饅頭こわい

樹莉亜

 長屋の暇な連中が寄り集まって、この世で何が怖いかという話になった。油売りの八助は高い所が怖いと言った。納豆売りの熊吉は幽霊が苦手、しゃぼん玉売りの矢次郎は妖が恐ろしいと、銘々打ち明けた。ところがこの中に一人、「幽霊も化け物も怖くない」という男がいた。名前を十蔵という。他の連中が、「それなら肝試しだ」と言い出し、四人は連れ立って妖町へと繰り出すことになった。
 妖町とは、住民の殆どが妖(あやかし)か妖憑(あやかしつ)きと噂の町である。正式な名前は他にあったが、妖町(あやかしまち)と言う方が話の通りが良かった。
 十蔵一行が、まず通り沿いの表店(おもてだな)を覗いて廻っていると、傘屋の前で大きな蛙に、「お客さんかい?」と声をかけられた。
 犬ほどもある大蛙が喋ったと、驚いて飛び上がる矢次郎たちを尻目に、十蔵は蛙に小便をひっかけて笑う。
「こんなガマなんぞちっとも怖かねぇぞ!」
 当然、緑青色の蛙は怒って飛び跳ねた。
「おいらはガマじゃねぇ!」
 十蔵は意に介さず、次に屋台を覗いた。そこでは丸い身体に目が一つ、口が八つ付いた口八丁が、景気よく客を呼び込んでいた。
「蒸かしたての饅頭いらんか? 饅頭だよ。甘いよ美味しいよ」
 八つの口がいっせいに喋るものだから喧しい。屋台の向こうでは二本足の身体に腕が八つ生えた手八丁が、際限なく饅頭を作り続けている。熊吉が泡を吹いて倒れかけたのを八助が慌てて支える。しかし、十蔵はこの屋台には目もくれず通り過ぎた。
 稲荷の境内では子狐と子狸がじゃれあっていた。小さな狐狸どもは十蔵たちに気付くと、くるりと宙返りして大首と火炎車に化けてみせた。熊吉たちが驚いて慌てふためく中、十蔵は大首の鼻の頭を思い切り蹴っ飛ばし、手水場の水を柄杓で掬って火炎車にぶっかけた。子狐はもんどり打ってひっくり返り、子狸はずぶ濡れになって、どちらも化けの皮が剥がれる。十蔵は子狐が抱えていた髑髏を取り上げて、稲荷の社に投げつけた。ちょうど供えてあったいなり寿司にそれが当たって、寿司が潰れ皿が割れる。
 それを見ていた八助が、おろおろと十蔵の袂を引いた。
「おい、十蔵さん。ちょいとやりすぎじゃねえかい? お稲荷様のお供え物まで壊しちゃまずいよ」
 しかし十蔵は悪びれもせず、言ったものだ。
「へっ! 狐の神様なんざ、怖かねえよ」
「お、お稲荷様は狐じゃねえだろ。荼枳尼天様だ」
 腰を抜かした熊吉が生真面目に訂正すると、隣で矢次郎が、いや、お稲荷様は食い物の神様だなどと言う。
 十蔵は、そんなことはどうでもいいとばかりに四角い顎を突き出して仲間たちを睥睨した。
「そんで次はどこ行くんだ。もう肝試しは終わりか?」
 熊吉と矢次郎が顔を見合わせ、八助がいつもの調子の良さもどこへやら瘧のように身を震わせて、もう帰ろうと言い出した。
「俺ぁ、心底祟りが怖い」
「なんでえ、狐がそんなに怖いのか」
 勝ち誇ったように口の端を歪めて笑う十蔵に、八助は首を振ってみせる。狐も狸も怖くはないが神様は別格だと、再びぶるりと震え上がった八助に、十蔵も興がそがれたと渋々帰途につくことを認めるのだった。

「十蔵さんは本当になんにも怖いもんがねえのかい?」
 帰り道、八助たちは口々に十蔵を問い質す。なんとか弱みを掴めぬものかという態度が見え見えなのだが、なにを思ったか十蔵は急にしおらしく首を竦めて小声で答えた。
「実は饅頭が怖いんだ」
「饅頭ってな、まんじゅうかい?」
 なんだってそんな物が怖いのかと面食らった様子の三人に、十蔵はしかつめらしく頷いてみせる。
「その、甘いあんこがどうにも恐ろしくっていけねえ。甘けりゃ甘いほど恐ろしい。俺もこればっかりはどうにもならなくってな……」
 真面目な顔をして答える十蔵に、三人は笑いを堪えて肩を叩いた。
「そ、そうかい。ま、怖いもんは人それぞれだよなあ、うん」
 矢次郎が慰めると、十蔵は誰にも言うなよと顔を赤らめるのだった。

 その晩。長屋の戸口でなにやら物音がして、十蔵は目を醒ました。戸口の腰高障子は上半分だけ障子紙が張ってあり、月明かりに浮かぶ外の人影がぼんやりと見えている。そのうちにすーっと戸が開いてた。今日に限って十蔵は戸口に心張り棒を立てかけていなかった。
 開いた隙間から竹皮の包みが放り込まれる。
 十蔵は寝床からそれを眺めていたが、頃合いを見て起き出すと、その包みを開けた。
 中には白い饅頭が入っていた。
「ひゃあー!」
 と、彼は奇声を上げた。
「こ、こいつは恐ろしい。饅頭だ、饅頭が……饅頭が……」
 十蔵はすぐさま寝床に戻り、頭から夜着を被った。
「おお、怖い。まんじゅ……んま、まん……あまっ」
 夜着にすっぽり覆われた中から十蔵のくぐもった声が漏れてくる。その様子を戸口の隙間から六つの目が見つめていた。始めはにやりと半月型に歪んでいた目はそのうち訝しげにつり上がってくる。
 ついに戸を開け、男たちはずかずかと上がり込んで十蔵の夜着をめくる。中では饅頭をすっかり平らげた十蔵が満足そうに笑っていた。
「十蔵さん、あんた騙したな。饅頭が怖いと言っといて、全部食っちまったじゃあないか!」
「いやいや、怖いからこそこうして見えないように腹に隠したのよ」
 と、十蔵はにやにやと笑った。その顔は心なしか、今し方腹の中へと消えた饅頭のようにふっくらとしている。
 なんだか顔が大きくなって見える。
 矢次郎は気のせいかと目をこすり、熊吉が一歩退いた。
 十蔵の腹が膨れている。
 みるみる膨れている。
「おい、十蔵さんあんた、平気なのかい?」
 震える声で矢次郎が訊ねる。十蔵は目を白黒させて、おお、と唸った。
「ちょいと饅頭食い過ぎたかはらがきつい」
 などと、暢気なことを言っている彼の体は玉のように真ん丸になっていく。
「ひゃああぁ!」
 熊吉が奇声を上げて逃げ出したのを合図に、残る二人も転がるようにして外へと飛び出した。
 十蔵の体はもはや長屋の中に収まり切らないほどに膨れ上がっている。
「くるしい……」
 さすがに呻くようにそう漏らした十蔵は、ついに屋根を突き破って空へと浮き上がった。
「どうなってんだい、こりゃあ? 八助お前あの饅頭どこで買ったんだ?」
 十蔵を見上げる八助の背に隠れるようにして矢次郎が訊いた。
「おお、そりゃあ妖町の屋台で」
 しれっと答える八助に、矢次郎は言葉もない。二人の足下ではうずくまった熊吉が一心に念仏を唱えていた。
 空へと浮き上がった十蔵は、折悪しく吹いた風に煽られ更に上へ上へと昇っていってしまう。
「おおい、十蔵さん。どこまで行くんだよう?」
 八助の問いかけに十蔵は、「そいつは風に訊いてくんな」と、言ったっきり暗い空に消えていった。
 矢次郎が腰を抜かしたままぼんやりと上を見ると、長屋の屋根を伝って走る二匹の小さな獣の姿があった。


 その町には、奇妙な生き物と一寸変わった人々が住むという。誰とはなしに、そこは妖町(あやかしまち)と呼ばれていた。


 ーー饅頭こわい?

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