Fairy tail

nameless権兵衛

 やれやれ、もうこんな時間か。
 すっかり日の暮れた空を眺め、私は思わず独り言ちる。予定外の残業は常にありがたくないもので、いつもより三時間遅れで庁舎を後にする。もっとも帰ったところで誰かが待っているわけでもないが、疲れと空腹から足早になる。仕方ない、夕食はどこかで適当に済ませるとして、家に帰ったら一杯やるか。確か三本‥‥、いや二本だったか?とにかく冷蔵庫にビールが冷えているはずだ。
 などと考えながら駅への近道である路地に入ると、電柱の陰に何やら白い塊が。月が雲間に隠れているせいで辺りは暗く、最初それがなんだかわからなかったが、じっとこちらを見つめる緑色の瞳がその正体を教えてくれる。
 なんだ猫か。私は構わず先を急ぐことにした。しかし脇を通り過ぎようとしたところで、その猫が声をかけてきた。
「すみません‥‥そこノ方」
 なんだ、猫かと思ったら猫妖精か。
「‥‥何か?」
「私、尻尾を探しているノですが、ご助力頂けナいでしょうか?」
 この子に限ったことでもないが、どうも猫妖精の言葉はナ行が聞き取りづらい。それにしても尻尾を探すとはおかしなことを言う。もう宵の口も過ぎた頃だしマタタビにでも酔っているのだろうか。
「おいおい、大丈夫か?尻尾なら君のお尻にちゃんとついてるよ」
「これは私ノ尻尾じゃナいんです!」
 そういって私の前に飛び出してきた彼女は、妙な姿をしていた。まだ若いペルシャ猫で白く美しい毛並みをしているが、よく見ると尻尾だけがやけに細い。いや、細いのではなく、短毛種の様に毛が短く、おまけに色が灰色だ。だが、その奇妙な姿にはピンとくるものがあった。
「あ~、妖精魔法か。姿替えの魔法で尻尾を取り換えられたようだな」
「はい、ちょっとうたた寝している隙ニかけられたみたいで、犯人ノ猫妖精を捜していますノ」
 つんと澄ました口調で話しているが、どうやら相当お怒りの様子。その証拠に、不機嫌の証として尻尾がバタン、バタンと大きく振られる。その姿がなんとも愛らしく、おかしさが込み上げてくる。
「でも、どうせ猫妖精がかけたいい加減な魔法だろ、放っといても一日もすれば元に戻るんじゃないか」
「それはわかっていますが、この様ナ仕打ちを受けて黙っていることナどできませんわ!」
 ますますつんつんする姿が可愛らしく、私は相好を崩していた。何とはなしに好感を覚え、力になりたいと思うが、あいにく私はしがない公務員で魔法も幻術しか使えない。待てよ。この辺の猫のことならあいつに聞けば‥‥
 そこまで考え付いた時、ふと悪い予感が頭をよぎった。
「もしかして君に魔法をかけたのは、額に古傷のある青い目をした灰色猫じゃなかったかい?」
 はっとしたように彼女の耳がピンと立つ。
「ええ、小狡そうナ顔ノ、おかしナしゃべり方をする猫でしたわ」
 概して世間と言うものは狭いものだ。図らずも私には犯人がわかってしまったようだ。そこで私は身を屈めて彼女に向かって手を差し伸べる。
「どうやら君の力になれそうだ。おいでお姫様、君を悪い魔法使いの元へ案内しよう」
「お姫様はやめてください、私ノイエと申します」
「そうか、私は山鹿大輔。市役所の福祉課に勤めている。よろしくな」
 いささかためらう様子を見せるも、ノイエは意を決したように腕の中に飛び込んできた。私は彼女を優しく抱き上げると、大通りに向けて歩き出した。

 駅前の繁華街を抜け、居酒屋が軒を連ねる小路に入ると、程なく目的の小さなスナックに辿り着く。「キャット・ブッカ」と看板のかかるドアを開けると、青いドレスの美人ママが私に気付いて顔を綻ばせる。
「あら市役所のお兄さん、どうしたの、久しぶりじゃない」
「やぁママさん、相変わらず綺麗で何よりだ。ところでちょっとあいつに会いたいんだが、今いるかな?」
「そういう時は嘘でも私に会いに来たっていうのよ。でもいいわ、ほらマニーちゃん、あなたの恩人が来てるわよ」
 どこで聞いていたのか。ママの声に応じて、突然空中に灰色の猫が現れ、カウンターの上に飛び降りる。まるで魔法のように姿を現したと言いたいところだが、正真正銘の妖精魔法。星幽界に門を開くことで次元を飛び越えることができる妖精族ならではの魔法である。
「ありゃ、山鹿ノ旦那。お久しぶりじゃナいですか~、あたいに会いに来て‥‥、うニゃ!」
 最後の驚きの声は腕に抱えたノイエを見てのものだった。驚いたのはノイエも同じの様で、威嚇の唸りを上げるや腕の中から飛び出そうとするので、慌てて押さえつける。
「やっぱりお前の仕業か、マヌハエラ!」
「ナ、ナんノ、ことかニゃ~、あたい悪いことはナニもしてないニゃ~」
「‥‥とぼけるつもりなら、せめて尻尾を隠してから言え」
 灰色の猫妖精は慌てて手で尻尾を隠そうとするが、いまさら遅い。彼女のお尻からはふさふさした毛並みの白い尻尾が揺れていた。まったくこいつは、何も変わってないな。
 猫妖精マヌハエラと出会ったのは二年前。段ボールの船に乗って川に流されていた彼女を、春先の冷たい川に飛び込んで助けたのが縁である。どこか憎めないところはあるのだが、やんちゃで悪戯好きなトラブルメーカーで、こちらのママがぜひ引き取りたいと申し出てくれた時には、彼女が女神に見えたほどだ。そのママがむんずとマヌハエラを捕まえる。
「ちょっとぉ、マニーちゃん。あんたまた悪さしたんじゃないでしょうね」
「そ、そいつが悪いんだニゃ、うちノ縄張りであちこちエサをもらってるって‥‥、野良でも仁義を通すのニゃ」
「あんた毎日ご飯食べてるでしょ、その位許してやんなさい」
 眉を吊り上げたママに詰め寄られ、マヌハエラは耳を伏せてしょんぼりした表情。他の何よりこれが一番堪えるようで、私もこれ以上怒る気をなくす。
「とにかく戻してやれ、もう気は済んだだろ」
 不満そうな顔をするも、ママに睨みつけられたマヌハエラはとうとう観念した様子。口の中で何かもごもご唱えながら尻尾を一舐めすると、たちまち元の灰色尻尾に戻る。
 喜びの声は腕の中から聞こえてきた。見ればノイエは戻ってきた自分の尻尾を大事そうに抱えている。やれやれ、思わぬ事件ではあったが、これで一段落かな。

 済まなさそうに謝るママをなだめ店を出ると、雲間から月が現れ、青い光を地上に投げかける。今宵は双子の月の片割れ、青の月アルシアが輝くブルーナイト。月の光を受けて、街角の花壇に植えられた月灯草が淡く輝きだす。不意にノイエは腕の中からするりと抜け出すと、かしこまった様子でこちらに向かって頭を下げる。
「本当ニお世話ニナりました。ですがこれ以上ご迷惑をおかけするわけニも参りません。ここでお別れです」
「それで、これからどうするつもりだい?」
「どうと言われましても、野良猫暮らしニ戻るだけですわ。ですがいつか山鹿様ニはご恩返ししたいと思います」
「そうか。なら、ちょうど頼みたいことがあるんだが、お願いしてもいいかな」
「ええ、私ニできることナら何ナりと」
「実は住み込みで電話番をしてくれる猫を探しているんだけど、どうだろう。引き受けてもらえないかな」
 ノイエは驚いた様に目を丸くすると、心配そうに尋ねてくる。
「そ、それはもちろん嬉しいノですが、そノ‥‥本当ニよろしいノですか。私ナどで?」
「ちょうど一人暮らしも退屈に思っていたところでね。まあ、公務員の給料じゃあまり贅沢はさせてあげられないけど、君のような猫がいてくれたらきっと楽しいと思うよ」
 そういって手を差し伸べると、ノイエは嬉しそうに腕の中へ飛び込んできた。喉をゴロゴロ鳴らしながら頬を寄せてくる彼女が愛しく、温かい気持ちが込み上げてくる。
「さぁ、うちに帰ろうか」
 私は幸せな気持ちを噛みしめながら、新しい家族との一歩を踏み出す。今夜は青い月の光が優しく感じられた。

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