なつのね

みや

 ものごとの整理がつかなくなった時はそこの公園に行くようにしている。

 となりでは一軒家が密集して建ちならび、耳を澄まさずとも子どもたちのたけだけしい声がする。九十九里平野をそよと流れる夏の風を、いともたやすくうち砕いてしまう。そのかなきり声は、蝉ですら音をあげて逃げだすほどだ。あとを追うようにしていっせいに小鳥たちが羽ばたき、カラスは杉の木のてっぺんで、その行くすえをじっと見守っている。今、こっちを向いた。ちょうど、コンビニで買ってきたお茶とサンドイッチを、取りだしたところだから。
 七月の入道雲は、もう十五年以上も前になる、小学校でやった理科の授業と、それから少し背中の曲がった父親を思いださせる。運動会では、意外にも綱引きが得意だった。地域対抗では負けなしだった。当時はピンとした背中がまぶしかった。細長いだけ、他の人よりめだって見えた。
 退職してからはテレビ観戦と料理しかしなくなった。コンプレックスからか、ごぼうと長ねぎは絶対に使わなかった。味つけは、どちらかといえば成功とは呼べないことの方が多かった。電子レンジに、溶いた生卵を入れたこともあった。いわく「フライパンでやるより簡単だろうから」だそう……。にんじんは、再び煮立たせてからでないと食べられなかった。母はそのうち何も言わなくなった。「本人が楽しんでいるのであれば」という考えに切りかえたようだ。
 お腹とお尻ばかり大きくなっていった父親の記憶は、いつのまにか私から遠ざかっていった。きっとあの入道雲に、まるごと吸いこまれていったのだ。

 午後の二時はいちばん暑い時間帯にちがいない。コンビニに入った時のひんやり感が、鎌倉時代の遺物のようだ。ソフトクリームをぺろぺろなめる、幼稚園の年中さんくらいの女の子が、補助輪のついたちっちゃな自転車にまたがっていた。後ろでは八十代にさしかかるくらいのおばあさんが、腰を曲げ、顔をよせて、なにかをささやいていた。その手には一枚の葉書。ポストにちょっと寄ろうとしたところ、知らぬまに随いてきてしまったものとみえる。
 中学校にあがって、「気をつかう」ことを覚えはじめる前までは、むしろ男の子と遊ぶことが多かった。川沿いをさかのぼって歩いてみたり、カードゲームもよくやった。チャンバラなんかもやった、前に、ここで。技の名前はよくわからなかったから、自分でオリジナルの技を考案したりした。
 いくらがんばっても登れない木があった。成長のはやい何人かの男の子たちは、高い幹のあの枝分かれした部分に手が届いたけれど、私には無理な芸当だった。あそこに行きたくて行きたくてたまらず、みんなの見ていないところで必死に努力するほど打ちこんでいたわけではないのだけれど、ただ眺めているしかできなかったあのくやしさが、どうしてかずっと残っている。

 私に必ずあいさつしに来てくれる男の子がいる。ちょうど、あの音が聴こえてきた。
 正式な名前は、調べてみると「ポゴスティック」というらしい。小さかったころは、もっぱら「ホッピング」の名前で親しまれていた。バネでガシャンガシャンとび跳ねる、アレ。彼がここの公園をゆかいそうにとび廻っているのを見ていると、こっちの心まで浮きたつ感覚がある。
 服装は、いつも同じだった。「仮面龍騎士」のスニーカーに、七部丈のぶかぶかズボン、上は「ニケ」のロゴがプリントされた黒シャツ。白のソックス。髪は角刈り。口もとには大きなほくろがあり、つり上がった目は、ただそのときどきの面白さにだけ注がれている。どちらかといえば肥っている方かもしれない。極端に、というほどでもない。よく食べ、よくうごき、よく話す元気の好い男の子が、クラスに必ず一人はいたものだ。彼の場合、そのエネルギーはひたすら自己をめぐって周遊し、誰かが引きとめるまでもなく、一人でどんどん先に行ってしまいそうだけれど。
 はじめのうち、こちらに気づいていないふうを装っている。けれども視線だけは、嘘がつけない。たえずこちらを視界に収めてくるのがわかる。そのうちホッピングから降りて、うろうろとしだす。突然の知らせに茫然自失になり、何も手がつけられなくなった人のように。やがて、緑色の古ぼけたベンチと、その先客に目をとめる。今度は迷いなく近づいてくる。なごりおしそうに、後ろを二回ほどふり返りながら。隣まで来てしまうと、意味ありげなため息を、わざとらしくついてからどっかり座りこむ。距離はだいたい四、五十センチ。この隙間に立てかけるのかと思いきや、遠慮して地面に寝かせてしまう。もちろん、こちらから目を離さない。私も、かたくなに逸らそうとしない。
 以前は黙ったままで、いつのまにか行方をくらましていたものだけれど、二か月前から急激に仲好しになった。朝でも夕方でも、深夜の二時五十分であっても、「お早うございます」が第一声だった。こっちも釣られて同じような言葉を返すものの、時と場合に応じて、「今日は好い天気になりそうだね」だとか「カレーの匂い、おいしそうだね」だとか「さっきの車のライト、まぶしかったね」だとかを添えてやる。けれども頷くだけで、それ以上ふくらむことはない。できるだけにこやかにしていようということを心がけているけれど、ぎこちないものになっていなければいいのだけれどということを、いつも考えてしまう。今日はたぶん、うまくいった方だと思う。「お早うございます」のあと、「お早う。見てあの入道雲。おっきくて、きれいだね」と言われた時の男の子の顔が、いつにもましてほころんでいたから。
「私ね、きみみたいな年ごろのときにね、夢見てたんだ。夏になるといつもあらわれる、ふかふかしたでっかい雲。あの上に自分だけの王国を建てて、自由に暮らしてみたいなあって。絵本かなにかで、そういうおはなしがあったのかもしれない。きみよりもっとちっちゃかったころ、幼稚園の、年中さんくらいだったかな、みんなが外で遊んでいる隙に、電気のついていない、うす暗い部屋の片隅で、棚に並んでいるたくさんの本を、片っ端から読んでみたことがあるの。今はもう、ほとんど忘れちゃったけど、でもクジラがね、変な色をしたクジラが空を飛んでいる絵があって、それだけははっきり憶えているの。それと関係あるのかもしれないけどね、私の夢と」
 「今は、違うの?」という声が聴こえてきた気がした。親戚の結婚式。どこでもうごき廻る一歳年上の男の子に、がんばって随いていったときの記憶。
「今は、そうだね、懐かしいなあって感じがするだけで、本当に望んでいるわけじゃないんだと思う。私もいつまでも、そうしていられるわけじゃないから。でも、誰かからそういう話を聞くのは好き。夢の話を聞くと、自分の全部をなげうってでも叶えてあげたくなっちゃう。実際には聞かなくても、たとえば道端でちっちゃな子を見かけたら、この子はどんな夢なんだろうって想像しては一人で楽しんだりもする。自分がお金持ちだったらなあって思う。もしそうだったら、みんなの夢をすぐにでも実現させてあげられるのにって思う。こういう考えってずるいのかもしれないね。偉い人の言葉じゃないけど、人にはできることとできないことがある。このことをきっちりわきまえたうえで、じゃあ自分には何ができるのかってことを見きわめて、それの実現に向けて計画的な努力に励むべき。お金持ちになりたいっていう今の望みは、誰かの夢をじかに応援できてないってことのもどかしさだったり、自分が未だに、そのための具体的な努力ができていないってことへの、自分自身への言いわけなのかもしれないね」
 「そんなことないよ」の声は、果たして彼のものなのかどうか。もしも彼が、今もそばにいて、私のずっと先を走りつづけていてくれたら。そのときは私のところまで、わざわざ引きかえしてきてくれるのかどうか。彼ならきっと、そうしない。彼は前しか見据えない。後ろをどんどんつき離していって、しまいにはどこに向かったのかさえ私には認識できなくなっていただろう。今もなんとか随いていけているのは、彼がもう、これ以上前に進めなくなってしまったから。彼の脚はあのころのまま、一定のスピードを維持したまま、いつまでも変わることがないから。見えなくなってしまうくらい、遠くまで行ってくれた方が、どれだけの救いになっていただろう。

 サンドイッチの包装と空のぺットボトルを、屑かごに投げいれた。後ろではまた、あの音が鳴りはじめた。

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