化け鼠

樹莉亜

 その町には、奇妙な生き物と一寸変わった人々が住むという。誰とはなしに、そこは妖町(あやかしまち)と呼ばれていた。

 裏長屋のお玉を訪ねてきたのは、三匹の子猫だった。
「あらまあ何だい、お前さんたち。あたしに何ぞ用かい?」
 戸口にかたまって、しきりに鳴いている子猫たちに家の中へと入るよう促すと、お玉は畳に上がって己も猫の姿に戻る。人の姿を失って崩れた落ちた着物の裾から現れた真っ白な猫の尻尾は二股に分かれている。
 子猫たちがまた一斉に鳴き出したところで、お玉が己の尻尾をぴしゃりと畳に打ち付けた。
「うるさいよ、お前さんたち。一人ずつ話しな」
 一喝すると、子猫は耳を伏せて首を竦める。そうして一匹が恐る恐るお玉を見上げて口を開いた。
「おいらたち、化け猫に成りたいんです」

 妖町と俗に呼ばれる、お玉の住むその町とは堀川を挟んだ向かいの町に、米問屋がある。その店に暫く前から鼠がでるようになり、倉の米や台所の野菜などが荒らされるようになった。米問屋の主人は鼠を捕らせようと猫を飼い始めたが、ある夜激しく争う猫の鳴き声に家の者が様子を見に行くと、猫が喉元を噛み切られ絶命していた。傍には犬のように大きな鼠がいたという。
「その殺された猫が、おいらたちのおっ母さんです」
 語り終えた子猫がしょんぼりとした様子で俯く。
「そうかい、そりゃ大変だったねえ。けど、それでどうしてあんたたちが化け猫に成りたいなんて話になるんだい?」
「おかみさんが言ってたんです。『あれはきっと化け鼠だから、化け猫でもなきゃ退治できない』って」
「だからおいらたち化け猫に成って、おっ母さんの仇を討ちたいんだ」
「どんな修行でもします。化け猫の成りかたを教えてください」
 お玉はなるほどねえと、前足で顔を洗う。
「それであたしの所に来たってわけだ」
 子猫たちの懸命な様子には胸を打たれるものの、化け猫というのは修行や何かで成れるわけでもない。お玉がそう説明しても、子猫たちは諦め切れない様子であった。
「いいかい? こういうのは己で決められるもんじゃあないのさ。ある日尻尾が割れて『ああ、あたしゃ猫又に成ったんだね』って思うもんなんだよ。成りたいからって成れるわけでもなけりゃ、成りたくなくたって成っちまう。妖ってな、大抵そんなもんなのさ」
 お玉の言葉に、子猫たちはしょんぼりと項垂れる。お玉は、しょうがないねえとこぼしながら伸びをして立ち上がった。
「化け猫に成れるかどうかはともかく、おっ母さんの仇を討ちたいってんなら、助太刀してやろうじゃないか。あたしも猫の端くれだ。猫が鼠にやられっぱなしってのは面白くないからね」

 犬ほどもある化け鼠を相手にするとなれば、まともにやり合って子猫に勝てる見込みはない。お玉は子猫たちに、身体の小ささと素早さを活かし三匹がそれぞれに動いて化け鼠の気を散らす戦法を授けた。そうして子猫たちは昼夜を問わず修練を重ね、五日後お玉と共に米問屋へと赴いた。
 軒下に潜み、夜を待つ。
 夜半を過ぎて倉の方から物音が聞こえた。近づくほどに獣の匂いがする。暗がりでも容易に見えるお玉の目が米倉の隅にいる大きな鼠の姿を捕らえた。
 子猫たちを促し、音を立てずそろりと忍び寄る。米を食べるのに夢中なのか、鼠はこちらに気づく様子はない。
 お玉は一息に間合いを詰めて飛びかかった。
 ギャッという声と共に鼠が首を振る。お玉に続けと、子猫たちが三方から飛びかかる。かみつき、爪を立てては距離を取り素早く逃げるを繰り返す。すばしこい小さな子猫に翻弄されて、鼠は何度も身を捩る。その隙にお玉が鼠の背に爪を立て伸しかかる。
「今だよ!」
「おっ母さんの仇!」
 お玉の合図で、子猫たちが一斉に鼠の喉元に食らいついた。
 鼠は寸の間、動きを止めた。
 仕留めたかと思った刹那、鼠は強い力で猫たちを振り払った。子猫たちは銘々転げて棚の隙間に逃げ込み、お玉はひらりと身を翻して着地する。全身の毛を逆立てて大鼠と対峙する。鼠はよろけて壁に背を預け、首だけをお玉の方に向けていた。
「お前……お玉かい?」
 鼠は力のない声で、そう呟いた。
 お玉はその声に聞き覚えがあった。
 遠い昔。お玉の母猫もお玉たち兄弟姉妹を遺して死んでしまった。生前からお玉の母と仲の良かった一匹の旧鼠は、その後お玉たちが独り立ちするまで面倒をみてくれた。その旧鼠の声と、目の前の大鼠の声はよく似ていた。
「おっ母さん……もしや、おっ母さんかい?」
 お玉が声をかけると、大鼠はふらりとこちらへ踏み出しかけたが、子猫たちが棚から出て来るのを見ると、途端に影の内へ姿を消してしまった。
 戸惑いの眼差しで見上げる子猫たちに、お玉は「帰るよ」と、言った。
 それはどこか悲しげな声音であった。

 翌日、お玉はもう一度米問屋に行った。米倉の裏の匂いを嗅ぎ廻って昼でも暗い一角に穴を見つける。中に入ってみれば、思った通り大鼠の巣穴であった。
「おっ母さん、あたしだよ。お玉だよ」
「お玉かい」と、弱々しい声がして大鼠が姿を現す。
「やっぱり、おっ母さんなんだね」
 育ての親である旧鼠をお玉は母と呼んだ。
「どうして……」
 こんなことをしたのか、と続けようとして言葉が詰まる。生きる為だ。鼠が米を食う理由が他にあろうか。
「あの子猫たちはお前さんの子かい?」
 大鼠の問いに、お玉は首を振る。
 あれは先頃、大鼠が殺した母猫の子供だと伝えると、大鼠は深いため息を吐いた。
「そうかい。あの猫、子供がいたのかい。あたしも死にたくなくて夢中だったが……そうかい、悪いことをしたねえ」
 大鼠は億劫そうに身体を横たえ、鼻先をお玉に向ける。
「おっ母さん、うちへおいでよ。川向こうの隣町でね、『妖町』なんて呼ばれてるとこさ。大きな鼠がいたって誰も驚きゃしないよ。米倉はないけどさ、二人でおまんま食ってくぐらい、あたしが何とかするからさ」
 お玉の誘いに、大鼠は眩しいものでも見たように目を細めた。
「そうだねえ、そうしたいねえ」
 その声は嬉しそうでもあり、だがどこか儚げであった。
「すまないねえ、お玉。あたしはもう、長くはなさそうだよ」
 数日前から傷が膿んで熱を持っていると、大鼠は告げた。子猫たちの母親がつけた傷であった。母猫も只ではやられなかったのだ。更に昨日の立ち回りで毒気が身体中に回ったようだという。
「……お玉や。お前にこんなこと、頼める義理じゃないが、あの子猫たちを世話してやっとくれ。あたしが母親を奪っちまったからね……すまないね……」
「なんだい、そんなこと。世話焼きならとっくにしてるよ」
「そうかい。ありがとうよ、お玉」
 お玉の言葉に、大鼠は安堵したように目を閉じた。それっきり、大鼠が目を開けることはなかった。

 長屋に帰ったお玉が、事の次第を子猫たちに話すと彼らはわっと鳴き出した。それは、母の仇を討った喜びのようでも、母の死を受け入れた悲しみのようでもあった。
 子猫たちはしばらくお玉と暮らしたあと、同じ町内の八百屋と菓子司、煮売屋にそれぞれ貰われていった。大鼠を退治した子猫の噂は人だけでなく鼠の界隈でも広まったようで、店には鼠が寄り付かなくなったという。
 子猫たちは時折お玉の長屋へ修業と称して遊びに来る。そんな時には、お玉は二股の尻尾を揺らしてからかってやるのだった。

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