで、視線を合わせることはできないけれど、大地の言葉に背中を押された気がした。
「天王須じゃなくて、アイルって、呼んでくれないかな」
 いつもの私はそう呼ばれているから。尻すぼみになった言葉がミキサーの音に消されずにどこまで届いたかは分からない。けれど。
「分かった。そうさせてもらうね、アイルさん」
 聞き耳をたてていたクラスメイト達から黄色い悲鳴。手元が狂ったアイルは顔面真っ白。全く作業が進まないんだけどどうしたものかと、恵は呆れながらも、頬杖をつき二人を見守る。和島は一人寂しく、ムースを作り終えていた。

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