あなたの○○○○より

カツ

あなたはいつもそう。私のことに真剣に向き合ってくれません。それどころか普段は見向きもしてくれない。それはそれであなたのために正しいことなのだけれど。もし私に向き合うようなことがあったとしても、晴れた日に雨の日を思うような無為なことなのだけれど。

あの日、あなたはホカホカのカツ丼を手に自宅に戻りましたね。鼻唄交じりで手を洗っていたのは、「みつば」の閉店間際に間に合ったのがとても嬉しかったのでしょう。普段なら眠っている頃である私が、まだ薄ぼんやり起きていたのはあなたの帰りが大分遅かったからだと思います。スーツを衣装棚にしまい、こたつに入ったあなたは早速割りばしを割いて手を合わせ「いただきます」と呟きました。その時でしたね。あなたのスマートフォンが鳴ったのは。怪訝そうな顔をしてため息をつきながらもスマートフォンを手に取るあなたは本当に真面目なひと。でも、電話に出たあなたの顔はみるみる曇り、しまいには青ざめていました。
「はい。はい。……えぇ、それはもうすぐに」
耳に当てたままのスマートフォンを肩で抑えながら立ち上がったあなたは、外套に財布と鍵を入れ部屋を飛び出しました。

目覚めた時、あなたは病院のベッドの上でしたね。閉じたままのカーテンから朝日が差し込み、すずめのさえずりがやけに耳についていた。
「実はここは遠い未来で」
あなたは天井を見上げました。
「目を覚ましたのは治療の見込みが立ったからなんだ。なんて」
そこまで言ってしまって、自分の身体を見下ろし、昨晩と同じシャツを着ていることに気づいて
「仕事……」
そう呟きました。えぇ、覚えていますとも。

上司に病院から呼び出されたことを伝え、なにごとも無かったように電車に乗って会社に向かう間も私は起きていました。病院は都心にあったので立ったまま満員電車に揺られざるを得ない辛さだとか、窓ガラスに映った自分の顔のやつれ具合だとか、髪ぼさぼさのままだとかにうんざりしていましたね。目をしょぼつかせながらも会社についたあなたは、自分の机に向かい。ようやく座れた安堵感と疲労感とでまた大きなため息をついていました。

その日私はずっと起きていました。それはまぁ、同僚や上司に気遣われたり、猫のかわいらしいしぐさを見かけたり、憧れの先輩から食事に誘われたり、憧れの先輩のかわいらしいしぐさを見かけたりした時はありましたけども。けれども眠った覚えはない。始終あなたは微笑んでいたのにも関わらずです。えぇ。とても寂しそうに微笑んでいた。

***

小さい頃からよくカツ丼を食べていましたね。最初の頃は週に一度、普段なかなか顔を合わせることのないお父上に連れられて出かける夕食が楽しみでした。小学校から帰るといつも家にいて面倒を見てくれていたすがたさんはお母上ではないことにあなたは気が付いていたので余計にぎこちなく過ごしていましたが、お父上と三人でカツ丼を食べる時だけはすがたさんにも柔らかい笑顔が浮かんで、それを見たあなたは大いに張り切ってどんぶりいっぱいのカツ丼をたいらげて見せてお二人を驚かせていました。

ある日帰宅すると、すがたさんが居なくなっていた日も、お父上と二人でカツ丼を食べに行きましたね。お父上はその時あなたのことを「一人前」と見込んでカツ丼を食べる意味をお教えになった。自分の中に「カツ」を入れるのだとそのように言われた。あなたはわからないながらもうなずいてみせ、お父上に頭をなでられた。お父上の手は大きかったので鷲掴みにされたような形ではありましたが、あなたはその時の感触を、心が奮い立つ感覚を鮮明に覚えている。

それからあなたは節目となるような事件にあうたびにカツ丼を食べましたね。中学校でいわれなき暴力を振るわれる生徒を見かけ、止めに入ってぼろ雑巾のようにやられた時。カツ丼を頬張りながら、質の悪い連中につきまとわれる日々を克服する方法を考えた。度重なる暴力に反撃しそうになる己に克ち、無言で相手を睨み据えるうち気味悪がった連中からは避けられるようになった。

高校を卒業する憧れの先輩へ告白を決意したあの日もあなたは己に喝を入れた。先輩には真剣に交際している人が居ることを明かされ、あえなく断られてしまいましたが卒業後も先輩やその交際相手の方と気の置けない関係を築ける足がかりとなりましたね。

大学の入学試験の前日に高熱を出した時もあなたはカツ丼を食べた。試験当日体は苦しいのに心は落ち着いていました。見事合格を勝ち取った時もやはり、お父上に肩を叩かれながらカツ丼をかきこみ、かみしめるように笑いました。

敬愛するお父上の葬儀が終わり、火葬場から骨壺を持って帰る途中にもあなたはカツ丼を食べた。お父上の病気のことはあなたもわかっていた。だとしても準備などできようはずもない。だというのにあなたは。

***

病院から出社した日、あなたは手ぶらで自宅に戻りましたね。手を洗いながら鏡に映る顔をじっと見つめていた。あなたは誰にともなく語りだしました。
「父さんと同じ病気だった」
難病で発症後死に至るまで数時間。治療方法も延命方法も分かっていない。お医者様の沈痛な面持ちを私も覚えています。
「医療法人だと名乗る人が会社に来て、生前の献体を勧められた。彼女は」
私はあなたの顔をまじまじと眺めた。クマの浮いた目はみるみる赤くなる。
「すがたさんは、ほかの誰にも聞こえないように先輩も同じ病気だと」
とうとうあなたは涙を流し始めた。
「どうしたらいい?」
ようやくであなたは私に向き合ってくれた。向き合わざるを得なくなった。という方が正しい言い方かもしれない。私は別に嬉しくない。あなたが私を見つめる時はいつだって泣きそうな顔をしているのですから。でも大丈夫。何故なら私は、あなたの「悲しみ」は、そのために存在しているのですから。
「バカバカしい。断りなさい」
第一に献体をするということはあなたは発症もしていないのに死ぬということ。先輩がそんなことを望むとでも思っているのですか?第二にあなたが献体したところで先輩が必ず助かるという確証は?第三に…
「でも!もし自分のせいで先輩が」
「思いあがるんじゃない!」
あなたは何様ですか。全てを救う神様のつもりですか。己の傲慢を恥じなさい。どうしてもできないことが世の中にはあることを知りなさい。あなたは私と向き合うべきだ。向き合って、かつ、断固生きていくべきだ。
「私はそのために存在する」

冷蔵庫の奥にしまわれていたカツ丼を見つけたあなたは、手前にうずたかく積まれた豆腐や納豆の容器、ジャムの瓶をかき分けてそれを取り出し、電子レンジで温めました。
そうして食器棚の引き戸から箸を取り出し、こたつに入って「いただきます」そう言って口に含んで何度も噛みしめ、時間をかけてどんぶりを空にしました。お腹をさすりながら息を吐いたあなたは目尻に涙をためて、そのまま仰向けに転がりました。
「うまい」
後ろめたい気持ちもあるでしょう。悲しいことも起こります。だってあなたは生きているのですから。生きて、お腹が空くのですから。私もようやく眠れるというものです。

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