帰ってきた獣目(後編)

鰐屋雛菊

 この建物は母屋から独立している離れ屋だ。おそらく平屋造で入り口は一箇所、見た限りその入り口に施錠装置はなかった。格子の間から手を出して、扉に掛かる巾着錠を持ち上げてみる。冷たい金属の塊はずっしりと重い。だが通常の錠前だ。これなら何とかなる。道具さえあれば。
 私は二一世紀の日本で売れないマジシャンだった。売れないなりに得意な分野があり、それが解錠・脱出マジックだ。三つ子の魂百までとはよくいったもので、こんな異世界に飛ばされても私は錠について調べずにはおれなかった。だからこの巾着錠を開ける自信もある。但し道具がなければさすがに手も足も出ない。今はピパが戻ってきてくれるのを待つしかなかった。
 それにしても寒くなってきた。まだ春先で人気のない部屋は底冷えがする。部屋の中央には布団が敷かれているけれど、そこには私の花嫁もとい見知らぬ幼女の遺体が安置されている。まさか隣には入れないし、彼女がもう寒さを感じないとしても布団を引っぺがすのは気が引けた。だいたいあの村長は、どこの馬の骨とも知れない男と孫娘の遺体を一晩二人きりにして心配じゃないのだろうか。私がとんでもない変態だったらどうするつもりだ。見張りがないのは好都合のはずが、何だか無性に腹が立ってきた。きっと寒さと空腹のせいだ。
 ピパには村の連中が寝静まった頃に戻って来るようにと言ってある。まだ先は長いなと鉄格子のはまった窓を見上げると、差し込む夕日が真新しい布団に横たわる幼女の胸のあたりを赤々と焼いていた。そして夜に抗うその残り火の中に、いつどこから迷い込んだのか一匹のヌコが鎮座していた。目が合って思わず背が壁に張り付くも、試しに舌を鳴らして呼んでみたらこいつがずいぶん人懐こい。差し出した指先の匂いを嗅いで頬ずりし、それから長い胴体を胡坐している私の足の間で丸めた。
 ヌコはイタチに似た動物だ。イタチとの違いは臭腺がなく耳が大きめで、ネコのように毛皮の模様や色などが多種多様なところだろうか。害獣避けに農家や商家でよく飼われていたものが、外見の愛らしさから富裕層にも愛玩動物として人気なのだとか。人間との関わりから言えば、ネコと同じと考えて差し支えないと思う。
 私は動物がそれほど得意ではないものの、こうして懐かれるとやはりうれしい。薄暗い室内では定かでないが、おそらく真っ白だろうふさふさの毛並みを撫でていると気持ちが落ち着くし何よりあたたかい。そうして寒さが多少緩和されたせいだろうか、どうもそのままウトウトしてしまったらしい。身体が前のめり倒れそうになって、はっと目を覚ますと牢内は真っ暗で、窓から射しこんでいた燃える一条が、仄白い月光に変わっていた。そういえば今夜は満月だっけと窓を見上げ、そうだぼやぼやしている場合じゃないぞと腰を上げようとして、ひっと喉の奥から声にならない悲鳴がもれた。
 それ、ちょうだい。
 襟元を色鮮やかな刺繍に彩られたこちら風の打ち掛けをはおり、結い上げるには短かすぎるおかっぱ髪に花飾りをこぼれるほど挿した女児が、目の前に立っていた。しかもその姿はちょっと透けてて、うすぼんやりと光っている。
 ちょうだい。しっぽ。
 しっぽ。尻尾? ヌコのことかな。でも足の間にあった重みは消えている。こちらの心が読めるのか、私が声に出さずとも彼女は首を横に振った。
 男のひとのしっぽ。それがあれば、こどもも生まれ変われるんだって、おじいちゃまが。
 そう言われても人間に尻尾はない。男だろうがないものは……ん? 男のって、まさか。
 うん、そう。それちょうだい。
 幼女のふくふくした指が指し示す先に目を落とし、一気に血の気が引いた。
「サトーサトーサトーってば!」
「ふぐっ? んがががが!」
 強制ヘッドバンギングで目が覚めた。襟元を掴んで乱暴に揺さぶる手を叩いて止める。
「あんたって見かけによらず図太いわよね」
 ピパの声だ。じゃあさっきのは夢だったのか。月光がやはり窓から一条差し込んでいて、布団に横たわる幼女の胸元を青白く照らしていた。ヌコは、いない。
「それで、どうやって出るの。斧でも探してくる?」
「ああいや、斧は止めておきましょう。時間がかかるし音で気づかれます。頼んでおいた物は取りもどせましたか」
 ピパは思い出したように担いでいた荷袋を降ろした、ようだった。こう暗くては物音でしか彼女の動向を知る術はない。しかしピパの、日中布に隠されている左目は獣のように夜目が利く。目当ての物はすぐに差し出された。それは革製のケースで、中には十数種類の金属棒が入っている。平たくいうと解錠用ツールだ。
「今から錠を開けます。ピパは表で見張っててください」
「え、鍵なしで開けるの。どうやって。見たい!」
 気が散るのでと何とか外に出てもらい、手探りでツールを選んだ。こちらで主流の錠はウォード錠とほぼ同じ構造のものだ。この錠は内部にウォードと呼ばれる障壁があり、鍵はこの障壁を避けて回転するように作られている。それはとどのつまり、障壁に当たらなければいいわけで、正規の鍵でなくても円筒状の軸に小さな歯の付いた、単純な形状の合鍵(スケルトンキー)で解錠できたりする。私は数本あるスケルトンキーの中からサイズの合いそうな物を選び、鍵穴に差し込んでみた。
 サイズは丁度いいようだが、鍵が回らなかった。障壁にぶつかっているのか。いや、これはおそらく錠そのものの重さだ。だとしたら力任せにやるしかない。でもスケルトンキーの強度が保つだろうか。もし私の勘が間違っていたら、もし歯が障壁に当たって回転を阻害されているのだとしたら……時間はかかるが歯を少し削るべきか。
「サトー! たいへんたいへん、って何よ鍵あるんじゃない。何で頭抱えてんの? ほら、さっさと逃げよ」
 ガシャッという、重々しくも気持ちの良い解錠音が暗闇の中に響いた。え、開いたんですか。開けちゃったんですかピパさん?
 ピパは掛け金から錠を取り外して扉を開けると、急げ急げと私の腕を引っ張る。いったい何事なのか。ピパの答えは予想外のものだった。
「三馬鹿が来てる」

 うわあ本当だ。母屋の前で村長と押し問答しているのは、間違いなく聖河神殿の美少女神玉様が私達に差し向けた追っ手の三人組だった。まずい。彼らのせいで私の逃亡は間もなく露見するだろう。となればこの月明かりの下、身を隠す場所のない畑側へ逃げるのは危険だ。では北にある森へ逃げ込むか。見知らぬ土地の森に夜踏み込む危険を冒すしかないのか。鶏小屋の陰から様子を窺いながらそんなふうに思案していると後ろから肩を叩かれた。
「待ってください。いまちょっと考えごとを」
「誰と話してんの」
 果たしてピパは私の足下に屈んで、私と同じく母屋のほうを見ていたのだった。唾を飲み込む音が重なる。一呼吸の後ふり返れば、そこには金色の燃える目で見おろす大きな影があった。人ではない。牛馬でもない。ああと私は感動にも似たため息をもらした。霊的に人間より上位の存在、霊獣・麒麟が三頭。しかもその背には鞍があった。あの三人組がいつも私達を正確に追跡してきたのは、彼らの霊力によるものだったのだろう。しかしただ驚くばかりの私の耳に、信じられない言葉が飛び込んで来た。
「やった! これに乗って逃げよう」
「はあ? 何を言ってるんです、そのへんの駄馬とは違うんですよ。乗せてくれるわけないでしょう」
「まかせて。今夜は満月だからね」
 ピパは顔半分を覆う垂れ布をむしり取って立ち上がった。月明かりを反射して獣のように光るピパの目に、麒麟たちの頭がすっと伸び上がる。
 夜織姫が地上に垂れたもう美酒に賭けて 獣王の威は天満月の下なれば 獣の悉くを従えり
 どこからともなく聞こえた声に、ピパは満足そうによし! とうなずいて先頭にいた麒麟の角を掴んだ。
 月光に沈む家々の影が後方へと飛び去る。待てと叫ぶ声も置き去りに三頭の麒麟は音もなく駈け、音がないのは天翔ているからだと気づいたのは少し経ってからだった。
「きーもちいーい!」
 ピパがはしゃいでいる。夜風はまだまだ冷たいけれど、火照った頬にはちょうどよかった。

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