マッチと 絵本と くうふくのくに

ひいろ

 レシピ通りに調理した。
 なのに、あの味には遠い。
 もう一度、完成したローストチキンを菜箸で小さく取り分け、口に含む。違う。物足りない。
 私は手順を思い返した。が、やはり原因はわからない。そもそも、フライパンで作るローストチキンでミスをすることはあり得ないし、したとしても、ここまで記憶の中の味と食い違うとも思えない。
 つんと鼻をくすぐる、深く淡い香り。甘いような、苦いような。あの風味は、どこから生まれたのだろう。
 レシピを書いたあの人に聞けばすぐにわかるはずなのだけれど、待っているのに帰ってこなかった。
「みゆきちゃん、料理まだー?」
 子供の声が聞こえてきて我に返る。
「できたよ。今持ってく!」
 ダイニングへ出ると、パーティの準備で大騒ぎだった。
「もう本は片付けて」「築野くんはどこ?」「ここに置いたのに! あれがないとキャンドルが」「ツリーの電気消しちゃったのコイツだし!」「料理が来るよどいて!」
 どうにか料理の盛りつけが終わり、いよいよクリスマスパーティ開始、という段階になって、「深雪さん」と、新人スタッフくんが慌てて私に話しかけてきた。
「すみません、子供の数が、一人、合わないんです」
「参加表、出し忘れてる子がいるんじゃない?」
「違うんです、足りないんです。参加表は二十人分あるのに、数えたら十九人しかいなくて……」
 そう言われて、私も周りを見渡す。テーブルについている子供は、確かに十九人しかいなかった。
「あ、そういえば」と、今日来ている子供の中では最年長の、高一の女の子が口を開いた。「築野がいないね」
 その言葉に周りの子も反応する。「あれ、さっきまでいたのに」「なんか絵本とか小さい箱を持って、外に出たよ」「え、家族と過ごすから来ないって言ってたじゃん」「違うよ、やっぱりコッチになったんだよ。親から学校に電話来て、アイツ暴れてたもん」「先生が参加表書いてたね」
「ありました。築野くんの参加表」新人スタッフくんが真っ青な顔で言う。私は落ち着くように声をかけ、念のため保護者に連絡を取るように指示を出す。
「私、いなくなった子、探してきます」
 ベテランスタッフさんに告げ、私は外に出た。

「来週のクリスマスもここで食事ってかわいそうですよね」
 あの時、それは会話の場繋ぎとして言っただけだった。
 でも、あの人は、私の言葉を聞いて、「かわいそう、なんて、軽々しく言うべきじゃないよ」と返した。
 私はショックで皿洗いの手を止めた。当たり前だと思っていたことを否定されたから、だけではなく、たしなめる微笑みにうっすらと、軽蔑するような空気を感じたからだ。
「年に一度のクリスマスを家族と一緒に居られないことがかわいそうじゃないって言うんですか?」
「ううん、そういう話じゃなくて、ね」
「じゃあ世界にはパーティもできないくらい貧しい子供もいるからとかここはまだマシだとかそういう話ですか?」
 彼の笑みが、困ったように歪んでいく。だけど私は反論を止めることができずに思いつくまま責め立てた。
 こんな顔が見たかったんじゃないのに。ほんとは、来週のパーティに、どんなプレゼントを持ってくるかとか、そういう話がしたかったのに。
「あの子供たちを見てなんにも感じないんですか!」
 溢れ出る言葉を投げつける私を、いつからか彼は静かに見つめていた。そこにはもう軽蔑も困惑もなく、どころかどんな感情も読み取ることができなかった。
「くうふくのくに、だから」
 咎める言葉の間に落ちた彼の声は、まるで知らない言語のように耳に届いて、一瞬、意味を掴めずに混乱した。くうふくのくに。空腹? 国?
「この子供食堂の名前の由来、知ってる?」
 急な話題に面食らいながらも、「由来もなにも、そのまんまじゃないですか。みんな満腹になるように、で、『まんぷくランド』なんでしょう」とさっきの勢いのままに食らいつく。「はぐらかす気ですか。それがなんの関係――」
「ほんとはね、こう書くんだって」
 彼は私を遮って、濡れた指でキッチンについた窓をなぞった。白く曇った硝子に文字が浮かんでいく。
『満福国』
「福で満ちる場所にしたいんだって。大それた名前だよ」
 笑顔を取り戻して言う彼に、ひやりと冷たいものを感じて、私は言葉を繋げなくなる。彼は隣にいるし、声も耳元でするのに、その距離は決定的に隔てられたように感じた。
「僕は子供たちのことを、いや、」と、彼は、私をじっと見据えて、なぜか震えながら、声を出した。「ここに、いる、誰のことも、かわいそうだとは、思わない。だって、ここはくうふくのくに、なんだから」

 知らない国にひとりぽっち。そんな目をしていた。
 私が築野くんの家に行くと、彼は庭にいた。鍵を持ってないのだろうか。夜闇に佇む真っ暗な家で蹲って、なにかをしている。近づくと振り向いて、私を睨んだ。
「なにしてるの」と尋ねると、「燃やす」と答えた。小学生のそれとは思えないくらい、掠れてガラガラの声だった。
「こんな家、燃やしてやる。ここに引っ越して来てから、ずっと俺は……だから……」
 そう言って手元でなにかしている。覗き込んでも止めない。どころか、より一層激しく手が動いた。
 マッチだ。マッチを擦っている。
 食堂から持ってきたのだろうか。でも、火はつかない。彼はイライラして、マッチを擦る。その手つきは乱暴でたどたどしく、点火しないのは明らかだった。よく見ると彼の足元に枯葉の山が見えた。そこで火を大きくして、最後には、家を燃やす、らしい。必死の形相で、木っ端のようなマッチを振る。まるで異国の古臭い儀式のようにも見える。そんなことをしても、願いが叶うわけないのに。
 ジュ。運良く上手くいったのか、マッチに火がついた。
 築野くんは、自分でつけたくせに驚いて、その火を落としてしまう。彼の足元で、灯りが揺らめき、その影に沈んでいた枯葉の山を弱弱しく照らした。
 その枯葉が、妙に白い。そして所々カラフルに色づけされている。そう気づいたとき、脇に捨て置かれた物が目に飛び込んできた。中身を破られて表紙だけになった、絵本。
 それは、あの人が残した、絵本だった。
 瞬間、私は彼を押し退けマッチの火を素手で消しバラバラになった絵本を集めていた。
 すべてを抱えてようやく、築野くんの視線に気づいた。狂ったように紙片を集める女を、しかし突き飛ばされた彼は、知り合いに出会えた迷子のような瞳で見つめていた。
「ねえ、お姉さん、どうして泣いてるの?」
 口の中に、あの日の味が広がった。

 翌週のクリスマスパーティの日、早番だった私が食堂へ行くと、鍵が開いていた。けれど、中には誰もいない。ただ、あの人の担当だったローストチキンが既に調理されていて、プレゼントらしき絵本が、テーブルに置いてあった。
 そのまま、彼が戻ることはなかった。
 彼の作ったローストチキンは、テーブルに並ぶことなく、捨てられた。万が一、危ない物でも入っていたら怖いから、と他のスタッフさんは言う。彼、前に働いていた料理店も心を病んで辞めてるらしいから、とも。
 絵本は本棚に収まることになった。誰もが知っている有名な童話。私は読んでみる。すると一枚、紙が落ちてきた。見慣れた文字。彼の書いたレシピだった。
 私は一人残って皿洗いをする。誰も見ていないことを確認して、袋に縛られ避けられた彼の料理に、手を伸ばした。
 あれから、四年。
 いつまで、彼を待っていればよいのだろう。

「くうふくのくに、だから」
 火をつけるのを手伝うと言った私に、築野くんは、どうして? と尋ねた。この言葉は、自然と出てきた。
「空腹?」と首をかしげる。彼にわかるわけがなかった。同じように私も、彼のことが、わからないのだから。
「お腹が減ったね、ってこと」
 それでも、もう、かわいそうだとは思わなかった。
 マッチに生まれた灯を絵本に移す。段々と大きくなる火を見つめ合う。その中に彼の姿が浮かんで、ふっと消えた。

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