けもの

ムラサキハルカ

 さて、どっから話そうか。
 昨日、大学の講義が終わったあと、サークル室にいた先輩に捕まって、昼過ぎからちょびちょびちょびちょび酒を飲んでたらあっという間に暗くなってた。えっ、すすんで飲み会に参加したんでしょだって。そう言われると反論しようがないな。ごほん。話を戻すとだな、帰り際に、下宿でろくなもん食ってないだろとか言われたあと、余ったスナック菓子とかつまみを押し付けられて、ふらふらと家路についたわけ。酔っぱらってはいたけど、正体を失うってほどじゃなかったよ。美菜もよく通るからわかると思うけど、ほら、帰り道の途中に草がぼうぼうと生えた空き地があるだろう。そうそう、あのずっと草むしりしてなさそうなところ。あそこを通った時にな、すぐそばの草ががさがさって揺れたんだ。最初は風か猫かなんかだと思った。けど、風なんか吹いてないし、猫にしては草の揺れが大き過ぎる気がした。そのちょっと後に、もしかして人かな、と思い当たったわけだ。それだったら、なにしてるんだろ、って首を捻ったりはするけど、そういうこともあるかなって一応理解できる。ただ、たぶん人か、って見当はつけても、この時点じゃまだ草むらの中にいるのがなにかはわからないままだからさ、たしかめたくなったわけ。酔いが残っていたのもあるかもしれないけど、いつもより好奇心ってやつを刺激されて、ずかずかと近付いてったんだよ。そこでやつが飛びだしてきた。
 気が付いた時には草むらの中で押し倒されてた。って言っても、その時はなにが起こっているのかよくわかってなくて、ぼんやりと、赤く光る二つの目玉を見返してたよ。街灯に照らされて見えた顔は中学生くらいの女の子そのものなんだけど、すぐにこれは違う生き物だって思った。上手く説明できないけど、なんか目がイってる感じっていうか。最近読んだ本の言葉を借りると、理性の光がない、とかかな。とにかく、そんな感じで酔いも一気に冷めたわけ。やつは、俺の上に乗っかったまま、顔の前で鼻をクンクンさせた。その間にようやく頭が回りはじめて、とにかくこいつから逃げなきゃいけないって思いはじめてな。そんで体を起こそうとしたところで、左首元に先が尖ってて硬いものが突きつけられた。いつの間にか眼前にあったやつの頭が消えていて、ぼさぼさの髪と白い首筋が見えた時に、突きつけられてるのが歯だってわかった。背筋がぞわぞわしたというか、とにかくそんな感じで俺は動けなくなって、やつのなすがままになったってわけ。
 それでしばらくの間、首を嗅ぎまわされたあと、今度はべろべろと舐められた。ざらざらべたべたしてて、気持ち悪いって思ったけど、首を食い破られでもしたらたまんないから必死で我慢したんだ。その間も、俺なりになんとかこの状況から抜け出せないかって、隙を探ってたんだけど、俺の両腕と両足はやつの両手両足ものすごい力で捕まえられててどうにもならなかった。触れられてる感じだと腕も足も細っこいから、どこにこんな力が眠ってるんだって驚いたんだけど、とにかく、全力で起き上がろうとしても、ぴくりと動く気すらしない。どうすりゃいいんだ、って諦め気味になってたら、首をべろべろしていた舌が止まった。やつはもう一度顔をあげて俺を真正面から見つめて、舌なめずりをした。そのまん丸とした目に浮かぶ感情は、俺にも読みとれた。直訳すると、いただきます、ってな感じで、明らかに俺を食う気満々に見える。普段だったら、女の子にのしかかられて食われそうなんて聞かされたら笑い飛ばすだろうが、やつはそれができると、当事者だった俺にはわかっちまった。こんなわけのわからないうちに人生が終わるかと思うと、泣きたくなったね。ろくに親孝行もしてないし、もうちょっとみんなとわいわいやりたかったし、お前ともまだ一緒にいたかったしな。こんなところで死んでたまるかって思ってたけど、やつは俺の前で大きな口を開いて顔を近付けてくる最中だった。反射的に目をぎゅっと閉じた。せめて、痛みがないようにやってくれればいいって願いながらね。
 けど、いつまで経っても衝撃はやってこない。おかしいって思ってると、上半身が軽くなってた。おそるおそる顔をあげると、やつは俺が左手に持ってた袋をがさごそしてる。やつの髪が思っていたよりもずっと長かったことや、体がすっぽんぽんだったことに気付いたのもあって、しばらくぽかんとしてたけど、ポテチとかチョコの匂いがしてきた辺りでなんとなくこういうことかなって気付いた。やつが食おうと思ってたのは、俺じゃなくて、スナック菓子とつまみだったんだって。じゃあ、あのくんくんべろべろはってなるけど、たぶん、飯っぽい匂いの出どころを探ってったってところだろ。いや、もしかしたら、あの時はまだ、俺を食おうとしてたかもしんないし、本当のところはよくわからん。とにかく、がつがつやってるのを見守ってたわけだよ。そしたら、いきなり金属っぽい音がしだすわけ。なんだよ、って思って目を凝らしたら、缶詰に噛みついてるみたいなんだよ。さすがにあの硬そうな歯でも噛み砕けないらしくてさ。缶詰の方もちょっとは歪んでるようには見えるけど、まあ、開かんわけだ。そこで、やつが気の毒になった。あの時の俺の立場からすれば、ここで歯が折れてくれれば、食い殺されなくなるかもしれないから、馬鹿だよなって気もするけど、もしも折れるのが俺の歯だったら嫌だなって、共感しちまったのかな。気付いたら、空いている方の手でやつの肩を叩いてた。やつがうざったそうな目でこっちを見てきたから、缶を渡せって空いてる手で表現した。やつはこっちを睨みつけてきたけど、食わないから、って一生懸命手振りで示したら、渋々、缶を渡してきた。そんで俺はもう一方の手も離してもらってから、プルタブを引き開けて、缶を渡してやった。そしたら、やつは目を輝かせて缶詰の中にあった焼き鳥をがつがつしはじめた。その食べっぷりがあまりにも気持ちいいもんだからさ、

「ええ、たしかにすごい食べっぷりね」
 美菜は苛立ちながらフローリングのうえに乗せられた皿に盛られたコーンフレークを犬食いする全裸の少女を睨みつける。既に三袋目が平らげられようとしていた。
「それで、そんな与太話を信じろっていうの」
 そう尋ねると拓也は「あっちゃあ」と頭を掻く。
「やっぱり信じてもらえないか」
「当たり前でしょ。そんなの」
 彼氏の家を訪ねてみたら、誰とも知らぬ裸の少女が卵チャーハンを犬食いしていた。浮気かと思って言い訳を聞いてみれば、荒唐無稽な話をしだす。信じろという方が無茶だった。
「だいたい、なんで、自分を食べようとしていた相手を連れこんだりしてるのよ」
 美菜の言葉に、拓也はばつが悪そうな顔をする。
「向こうが勝手に着いて来たんだよ。食い物をくれると思ったんだろ。振り払おうとしても、やつの方が速いし」
 言い訳をする彼氏の横顔を美菜はじっと見つめる。付き合いが一年に満たないので、絶対とは言えないが、嘘を吐いている感じはしない。だとすれば、この話を信じろというのか。そう頭を抱えているところで、くいくいっとジーンズを噛まれる。そちらに視線を向けると、やつと呼ばれていた少女が美菜の太ももを布越しに甘噛みしていた。ほとんど無表情であるが、視線で、メシ、と訴えているのだけははっきりと伝わる。そのつぶらな瞳を見て、美菜はこの少女を無性に甘やかしたくなった。小さく溜め息を吐いたあと、ハンドバッグから小腹が空いた時用に携帯している板チョコを取りだして銀紙を全て剥がす。
「ゆっくり食べるのよ」
 そう言ってはみるものの、食いしん坊な少女には通じていないようで、チョコは瞬く間に口の中に消えていく。そして食べ終わった少女は、小さくげっぷをしてから、犬歯をちらちらと見せながら満足げに笑った。美菜はその表情を見たあと、一端、事の真偽については保留にすることに決める。もう少し、この笑顔を見ていたい。心からそう思った。

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