加藤

キサラギスメラギ

 加藤は並外れた腕力を持っていた。彼は同じ学校の、中でも一番目方がある人間を、地上から二階の教室まで、砲丸投げの要領で送り届けようと画策した。教室の床には、体育倉庫から運んできたマットが二段重ねに敷き詰められた。加藤ほどではないにしろ、新年度の体力テストで毎年「9」以上の平均スコアを叩き出す選りすぐりの男たちが、教室とその屋外に配置された。
 万事整ったわけであるが、加藤には不安が一つあった。彼が立っていたのは目標地点からちょうど斜め下で、そこから直接、開け放たれた窓めがけて男を発射する予定だったのだが、校庭には銀杏の木が、極めて短い間隔で並行線上に並んでおり、密集した枝が、窓を完全に覆い隠していたのだ。そんなところに投射すれば彼の体も無事では済まない。痛みに暴れ回ることがあれば、せっかくの緻密な計画もおじゃんになる。そこで加藤は計画を一部変更し、銀杏の木を飛び越え、男が墜落するその軌道上に窓が来るよう、立ち位置を調整することにした。
 だが加藤は計算が苦手だったので、科学部の連中に集まってもらい、どの位置で、またどのくらいの力で投げればいいのかを相談した。彼らは全面的な協力を約束し、わざわざ物理演算までしてくれた。計算はその日には間に合わず、翌日になってから、その成果が明らかとなった。
 加藤に提示されたのは、「10528」という謎めいた数値だった。これだけでは何のこっちゃだったので、加藤はさらに問いつめた。しかし、科学部の連中は徹夜で作業をしていたらしく、数字だけ見せるとさっさと部室に帰っていった。家に戻って睡眠を取ればいいところ、こうも部室に拘るというのは、加藤の計画の実現の瞬間を、リアルタイムで目撃したいという下心の表れなのかもしれない。
 加藤はいよいよ手詰まりになった。その腕力をもってすれば、二階まで届かせるなど朝飯前だ。問題なのはむしろ、どの程度「遠慮して」投げればいいのかということ、そして、地上の加藤にとってほんの僅かな隙間でしかない窓枠に、どうやってこの男の子をジャスト・ミートさせられるかということだった。
 考えてみれば、加藤がこれから投げようという人間は、窓枠に収まらないのではないかと思えるくらい、極度に太っていた。なるたけ目方のある方が、納得のいく結末になるだろうという算段から、加藤は学校で一番太った人間を採用した。だがそいつは、何しろスライムみたいな太り方だったために、窓枠の横の幅に、どう見積もっても収まる気配がしないのだ。加藤は科学部の部室に乗り込み、新たな不安事項を報告した。だが、そればっかりはどうしようもないよと一斉に匙を投げられる有様だった。
 それでも加藤は諦めなかった。お前らだって、実現するところを見てみたいだろ? 全面的に協力するって、言ってくれたじゃないか。あの言葉は嘘だったのか? 科学部の連中は、揃いも揃って無能集団なのか?
 科学部の一人は、ちょっと待っていろと言って部屋を出た。しばらくすると、別の見ない顔を引き連れて戻ってきた。訊けば彼は、薬学研究部の人間であるらしい。後からどやどやと、同じく薬学研究部の連中が募ってきた。彼らは白衣に眼鏡という、見るからに研究の好きそうな恰好で、加藤を包囲した。彼らは興味津々のいたいけな視線で、加藤を隈なく観察していた。女子も当然その場に混じっており、男子よりもむしろ積極的に、加藤の服をめくったり、皮膚を抓んだりした。その一挙手一投足は、申し訳ないが飢えた獣を彷彿とさせた。加藤はそうした態度に不快になったものの、自分の計画を成功させるためであればという固い信念のもと、それが過ぎ去るのをじっと待っていた。
 いよいよパンツ一丁(加藤はブリーフ派だった)になったところで、薬学研究部の部長からの制止が入った。このくらいでいいだろう。それで? 観察の結果は。
 白衣に身を包んだ女子たちは、口々に叫び声を上げた。彼のポテンシャルは素晴らしいです! 下手な鍛え方ですと僧帽筋が妙に張り出してしまい見栄えが悪くなりますが、彼の場合そんなことはなく、広背筋や三角筋はもちろんのこと、大胸筋やそれから忘れてはならないのは前鋸筋ですね、あんまりやりすぎるとエイリアンみたいになりますけれども、ここを鍛えている人というのは疑いなく全体をバランスよく鍛えていらっしゃるということで、また特徴的なのが二頭筋よりも三頭筋の方が発達しているということで、わざわざ腕を曲げて筋肉を強調してくるよりも、普通にこう立っている時にふと気づくあの魅力っていったらないですね、あとは首筋の辺りなんかも……。
 女子たちが再び触れようとしてきたので、もういいじゃないですかと、加藤は若干引き気味で断った。しかし、それでも往生際の悪い女が存在したので、加藤はムッとし、彼女を少し強い力で押し返した。掌底を受けた女は、ガラス窓を突き破って校庭に落下し、そのまま一メートルほど地面を抉った。着ていた白衣は、掌底の威力で木っ端微塵になり、ただの繊維となって中空を漂った。
 すまないね、うちの連中が、と部長は言った。どれどれ、私にもちょいと、試させてくれたまえ。
 御託はもう好いですからと加藤が急かすと、部長は態度を改めて真面目に説明し出した。つまりだ、窓枠に投擲物が収まり切らないのなら、その周辺ごと、君の腕力で吹き飛ばしてしまえばいいのではないか?
 というと? と加藤が首をかしげると、つまり、こういうことだよと部長は、黒板に何やら板書を始めた。
 これが君で、ここが窓、という風に、部長はまるでチンパンジーに芸を教え込む時のような丁寧さだった。おかげで、加藤のような人間にも、彼の言いたいことがすんなりと理解できた。つまり、ゴール自体を広げてしまえばいいというわけだ。
 薬学研究部部長は全ての絵を消した後、人差し指を立ててみせた。これで君の問題は解決するだろう。だがまた新たな問題が噴出することとなる。君が校舎の壁を貫通するほどの力で投げるとすれば、窓に一直線に投げる必要がある。だがそうするには、銀杏の木が非常な邪魔となる。どけなければ、壁を突き破るほどの速度を保てないだろう。さらに、せっかく教室にマットを広げたところで、さっき軌跡を描いてみせたように、男は天井を突き抜けて飛んで行ってしまうだろう。この場合対策は簡単で、着地地点にマットを広げればいいだけなのだが、そうすると、マットを一体何段重ねにすれば安全性が保てるかということ、また、当の着地地点がどの位置に来るかというのも、新たに計算し直さなくてはならないわけだが……。
 加藤は眠たくなってきてしまい、何もかもわかった、けど今日はもう眠いから、実行は明日にしないかと提案をした。薬学研究部は了承し、みんなで一斉に科学部の部室から退出した。加藤もその後に続いた。その際、窓の修理代を、科学部の人間に手渡しすることを忘れなかった。
 そのようにしてあらゆる検討を重ねた末、加藤は最初に自分の計画したこと、つまりこの学校で一番目方のある人間を、校舎二階の窓に投げ入れるという荒業をやり遂げたわけであるが、彼自身、この結果にはいまいち納得しない様子だった。俺は周囲に頼り過ぎてしまった。これじゃあまるで、こっちが実験に付き合わされたみたいじゃないか。科学部も薬学研究部も、貴重なデータが取れたということで、心底満足していた。実際、加藤よりも彼らの方が、成功の瞬間にはワッと叫び声を上げていたものだ。

 今日、加藤という名前とその腕力について、知らない人間はこの世にはいないと言ってよかった。自分の腕力がこれからも他人に利用され続けたらという危惧から、自分で自分の頭を殴りつけるという勇気ある自殺を遂げて以来、加藤は神話の登場人物になぞらえられた。科学部・薬学研究部の連中は、加藤をテーマにした論文でコロンビア大学の博士号を取得した。加藤に吹き飛ばされた女は、一生を病棟で過ごさなければならなくなったものの、彼女の言葉には予言能力があるとどこかの地方雑誌が取り上げたところ、本当にそのようになってしまった。投擲された太った男は、全身を打撲したが脳に異常はなく、次の日から普通に登校していた。それは彼が相撲部だからと、同級生はしきりに噂していたものの、その二年後に彼は糖尿病で死んでしまった。砲丸投げを競技種目とする陸上選手は、もれなく「加藤の生まれ変わり」と綽名され、しまいには「Kato」の固有名詞がオックスフォード辞典に記載されるという珍事に発展した。加藤の肉体の秘密をついに解き明かした、とある社会主義国家が、彼と同等の腕力を持つ10528体の人間兵器を各国に忍ばせ、一斉にテロ行為に及ぶなどとは、当時誰が予測しえたであろう。

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