リリスの末尾

リキッド

 思えば、いつもと違う帰り道の十字路で、おかしな悪魔に出逢ったときから、すべてが変わりはじめたのだ。
 いま、京子はいわゆる「魔性の女」気分を満喫している。社長に俳優、政治家まで、近づいてくる男はみな、京子を下心からではなく、真心から愛しているのだ。より正しく言えば、『リリスの末尾』を愛しているのだが。京子は思う、まるで、スパイダーテールド・クサリヘビにおびき寄せられた哀れな鳥みたい。
 京子は、わけもなくヘビが好きなのだ(もちろん鳥も、ヘビのえさ的な意味で嫌いではない)。キャンパスでは毎日、愛しいハブやマムシやコブラの毒を研究している。そして、不当にダーティーなイメージを押しつけられている彼らを好きなせいなのか、異性からは見向きもされなかった。十字路で、あの男と出くわすまでは。

 その日は、ちょっとした騒ぎのせいで帰りが遅くなった。同じゼミの男子が、被験体の小ヘビに咬まれたのだ。幸い、毒は抜いてあったので、大事にはいたらなかったが。
「すばらしい夜ですね、お嬢さん」
 男がいる。ナンパだと思った。近道だからといって、いつも通らないほうを歩いた自分を心の中で叱った。
「急いでいるので」
 そそくさと立ち去ろうとすると、その男はずいずいと京子に迫り、
「くだらない男じゃありませんよ。僕は悪魔です」
 危ない男だと確信する。「あとで警察に証言するために」とよく見ると、少し度の合っていないメガネ越しに、切れ長の目と鼻筋の通った顔立ちの青年を認めた。全身の血液がふつふつとたぎり始める。いくらヘビ好き女子とはいえ、京子だってれっきとした恒温動物なのだ。
「な、なんですか? 悪魔? ふざけないでください。まあ、少しくらいなら、話を聞いてあげてもいいですけど」
 必死に動揺を押し隠しながら答える。相手はそれに気づくそぶりをつゆほども見せず、
「ありがとうございます。さっそく本題に入りましょう。あなたは今、欲求不満ですね? なにも言わなくていい、僕にはわかります。その地味めな見た目と、全身からかもし出す非社交的雰囲気なら、しょうがないですよね」
 京子の血はにわかに冷たくなる。ああ、毒ヘビをこいつにけしかけてやりたい!
「もう、ご用はすみました? 帰りたいのですが」
「お待ちを! そんなあなたに、朗報です。いまならなんと、あの『リリスの末尾』が、魂半分でご利用いただけるんです!」
 急にセールスマンめいてきた男の口調に、ますますさめた気分になって、
「リリス? 末尾? いったい、なんなのでしょうか。やっぱりからかっているんじゃない」
「からかってなどいません。僕は本気ですよ。リリスというのは、まあ……アダムの元カノ、サタンの妻、そして僕たちの母……とにかく、すごく妖艶な魅力を持った、魔性の女性なんです」
「ああ、なんか読んだことがあるような。ヘビにまつわる伝説についての本で……」
「そうですね、アダムとイヴをたぶらかしたヘビと同一視されることもあります」
「そのリリスさんが、私の欲求不満となんの関係があるんです?」
 しまった。これでは自分で認めたようなものではないか。欲求不満? 愛しい毒ヘビに囲まれたキャンパスライフには、なんの不満も持っていないはずだ。自分を戒める。
「『リリスの末尾』は、魔の霊験あらたかなアイテムでして、これを装着した女性は、たちまちのうちにどんな男性からも愛されるようになるのです……心から」
「なんだか、信じがたい話ですね。それと、大事なのはどれだけ多くの人から愛されるかじゃなくて、どれくらい大切な人に愛されるかだと思います」
「なるほど、賢明な方ですね。いやはや、少し見くびっておりました。……でもね、その大切な人に出逢うために、いろいろな男性とお近づきになるのは、無駄なことではないでしょう? それに、この『末尾』を付けたままの恋は、必ず破局する運命にあるんですよ。まさに、愛の末尾!」
 悪魔は皮肉っぽい笑みを見せる。
「まあ、副作用か、呪いのようなものですね。でも大丈夫。つまりそれは最後までいかないということでもあって、あなたの貞操は守られ……」
「余計なお世話です。そんな妙な器具、買うわけにはまいりません」
 京子はきっぱりと言う。男の言葉がなぜか不愉快に感じられた。
「では、いらないと? お安いのに。セール中ですよ」
「魂半分なんて、高すぎます。お釣りをたんまりもらわないといけません」 
 そうですか、とうつむいた青年の顔はとても憂鬱で、悩ましげだった。そんな様子にしばらく見とれていた京子ははっとして、自分をまた叱る。
「では、僕の魂を差し上げましょう」
 悪魔はにっこりと笑って言った。
「実は、ここ百年ほど、ノルマを達成できてなくて、もうそろそろ粛清されてしまいそうなんですよ。だから、僕のこの魂を、つまり僕の自由をあなたにあげましょう。あなたが半分、地獄に堕ちるその日まで」
 京子はなぜかとつぜん可笑しくなって、笑いをこらえながら思う。「僕のこの魂? あなたが地獄に堕ちるその日まで?」いまどき小説でも流行らないよ、そんなセリフ。
 この変な悪魔に二度と逢えないのは、惜しいような。

 次の朝めざめると、京子は腰のあたりに未知の違和感を感じた。鏡の前で確認する。尾てい骨に接ぎ木するようにして、六センチほどの、緑色の鱗におおわれた尾があった。
「うん、よし。これなら目立たないかな」
 大学へ行く。昨日ヘビに噛まれた男子は、小指に包帯を巻いてはいたが、どうやら元気そうだ。
「大丈夫みたいね」
「京子さんの消毒が早かったおかげだよ。なア……」
 そこで噛まれ男は急に真面目な顔になって、
「お礼に、食事でもどうかな?」
 京子は承諾した。はじめてのデートは、まあ楽しかったと言わなければならない。ランチのチキンソテーは美味しかったし、そのあと一緒に行った爬虫類カフェも良かった。彼はやっぱり噛まれていた。今度はカメレオンだった。
 しかし帰りの車で、いきなり「どっか、休憩していかないか……」といわれたときに、ああ、やっぱり、リリスの魔力は見せかけの魅力なんだな、と思う。
 ドン、と音がして、車が止まった。隣をみると、やっちまった、という顔。しかし轢かれた人物はのそりと立ち上がり、元気に手を振った。
「京子さん! その男はダメですね、タイミングをわかってない。でも、リリスの魔力は本物ですよ。その男は京子さんを心から愛しているからこそ求めるのであって……」
「とっくに他の男がいたんだな。ちくしょう!」
 カマレオン男が叫んだ。助手席からむりやり降ろされる。
 京子は走り去っていく軽自動車を悪魔と見送りながら、
「ダメよ、もっといい男を頂戴。あんなのじゃ満足できないわ」
「ははは。結構、けっこう。あなたも悪女めいてきましたね。それでいい。あなたは本当に魅力的なのだから」
 こちらの強がりを見抜いているのか、いないのか。この男は、まるでつかみどころがない。……ヘビのように?
 
 いま、京子はいわゆる「魔性の女」気分を満喫している。社長に俳優、政治家まで、近づいてくる男はみな、京子を下心からではなく、真心から愛しているのだ。より正しく言えば、『リリスの末尾』を愛しているのだが。京子は思う、まるで、スパイダーテールド・クサリヘビにおびき寄せられた哀れな鳥みたい。
 けれど、たまには私も鳥になりたいな、と考えることもある。そんなときは、悪魔ととりとめもなく語り合う。
「ねえ、もし運命の人を見つけたら、どうすればいいの」
「『リリスの末尾』を外して、結婚でもなんでもすればいいでしょう。それ、着脱可能なんです」
「へえ、そうなの。あと、もうひとつ訊きたかったんだけど――あなたにもしっぽ、あるんでしょ?」
 悪魔は微笑む。しっぽがなくてもモテるんです、僕。

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