代替品
ポピ
「あなた、まだキャロルを使っているの? いい加減お払い箱にしてよ」
週末の夕暮れ時、四郎に妻の富栄がこう切り出すのはいつものことである。
「君もくどいな。キャロルをお払い箱にする理由がどこにあるんだ。データのバックアップはあるから、他の秘書ロボットに変えることは造作でもないが、キャロルは幾度もパーツ交換をして、未だ現役。わざわざ迫られてもない大きな支出をする必要はないだろう」
四郎がこう返すのもまた恒例のことである。四郎は四代続いた町工場を経営している。キャロルは初代から使役されている秘書ロボット。とうにメーカーの保証期間など切れている、旧式どころか旧旧旧旧……と重ねればキリがないほどの旧式タイプだが、そこは本職、必要な部品があれば自作して使い続けてきた。ロボットはいい。ヒトと違い、バックアップを取っておけば業務や経験を引き継ぐ必要がない。今や熟練工以上に社の歴史を熟知しているキャロルを手放す理由など、四郎にとっても社にとってもあるわけがなかった。
ただ、富栄がキャロルを遠ざけたい気持ちも判る。キャロルは人型なのだ。それも金髪、碧眼の鼻筋の通った白人美人女性。「秘書」と聞いて前世紀の人間が期待するようなルックス。今どき秘書ロボットが金髪女性タイプなんて、ナンセンスすぎて、いつフェミニスト団体から中傷されるとも限らない。それに。
「君が嫌がってるのはアレだろう? あの機能を取るのはやぶさかではないけれど、できれば触れたくない僕の気持ちも判るだろう」
キャロルには擬似性交用としての機能がある。秘書ロボットを性交の代用品としてみなすなんて前前前時代であるが、そもそも前前前時代の遺構なので文句の言いようもない。金髪美人を造形した以上、仕事以外の機能も期待したくなるのは、技術者あるいは購入者に男性が多かった頃の名残でもあろう。もっとも、今も秘書ロボットにそのような機能が残っていることが世間にバレたら、いつフェミニスト団体から火をかけられるとも限らない。が、自分の父、祖父、曽祖父が使った部分と思うとおぞましくて触れる気に四郎はならなかった。曽祖父など四郎が生まれる前に亡くなっている。父からキャロルを譲り受ける際、他の事項とは別にその使用法も教えられたが、四代で穴兄弟になる趣味は四郎にはない。
「そんな秘書ロボットと夫が連日8時間も共にしている妻の身にもなってほしいわ」
「そうは言うけど、キャロルには性交時の記憶記録機能はないんだ。こちらが気にしなければいいだけさ。もう僕の代になってから五十年、もはやあの部分も錆びているかもね」
「そこから他に影響があるんじゃないの。一度見てみた方が」
「それを言うならね、君が最近訴えている腰痛。あれも一度見た方がいいかもしれない」
「キャロルと私を一緒にしないでください」
富栄はとっさに気色ばんだ。技術屋の癖かもしれない。四郎はロボットと人間を同等に扱うことに何のためらいもないが、富栄はそれをとても嫌がる。四郎はため息をつきながら返した。
「一緒にはしていないが、似たようなものだろう」
「似てないわ。キャロルに意思はない。私にはあります。私は自分が要る機能を選ぶ意思があります」
「キャロルにだって機能を備えれば意思決定も可能だよ。それより、君はそろそろ腰に手を入れる頃じゃないか。君は自分をケアする順番を間違えているよ」
「それは、あなたのためでしょう。あなたが若い女を好きだから、あなたのために手を入れているんです」
「そんなことはない、と僕はその度に言っているよね」
「いいえ、あなたのお父様やお祖父様、曽祖父様が何故キャロルに手を出したと思います? 当時は法的整備がなく、倫理的ルールにより人体の改良が認められなかったから、老いていく妻に目を背けてキャロルに欲望を向けたんですよ」
「僕は父たちとは違う。僕は君と添い遂げるつもりで一緒になったんだ。一緒に年を重ねて、一緒に老いて、同じ墓に入る……」
そこまで言って、四郎は口をつぐんだ。
沈黙の意味を、富栄も理解した。
「一緒に年を重ねるのは、昔は当たり前でしたけど今は難しいものですね」
「そうだね。僕も君に合わせた見た目にすべきかな」
四郎は書斎の椅子に座ったまま、窓の側へと回転させて富栄に背を向けた。
夕と夜が入り混じる空を映す窓ガラスに、四郎が映る。その容貌は五十近い壮年の面影を宿している。背後の富栄は二十代前半。四郎ですら一度容貌をいじっているが、富栄はもう回数が分からなくなっている。
「それでも、君が痛みを訴えるのはつらい。一度腰を見よう。必要なパーツが分かれば自作もできるだろう」
「ありがとうございます」
「うちには熟練工の田吾作さんがいるからね。もうすぐ勤労百年の」
「田吾作さんって、いじってないところあるのかしら」
「さあどうかな。なんでも、あっちは真性パーツのままだ、なんてうそぶいていたけれど」
「あら。田吾作さん、奥さんに先立たれて長いですよね。……キャロルの管理、ちゃんとしてくださいね」
「そういや田吾作さんは初代から勤めているからな……、まさかな」
まあ、嫌だわ田吾作さん、などとぼやきながら富栄は書斎を後にして、四郎は毎週の課題をやり過ごすことに成功した。
「『キャロルと私を一緒にしないでください』か……」
もう漆黒の闇となった外を眺めながら、四郎は先ほどの富栄の言葉を反芻していた。
キャロルと自分たちを隔てる壁など、もはや肉体から生まれ落ち肉体を生まれながらに得ていただけに過ぎない。生殖以外はすべて可能なのだ。
四郎はその右手を見つめた。四郎が最初に体に機械を入れたのはこの右手だった。若き日に旋盤で怪我をして、代償にこの義手を得た。時代が時代なら「障害」と呼ばれていただろう。だが今、身体のパーツを取り替えることをそうは呼ばない。生活に支障など何もないから障害などない。先天性の障害も生後すぐに対処される。そのような世界で、肉体など何の意味があるだろう。今や人工授精に加えて人工出生も可能だ。それでも性交の慣習だけが残っているのがいびつにも思えるが、人工に生まれ落ちた若い世代は性交すらしないという。機能があるのに使われないなら、キャロルと何の違いがあるのだろう。
と、書斎の扉がそっと開いた。富栄である。
「また考えごとをしていないかと思って。以前お話の後で、窓ガラスを割ったことがあったでしょう」
「義手の神経がちゃんと生きているか確かめただけさ」
「一度だって大ごとです。わたしがどれだけ心配したか」
富栄とキャロルのことでもめた後、ときどき四郎は自分が血の通った、肉体を持った人間であることを確認したくなる。何故なのだろうか。
「今度ジョギングでも再開しようかな」
「何故? 脂肪細胞はもう大分減らしたでしょう」
「体に負荷をかけたいなと思って」
「不都合や痛みを取るために体をいじるのに、体をいじめたくなるなんて不思議な人」
そうだね、と四郎も返したが、ときどき若い頃、まだ自分のほとんどを肉体が占めていた頃のあの不都合さが恋しくなる。運動に耐えかねて息が続かないあの苦しさ、翌日の筋肉痛。連日運動を重ねた後に覚える、あの体の軽さ。筋肉がいつの間についていて、できなかった動きが可能になっているあの身軽さを、今も体験できるだろうか?
キャロルに意思や感情があれば、と思う。彼女の本音が聞ければ、自分の迷いも消えるだろうか。この体で生きている実感が湧くだろうか。
いや、どうだろうか。キャロルはその時点で自害するかもしれない。それを見て、生きている実感を得ようとするのは、あまりに身勝手すぎる。それはキャロルを使って欲望を満たした父や祖父や曽祖父と何の違いがあるだろうか。
四郎はひとりごちた。
「所詮キャロルは道具なのさ」
週末の夕暮れ時、四郎に妻の富栄がこう切り出すのはいつものことである。
「君もくどいな。キャロルをお払い箱にする理由がどこにあるんだ。データのバックアップはあるから、他の秘書ロボットに変えることは造作でもないが、キャロルは幾度もパーツ交換をして、未だ現役。わざわざ迫られてもない大きな支出をする必要はないだろう」
四郎がこう返すのもまた恒例のことである。四郎は四代続いた町工場を経営している。キャロルは初代から使役されている秘書ロボット。とうにメーカーの保証期間など切れている、旧式どころか旧旧旧旧……と重ねればキリがないほどの旧式タイプだが、そこは本職、必要な部品があれば自作して使い続けてきた。ロボットはいい。ヒトと違い、バックアップを取っておけば業務や経験を引き継ぐ必要がない。今や熟練工以上に社の歴史を熟知しているキャロルを手放す理由など、四郎にとっても社にとってもあるわけがなかった。
ただ、富栄がキャロルを遠ざけたい気持ちも判る。キャロルは人型なのだ。それも金髪、碧眼の鼻筋の通った白人美人女性。「秘書」と聞いて前世紀の人間が期待するようなルックス。今どき秘書ロボットが金髪女性タイプなんて、ナンセンスすぎて、いつフェミニスト団体から中傷されるとも限らない。それに。
「君が嫌がってるのはアレだろう? あの機能を取るのはやぶさかではないけれど、できれば触れたくない僕の気持ちも判るだろう」
キャロルには擬似性交用としての機能がある。秘書ロボットを性交の代用品としてみなすなんて前前前時代であるが、そもそも前前前時代の遺構なので文句の言いようもない。金髪美人を造形した以上、仕事以外の機能も期待したくなるのは、技術者あるいは購入者に男性が多かった頃の名残でもあろう。もっとも、今も秘書ロボットにそのような機能が残っていることが世間にバレたら、いつフェミニスト団体から火をかけられるとも限らない。が、自分の父、祖父、曽祖父が使った部分と思うとおぞましくて触れる気に四郎はならなかった。曽祖父など四郎が生まれる前に亡くなっている。父からキャロルを譲り受ける際、他の事項とは別にその使用法も教えられたが、四代で穴兄弟になる趣味は四郎にはない。
「そんな秘書ロボットと夫が連日8時間も共にしている妻の身にもなってほしいわ」
「そうは言うけど、キャロルには性交時の記憶記録機能はないんだ。こちらが気にしなければいいだけさ。もう僕の代になってから五十年、もはやあの部分も錆びているかもね」
「そこから他に影響があるんじゃないの。一度見てみた方が」
「それを言うならね、君が最近訴えている腰痛。あれも一度見た方がいいかもしれない」
「キャロルと私を一緒にしないでください」
富栄はとっさに気色ばんだ。技術屋の癖かもしれない。四郎はロボットと人間を同等に扱うことに何のためらいもないが、富栄はそれをとても嫌がる。四郎はため息をつきながら返した。
「一緒にはしていないが、似たようなものだろう」
「似てないわ。キャロルに意思はない。私にはあります。私は自分が要る機能を選ぶ意思があります」
「キャロルにだって機能を備えれば意思決定も可能だよ。それより、君はそろそろ腰に手を入れる頃じゃないか。君は自分をケアする順番を間違えているよ」
「それは、あなたのためでしょう。あなたが若い女を好きだから、あなたのために手を入れているんです」
「そんなことはない、と僕はその度に言っているよね」
「いいえ、あなたのお父様やお祖父様、曽祖父様が何故キャロルに手を出したと思います? 当時は法的整備がなく、倫理的ルールにより人体の改良が認められなかったから、老いていく妻に目を背けてキャロルに欲望を向けたんですよ」
「僕は父たちとは違う。僕は君と添い遂げるつもりで一緒になったんだ。一緒に年を重ねて、一緒に老いて、同じ墓に入る……」
そこまで言って、四郎は口をつぐんだ。
沈黙の意味を、富栄も理解した。
「一緒に年を重ねるのは、昔は当たり前でしたけど今は難しいものですね」
「そうだね。僕も君に合わせた見た目にすべきかな」
四郎は書斎の椅子に座ったまま、窓の側へと回転させて富栄に背を向けた。
夕と夜が入り混じる空を映す窓ガラスに、四郎が映る。その容貌は五十近い壮年の面影を宿している。背後の富栄は二十代前半。四郎ですら一度容貌をいじっているが、富栄はもう回数が分からなくなっている。
「それでも、君が痛みを訴えるのはつらい。一度腰を見よう。必要なパーツが分かれば自作もできるだろう」
「ありがとうございます」
「うちには熟練工の田吾作さんがいるからね。もうすぐ勤労百年の」
「田吾作さんって、いじってないところあるのかしら」
「さあどうかな。なんでも、あっちは真性パーツのままだ、なんてうそぶいていたけれど」
「あら。田吾作さん、奥さんに先立たれて長いですよね。……キャロルの管理、ちゃんとしてくださいね」
「そういや田吾作さんは初代から勤めているからな……、まさかな」
まあ、嫌だわ田吾作さん、などとぼやきながら富栄は書斎を後にして、四郎は毎週の課題をやり過ごすことに成功した。
「『キャロルと私を一緒にしないでください』か……」
もう漆黒の闇となった外を眺めながら、四郎は先ほどの富栄の言葉を反芻していた。
キャロルと自分たちを隔てる壁など、もはや肉体から生まれ落ち肉体を生まれながらに得ていただけに過ぎない。生殖以外はすべて可能なのだ。
四郎はその右手を見つめた。四郎が最初に体に機械を入れたのはこの右手だった。若き日に旋盤で怪我をして、代償にこの義手を得た。時代が時代なら「障害」と呼ばれていただろう。だが今、身体のパーツを取り替えることをそうは呼ばない。生活に支障など何もないから障害などない。先天性の障害も生後すぐに対処される。そのような世界で、肉体など何の意味があるだろう。今や人工授精に加えて人工出生も可能だ。それでも性交の慣習だけが残っているのがいびつにも思えるが、人工に生まれ落ちた若い世代は性交すらしないという。機能があるのに使われないなら、キャロルと何の違いがあるのだろう。
と、書斎の扉がそっと開いた。富栄である。
「また考えごとをしていないかと思って。以前お話の後で、窓ガラスを割ったことがあったでしょう」
「義手の神経がちゃんと生きているか確かめただけさ」
「一度だって大ごとです。わたしがどれだけ心配したか」
富栄とキャロルのことでもめた後、ときどき四郎は自分が血の通った、肉体を持った人間であることを確認したくなる。何故なのだろうか。
「今度ジョギングでも再開しようかな」
「何故? 脂肪細胞はもう大分減らしたでしょう」
「体に負荷をかけたいなと思って」
「不都合や痛みを取るために体をいじるのに、体をいじめたくなるなんて不思議な人」
そうだね、と四郎も返したが、ときどき若い頃、まだ自分のほとんどを肉体が占めていた頃のあの不都合さが恋しくなる。運動に耐えかねて息が続かないあの苦しさ、翌日の筋肉痛。連日運動を重ねた後に覚える、あの体の軽さ。筋肉がいつの間についていて、できなかった動きが可能になっているあの身軽さを、今も体験できるだろうか?
キャロルに意思や感情があれば、と思う。彼女の本音が聞ければ、自分の迷いも消えるだろうか。この体で生きている実感が湧くだろうか。
いや、どうだろうか。キャロルはその時点で自害するかもしれない。それを見て、生きている実感を得ようとするのは、あまりに身勝手すぎる。それはキャロルを使って欲望を満たした父や祖父や曽祖父と何の違いがあるだろうか。
四郎はひとりごちた。
「所詮キャロルは道具なのさ」
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