少女っぽい機械
ムラサキハルカ
小学校に上がったばかりの頃、親に連れられやってきた科学館で、カケルは初めてそのアンドロイドを目にした。まだ自立型の人型アンドロイドが珍しかった頃のことだ。
「いらっしゃいませお客様」
年齢不相応のスーツを着た十代中頃の少女の形をしたそのアンドロイドは、科学館の入り口の端っこに立ち、人懐っこい笑顔をカケルとその家族に向けていた。カケルはその顔が可愛らしかったせいか、なんとなく目を合わせるのが照れ臭くなり、ぺこりと頭を下げてすぐ、自らの手を引いた母親に早く行こうと促した。しかし、父がそれに応じず、むしろ楽しげな様子ですごいだろうと言ってから、
「アンドロイドなんだぞ、この娘」
などと告げた。その言葉に含まれた興奮が、当時のカケルにはあまりぴんと来ず、ただただ人間の少女そのものといった姿をした機械の前から去りたくて仕方がなかった。
結局カケルは父と母にそれぞれの手をがっちりと捕まえられ、少女型のアンドロイドと記念撮影をさせられた。その後に何を見たのかはほとんど覚えておらず、唯一、
「またのご来場を心よりお待ちしております」
帰り際に少女の形をした機械から笑顔を振りまかれ、再び気恥ずかしくなったことだけが記憶に残っている。
次にカケルがそのアンドロイドと再会するまで、七年四ヶ月十日八時間五十二分三秒の時を待たなくてはならない。
「お久しぶりですお客様」
中学の社会見学で訪れた科学館で声をかけられたカケルは驚きつつも、少女の形をした機械を見返した。不思議と以前ほど照れ臭くはなかった。
「覚えてるんですか」
半信半疑で尋ね返すカケルに少女の形をした機械は、
「記録していることを覚えていると表現するのならばその通りです。私のメモリ内には今までこの科学館を訪れたお客様たちの情報が全て収められていますので」
笑顔でそう答えてみせた。カケルはその言葉が信じられず、もう少し詳しく尋ねてみたくなったが、担任教師にそんなところで油を売るなと叱られたため、一端その場を離れなくてはならなかった。
それから二時間八分二十二秒後、カケルはアンドロイドの元を訪れた。その時に二度目の入館をした時刻と、その時から現在の間にどれだけの時間が経過したかを告げられた。カケル自身はいつこの科学館を訪れたかを正確に記憶していなかったため、その場ですぐに少女の形をした機械の証言が正しいものであるのかを確かめるすべを持ち合わせていなかったものの、アンドロイド側に特に嘘を吐く理由が見受けられなかったこと、カケル自身が機械は間違えないという印象を持っていたこと、そしてなにより少年自身が少女の形をした機械の口から飛び出た音声を信じることに幸せを感じたことから、アンドロイドは本当のことを言っていると認めるにいたった。
そのあと自由時間の終了までカケルはアンドロイドと立ち話をした。初めて会った時はこの少女の形をした機械の周りにはもう少し人が集まっていた気がしたが、今ではそれほど目新しさがないせいか、時折、子供が近寄ってくる程度だった。
この少女型の機体には入館者及び退館者に対する挨拶という業務があったため、科学館への人の出入りがある度に話は途切れたものの、平日だったのもあいまって、社会見学に訪れたカケルたち以外の客は少なく、あまり気にはならなかった。
さほど中身のない話だったせいか、何を言ったり言われたりしたのかをカケルはあまり記憶していない。ただ、
「またのご来場を心よりお待ちしております」
退館時にかけられた前回と同じこの台詞に、以前よりも親しみを感じたのは覚えている。
次にカケルがこの少女型アンドロイドの前を訪れることになったのは五年十一ヶ月三日四時間三十九秒後。大学でできたばかりの彼女が、最近展示されはじめた好きな男性俳優にそっくりに作られたアンドロイドを見に科学館に行きたいと言い出したことがきっかけだった。その時になって、カケルはあの少女の形をした機械のこと思い出した。あのアンドロイドは今どうしているのだろう。そんな素朴な疑問が頭に浮かんだ。
そして当日、久々に訪れた科学館の建物はどことなく古臭くなっており、入り口の端で挨拶をしてきたのはかつての少女型アンドロイドではなく同じようにスーツを着た青年型アンドロイドだった。顔がタイプだったのか喜ぶ彼女を横目で見ながら、カケルは青年の形をした機械に、かつてここで挨拶をしていた少女型のアンドロイドを知らないかと尋ねた。青年型アンドロイドは快活な笑みを浮かべ、
「姉でしたら、異動になりましたよ」
と答えた。明らかに少女型の機械よりも年上の形をした機械が、あのアンドロイドのことを姉と言っているのに少しばかりおかしさをおぼえつつも、同時にカケルはほっとしてもいた。話を聞くに青年型アンドロイドの『姉』は今キッズコーナーの管理を任されているとのことだった。稼動当初から子供人気があったこと、年月が経ち型が古くなってしまったことなどが理由らしかった。
それから彼女が、俳優の外見や仕種、言葉遣いをそっくりそのまま模倣したアンドロイドの反応をたっぷり堪能したのを見計らって、カケルは自分も行きたいところがあると言い出し、キッズコーナーへと向かった。
「お久しぶりですお客様。随分と大きくなられましたね」
顔を合わせるとかつてと同じ姿をした少女型アンドロイドは、ちびっこたちにもみくちゃにされながら微笑んだ。実に幸せそうなその顔を見て、カケルはなんだかとても嬉しくなり、お久しぶりです、と頭を下げた。顔を上げると彼女にじと目で浮気なのと尋ねられて少々ひやっとしながら経緯を説明し、ひとまずは納得してもらった。その後、お決まりの前回の出会いから何時間経ったかという申告を聞いてから、簡単な近況などを話したりしてからすぐに別れた。カケルとしてはやや物足りなかったものの、業務中のアンドロイドにあまり迷惑をかけるわけにもいかないという思いからすぐに引き下がった。それに、ここにいるとわかればまた訪れることもできるという安心感もあった。
それからもカケルは時折、アンドロイドのことを思い出したが、科学館へと足を伸ばすまでにはいたらなかった。頭に少女型機械の姿が浮かんだ時、行くか、と思いはするものの、その時々の忙しさや別の用事などに引っかかり、すぐにまた今度でいいかと思い直してしまい、そのまた今度がやってくる前に忘れている。こんなことを繰り返しているうちに月日は刻々と過ぎ去っていった。カケルは大学を卒業し、地元の金融会社に就職した。更にその五年後にずるずると付き合っていた大学時代の彼女と結婚し、しばらく経ったあと、気紛れ程度に不倫をして一発でばれ、別居後にさほど未練を持たないまま離婚届けにサインをした。程なくして浮気相手とも切れたあと、会社の一つ下の後輩とよく飲むようになり、二ヶ月ほど付き合ってから結婚を決め、特に何事もないまま娘と息子が生まれた。それなりに苛々としたり喜んだりして暮らしていたある日の夕食時、
「巨大ロボットを見に行きたい」
小学生三年生の息子がハンバーグのソースで口元を汚しながらそう告げた。聞けば、あの科学館の新しい催しとのことだった。そこでカケルは久々に少女型アンドロイドのことを思い出した。会いに行くにはいい機会かもしれないと考えたあと、じゃあ次に休みがとれたらと断りを入れたうえで約束をかわした。あまり興味が沸かないらしい妻と姉である娘に、次はお前たちの行きたいところに行けばいいと交換取り引きを持ちかけて成立させたあと、二十年以上前に見たアンドロイドの姿を瞼の裏に浮かべた。何年か前のニュースで、科学館自体を建てかえたという話を聞いた覚えがあった。あの少女型の機械自体が三十年以上前の骨董品であるところからして、仮にまだあの場所にいたとしても良くて電源を抜かれたうえで展示されているか倉庫の中、悪ければスクラップ行きしているだろう。しかしもしも、まだ元気に動いていてあどけない笑顔を向けられ、
「お久しぶりです、お客様。随分とご立派になられましたね」
などと言われたりした日にはどうなるだろうか。そんなことを考えながらカケルは次の休みが来て欲しいような来て欲しくないよう微妙な気持ちになった。
「いらっしゃいませお客様」
年齢不相応のスーツを着た十代中頃の少女の形をしたそのアンドロイドは、科学館の入り口の端っこに立ち、人懐っこい笑顔をカケルとその家族に向けていた。カケルはその顔が可愛らしかったせいか、なんとなく目を合わせるのが照れ臭くなり、ぺこりと頭を下げてすぐ、自らの手を引いた母親に早く行こうと促した。しかし、父がそれに応じず、むしろ楽しげな様子ですごいだろうと言ってから、
「アンドロイドなんだぞ、この娘」
などと告げた。その言葉に含まれた興奮が、当時のカケルにはあまりぴんと来ず、ただただ人間の少女そのものといった姿をした機械の前から去りたくて仕方がなかった。
結局カケルは父と母にそれぞれの手をがっちりと捕まえられ、少女型のアンドロイドと記念撮影をさせられた。その後に何を見たのかはほとんど覚えておらず、唯一、
「またのご来場を心よりお待ちしております」
帰り際に少女の形をした機械から笑顔を振りまかれ、再び気恥ずかしくなったことだけが記憶に残っている。
次にカケルがそのアンドロイドと再会するまで、七年四ヶ月十日八時間五十二分三秒の時を待たなくてはならない。
「お久しぶりですお客様」
中学の社会見学で訪れた科学館で声をかけられたカケルは驚きつつも、少女の形をした機械を見返した。不思議と以前ほど照れ臭くはなかった。
「覚えてるんですか」
半信半疑で尋ね返すカケルに少女の形をした機械は、
「記録していることを覚えていると表現するのならばその通りです。私のメモリ内には今までこの科学館を訪れたお客様たちの情報が全て収められていますので」
笑顔でそう答えてみせた。カケルはその言葉が信じられず、もう少し詳しく尋ねてみたくなったが、担任教師にそんなところで油を売るなと叱られたため、一端その場を離れなくてはならなかった。
それから二時間八分二十二秒後、カケルはアンドロイドの元を訪れた。その時に二度目の入館をした時刻と、その時から現在の間にどれだけの時間が経過したかを告げられた。カケル自身はいつこの科学館を訪れたかを正確に記憶していなかったため、その場ですぐに少女の形をした機械の証言が正しいものであるのかを確かめるすべを持ち合わせていなかったものの、アンドロイド側に特に嘘を吐く理由が見受けられなかったこと、カケル自身が機械は間違えないという印象を持っていたこと、そしてなにより少年自身が少女の形をした機械の口から飛び出た音声を信じることに幸せを感じたことから、アンドロイドは本当のことを言っていると認めるにいたった。
そのあと自由時間の終了までカケルはアンドロイドと立ち話をした。初めて会った時はこの少女の形をした機械の周りにはもう少し人が集まっていた気がしたが、今ではそれほど目新しさがないせいか、時折、子供が近寄ってくる程度だった。
この少女型の機体には入館者及び退館者に対する挨拶という業務があったため、科学館への人の出入りがある度に話は途切れたものの、平日だったのもあいまって、社会見学に訪れたカケルたち以外の客は少なく、あまり気にはならなかった。
さほど中身のない話だったせいか、何を言ったり言われたりしたのかをカケルはあまり記憶していない。ただ、
「またのご来場を心よりお待ちしております」
退館時にかけられた前回と同じこの台詞に、以前よりも親しみを感じたのは覚えている。
次にカケルがこの少女型アンドロイドの前を訪れることになったのは五年十一ヶ月三日四時間三十九秒後。大学でできたばかりの彼女が、最近展示されはじめた好きな男性俳優にそっくりに作られたアンドロイドを見に科学館に行きたいと言い出したことがきっかけだった。その時になって、カケルはあの少女の形をした機械のこと思い出した。あのアンドロイドは今どうしているのだろう。そんな素朴な疑問が頭に浮かんだ。
そして当日、久々に訪れた科学館の建物はどことなく古臭くなっており、入り口の端で挨拶をしてきたのはかつての少女型アンドロイドではなく同じようにスーツを着た青年型アンドロイドだった。顔がタイプだったのか喜ぶ彼女を横目で見ながら、カケルは青年の形をした機械に、かつてここで挨拶をしていた少女型のアンドロイドを知らないかと尋ねた。青年型アンドロイドは快活な笑みを浮かべ、
「姉でしたら、異動になりましたよ」
と答えた。明らかに少女型の機械よりも年上の形をした機械が、あのアンドロイドのことを姉と言っているのに少しばかりおかしさをおぼえつつも、同時にカケルはほっとしてもいた。話を聞くに青年型アンドロイドの『姉』は今キッズコーナーの管理を任されているとのことだった。稼動当初から子供人気があったこと、年月が経ち型が古くなってしまったことなどが理由らしかった。
それから彼女が、俳優の外見や仕種、言葉遣いをそっくりそのまま模倣したアンドロイドの反応をたっぷり堪能したのを見計らって、カケルは自分も行きたいところがあると言い出し、キッズコーナーへと向かった。
「お久しぶりですお客様。随分と大きくなられましたね」
顔を合わせるとかつてと同じ姿をした少女型アンドロイドは、ちびっこたちにもみくちゃにされながら微笑んだ。実に幸せそうなその顔を見て、カケルはなんだかとても嬉しくなり、お久しぶりです、と頭を下げた。顔を上げると彼女にじと目で浮気なのと尋ねられて少々ひやっとしながら経緯を説明し、ひとまずは納得してもらった。その後、お決まりの前回の出会いから何時間経ったかという申告を聞いてから、簡単な近況などを話したりしてからすぐに別れた。カケルとしてはやや物足りなかったものの、業務中のアンドロイドにあまり迷惑をかけるわけにもいかないという思いからすぐに引き下がった。それに、ここにいるとわかればまた訪れることもできるという安心感もあった。
それからもカケルは時折、アンドロイドのことを思い出したが、科学館へと足を伸ばすまでにはいたらなかった。頭に少女型機械の姿が浮かんだ時、行くか、と思いはするものの、その時々の忙しさや別の用事などに引っかかり、すぐにまた今度でいいかと思い直してしまい、そのまた今度がやってくる前に忘れている。こんなことを繰り返しているうちに月日は刻々と過ぎ去っていった。カケルは大学を卒業し、地元の金融会社に就職した。更にその五年後にずるずると付き合っていた大学時代の彼女と結婚し、しばらく経ったあと、気紛れ程度に不倫をして一発でばれ、別居後にさほど未練を持たないまま離婚届けにサインをした。程なくして浮気相手とも切れたあと、会社の一つ下の後輩とよく飲むようになり、二ヶ月ほど付き合ってから結婚を決め、特に何事もないまま娘と息子が生まれた。それなりに苛々としたり喜んだりして暮らしていたある日の夕食時、
「巨大ロボットを見に行きたい」
小学生三年生の息子がハンバーグのソースで口元を汚しながらそう告げた。聞けば、あの科学館の新しい催しとのことだった。そこでカケルは久々に少女型アンドロイドのことを思い出した。会いに行くにはいい機会かもしれないと考えたあと、じゃあ次に休みがとれたらと断りを入れたうえで約束をかわした。あまり興味が沸かないらしい妻と姉である娘に、次はお前たちの行きたいところに行けばいいと交換取り引きを持ちかけて成立させたあと、二十年以上前に見たアンドロイドの姿を瞼の裏に浮かべた。何年か前のニュースで、科学館自体を建てかえたという話を聞いた覚えがあった。あの少女型の機械自体が三十年以上前の骨董品であるところからして、仮にまだあの場所にいたとしても良くて電源を抜かれたうえで展示されているか倉庫の中、悪ければスクラップ行きしているだろう。しかしもしも、まだ元気に動いていてあどけない笑顔を向けられ、
「お久しぶりです、お客様。随分とご立派になられましたね」
などと言われたりした日にはどうなるだろうか。そんなことを考えながらカケルは次の休みが来て欲しいような来て欲しくないよう微妙な気持ちになった。
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