明滅,一灯

はるしゅら

、また、青色に点灯して冷夜のなかに滴下しました。隙間なく敷き詰められた暗中に陥った冷色コバルトの明かりは、囲繞する夜闇を海胆のような外貌を以て破傷します。その一灯の鮮鋭も、しかし、夜は寛大に孕み込んで仄暗い平衡へと誘導していきます。滲み、霞み、消失へ向かう呼吸の光暈は、もう止まりません。曖昧に揺動しながら大小混合の光の粒を流出し、それらは方々に散らばって夜の遠近を錯乱させました。遥か彼方がそこにあり、身近な肉体は遠くにいました。しかしながら、夜道を行く人々は、歪んだ視軸など一切意に介さない様子で、幾夜も歩行を続けています。一度も立ち止まることなく、一度も息を吐くこともなく、瞬きとともに訪れている暗晦を物ともせず、あちらこちらで灯る電光の青さだけを見止めていたため、明かりは未だ消えずに細かく揺れて、人々を照らしています。多くの人々が行き交うなかに、小さな兄妹がいます。兄はクェンヂ、妹はトッシイとしましょうか。丈夫な足腰のクェンヂは複雑に入り組んだ人波を容易に抜けていきますが、まだ年端も行かないトッシイにその身ごなしはとても難しいのです。厖大な人影に消えては現れ、近付いては遠ざかる兄の後ろ姿を懸命に追っています。その努力を突き返すかのように、ふたりの間隔は容赦なく拡がってしまいます。鼻先を掠めていったテオドランの臭いや、酔いどれたフゥドラム、人ごみから見え隠れする絢爛なショーウィンドウに気を取られ、路面に吐き捨てられたチューインガムに足を取られている間に、兄を完全に見失ってしまったようです。立ちはだかる人の壁が周囲を目まぐるしく交通します。幾つもの靴が足早に通り過ぎます。蹴り上げられた塵が不安げな呼吸に乗って体内に流入し、うすくうすく、しかし着実に堆積していきます。咳き込みながらそこを離れましたが、高圧的なビルディングの監視からは逃れることができず、遥か頭上で点滅する眼光がじりじりと焦燥を掻き立てます。焦りは戸惑いを生み、戸惑いは足を竦ませました。自分を助けてくれるものがいないことに気付いてしまった瞳に、淡い涙の膜が張ります。そこから幾程の雫が流れ出ようとも、目前を通過する人々のなかに、足を止めるものなど、まったくひとりもいないのです。それを見て、居ても立ってもいられなくなったわたくしは、雑踏をかき分けながら妹のもとに走り寄り、夜風にさらされ冷たくなった手を引いて、薄暗い路地に導きます。生暖かく吐息する室外機、点々と嘔吐の残痕、執拗に貼られたビラの剥がし残された猥雑な文面、扇情的な落書き、それらを活写する電灯の明と滅の間を駈け抜けていったその先に、目映い光を放つ洋菓子店が現れます。店先に立っている兄を発見し、急いで駈け寄ってきた妹のことを、クェンヂは一瞥しただけで言葉もなく店内に入ってしまいました。甘やかな香りが漂い、ショーケースに陳列された多様なケーキが出迎えます。ホイップやカスタードの底なしの甘さ、フルーツの酸味、際立つそれらを中和するスポンジ生地の食感、視覚を通して伝わってくる味を堪能しているトッシイに対して、クェンヂは拒むように顔をしかめるばかりです。ふたりの対照的な反応をショーケース越しに見ているわたくしは、ケースのなかから白く大きな箱を選び出し、それをトッシイに差し出します。無邪気に歓声を上げる妹、黙然と見つめるクェンヂ。どこまでも対をなす兄妹に、あちらへどうぞ、と奥にあるイートインコーナーを示します。妹は軽い足取りでいつもの窓際の席に腰を下ろし、対面の席に兄が座るまで我慢できなかったのでしょう、さっそく箱を開け、瞳に収まり切らないほど大きなホールケーキに息をのみ、溢れ出してくる唾液で口中をいっぱいにします。箱のなかにあったプラスチック製のフォークを手に取り、それを豪快にケーキに突き刺しました。その光景から目をそらし、窓ガラスの先にある夜の街に視線を据えたクェンヂの瞳には、夜景に群がる街灯の黒影が渾然と居並び、それら群落は、あまりにも遠すぎる月光に目眩を起こし、頭に掲げた照明をぐらぐらと揺らしています。立ち眩みは隣の柱、またその隣の柱、またさらにその隣の柱というように次々に伝播していき、もう自分が揺れているのか、隣の柱が揺れているのか、分からなくなってしまう始末です。そうして揺れは互いに増幅し合い、ついに堪え切れなくなって、それぞれの天頂に灯る照明を落としてしまいます。アスファルトでがしゃりと弾け、粉々に砕け散ったガラスの細片には、まだほんのりと熱が残っており、冷たい大気に散らばって、じりじりと発熱しています。それがとてもきれいに光るものですから、手に取ろうとすると、翅を薄くひろげて街中に飛び立ってしまいました。あるひとつは、恋人と手をつなぐ麗人の毛髪の一房に、あるひとつは、それを虚ろな目で観察する老人の重苦しい外套に、あるひとつが、その内ポケットに入れられたウィスキーボトルに止まりますと、たちまち発火して、老人は炎に包まれてしまいます。火だるまになって悶え苦しんでいる老人のことを路上ミュージシャンは歌いました。華美な言葉を矢継ぎ早に連ね、火走った弦をピックで弾き、街路樹を火花で着飾ります。そのイルミネーションに見とれて足を止めた男性の片手には、娘へのクリスマスプレゼントが持たれていますが、飛んできた火の粒によって燃えはじめ、黒い煙が濛々と立ち昇ります。それが夜気と入り混じって目に染みるので、まぶたを閉じました。上下まぶたの接線からは、その先で燃えている歩道橋が鮮やかに夜を一閃する様子や、橋上を迸る火炎の輪郭を切り取るかのような軌道を描く蛾が、燃えてもなお明かりを求め、火の滴る信号機のめくるめく変色に飛び込んで焼死する姿、醜いまだら模様から炎熱を宿した鱗粉が路上に撒かれ、路面の窪みを伝って、まるであみだくじのように燃え広がっていく火線が、一時停止の標識を巧みにかわしながら、電信柱に行き会って歓喜の火柱を噴き上げ、そのまま電線を綱渡りして街中に当選を触れまわるようにして、火がまわっていく光景が見えるのでした。そして、もうどこにも逃げられなくなってしまった人々が、ぱちぱちと音を立てて燃え手でする拍手は、指先が徐々に黒ずんでいくにつれて大きくなっていき、いつしかそれは、ひとり、またひとりと燃え果てていく人々を送り出すかのように小さくなっていき、最後のひとりが一際輝いて燃え尽きてから、ゆっくりと目を開けますと、すぐそこには残骸を啄ばむ暗い鳥が数羽、視線を感じると激しく鳴きながら近くの瓦礫に飛び移って、ガラス玉のような瞳を店内に向け、そこにいるふたりが言われた、少々お待ちください、というかつて聞こえていたはずの店員の声が、虚しく響く暗い室内には、黙々と残骸を組み立てている幻影の数体、大きな皿の上に丁寧に盛りつけ終えたので、それをふたりのもとへと運んでいきまして、お待たせいたしました、そう言って兄の前に置くと、兄はわたくしを見やり、何か言いたげに口を動かしましたが、そこにわたくしがもういないことを見取り、ため息、フォークを手に取って、まだ僅かに温かい残骸の舌触りに、顔をゆがめ、ごつごつや、こりこり、こぼこぼといった不規則な食感を、上下の歯列で慎重に噛み砕き、砕かれたガラスの断片を、幾万の味蕾で研磨し、車道に引かれた破線のアクリルを舐め取れば、空風に吹かれた土埃と、ほろ苦い焦土、弾力した鉄筋からは、樹木の煤煙の香りがして、残火のくすぶる木葉が、取り留めもない後味を残します。それをとどめた舌先で、断線した電線を結べば、遠雷する踏み切り、不揃いに積み上がった煉瓦と、飽き捨てられた積み木を、望郷の隔壁として配列しなおし、錆びついた線路が向かう先の、立水栓の蛇口をひねると、青色の水溶液、陥没したコンクリトに、星明りを映して水溜まり、揺れる散光を整列させて、旱魃した路面にぶら下げ、時に置き去りにされた道路は静脈を打ち、用心深く路傍に立ち並んだ街灯たちは、時折、発作的に明かりを灯しますが、どこを見渡しても人々の姿は見当たらないのです。もう誰も歩まない夜道を照らすことは無意味だと知り、ひと瞬きで消えてしまいます。彼らの点灯が暴く現実は覆すことはできませんが、消灯の暗夜であれば、想い描きたいものすべてを、心ゆくまで現象することができたのです。幾つもの星の真影の成れの果てのように、夜道を歩いてくる人々が見えますか。そのすべてがわたくしのなかの人々であるように、かつてここにいたすべての人々のなかにわたくしがあって、その人々がいなければ、わたくしもここにおらず、わたくしがどこにもいなければ、あの人々もどこにもいないのです。わたくしがここにいて、そして、ふたたび灯ることで、人々もまた、そこにいるのだとしたら、わたくしは

感想を投稿する
ログインする※ログインしなくてもコメントできます!
コメントするときにログインしていると、マイページから自分が付けたコメントの一覧を閲覧することができます。

名前は省略可。省略した場合は「匿名希望」になります。

感想の投稿には利用規約への同意が必要です。