トリニティ・ライフ

霜月朔生

 夜明け前の空を雲が走っている。合間にのぞく尾を引く彗星が、まるで飛んでいるようだ。住居ポッドを出たサクヤはヘルメットのライトをつけ、慎重に岩棚の斜面を登っていった。岩棚の影に息づく気配がある。
 この星へ調査員として来てから、地球時間で三年になる。それはアレクと過ごした時間でもあった。クルーとして生活を共にし、気持ちを通わせるには十分な長さだった。だが、この時を長くと望んだのは自分だけだったのか。
 段を上る先、岩棚の一番上に飛行艇が見えてきた。側で人影が動き、一瞬微かに浮かんだ期待はたちまち消える。
「あ、おはようございます。定期点検終わりました。飛行艇や観測機器に異常ありません」
「ありがとう、タケル」
 代替員が来てから十五昼夜は経つというのに、未だ変化に慣れない自身にサクヤは自嘲した。この惑星は生態系の調査を条件に民間に払い下げられ、サクヤとアレクは五年契約の調査員として開発会社に雇われている。
 日が昇るにつれ、灰や茶、黒などの繊細な縞模様が岩肌から浮き上がってくる。その光が段丘をおりて白波のたつ川面の青緑に映えると、岩棚の影から角笛のような鳴き声が広がった。繁殖期のゲオリスの群が目覚めたのだ。
 ゲオリスは、大トカゲに似た灰色の肢体をそれぞれ天へ延ばし、喉を震わせ大気を遙かに振動させていく。
「相変わらずすごいですね。とても絶滅寸前とは思えませんよ。あれでオスがくるんですか?」
 大音響に負けじと大声で話しかけるタケルに、サクヤは頷きを返した。
「そろそろ来る頃だな。大潮ごとに、ああやってメスが繁殖期を知らせるんだ」
 衛星と主星の重力が関係しているらしいーーと、二人がそろって目を上げた地平には、主星に衛星の影がよりそっている。天頂の薄い光は先ほどの彗星だろうか。
「ただ今回は、楕円軌道の衛星が一番近づき、しかも主星と一直線に並ぶ、約五百年に一度の大潮になるのだと」
 大きな衛星をもつこの惑星では潮汐の影響が大きく、河口から百キロ近くあるここでも、毎回海嘯が起きている。この海嘯がゲオリスの繁殖に不可欠だった。
「日食ですと、かなり大きな海嘯でしょうね。アレクさんも申し送りで、何かが起こりそうとか」
ーー何か起こりそう。
 タケルの言葉に、軌道計算の結果に歓声をあげ、輝いた顔の記憶がサクヤの脳裏に呼び起こされる。原因不明の減少でゲオリスの行く末に気をもむ中での、根拠のない希望ではあったが、なぜかアレクは心待ちにしていた。
 あの輝きが曇りだしたのはいつからか。
 一つ思い当たるのは数ヶ月前に送付された、民生局からのサクヤ宛のメール。それはサクヤが一言ノーと返信すればすむことだったが、決心がつかないまま保留にしていた。おそらくアレクは何かの拍子に、メール内容を知ったのだ。そして、自分に見切りをつけたのかもしれない。
 サクヤはゲオリスの群に双眼鏡を向けた。最初に発見したこの群の近くに住居ポッドを設置して以来、毎日のように観察して一頭一頭の識別はすぐにつく。特に数を確認しなくとも、若い個体の五年前からの減少は明らかだった。それというのも――
「来ました! あれですか?」
 タケルにつられて向けた双眼鏡の中で、小さな影がたちまち数を増し、彼方から甲高い声が風に乗ってくる。
「わあ、あれがオスですか! 翼がある、尻尾が長いや!」
 ゲオリスはオスとメスの形態が違い、普段翼のあるオスは内陸の森林の中、メスは川辺の岩の上で暮らしている。繁殖の時だけメスの呼び声に応え、オスが飛んでくるのだ。
「尻尾の長い小型翼竜みたいですが、大丈夫なんですか?」
「繁殖期は絶食中で、なにより草食で凶暴性もない」
 タケルの震え声に苦笑しながら、サクヤはオスの個体数をざっと数えた。やはりこちらも数が減っている。
 スピードを落としたオスが頭上を旋回し、その動きを追ってメスが首を振る。待ちこがれた来訪者へ歓喜の声が岩棚に反響した。太古の昔から未来を紡ぐため、今の生を充足させるため、飽くことなく求める番の相手。
 一頭のオスがひときわ高く叫ぶと広げた翼を傾げ、メスの群へと滑空してくる。と、みる間に後のオスもそれに続いて高度を下げた。
「あ、何か落とした! え、尻尾ですか、あれ!」
 オスは着地することなく、メスの頭上をかすめる間に、白い尾を次々落下させていく。思わぬ衝撃にメス達は逃げ回るが、弾力があるせいでダメージを受けた様子はない。
「精鞘だよ。繁殖期のメスの声を聞いて体外に伸び、十分発達したところで飛来し、メスはあれを食べて受精する」
「た、食べるんですか?」
「繁殖期になると食道がすぼまり、口に入れたものは卵管へ運ばれるんだ。つまり産卵は口からになる」
 口ぃ――と、タケルがもぐもぐつぶやいて喉を鳴らした。
 岩の上に落ちた精鞘を遠巻きにしていたメス達が、そろそろと近づいていく。半透明の白い表面を鼻先でつつき前肢でしばらく転がした後。
「あれ、食べませんよ……えと、食べてるのもいますけど」
 一応口をつけるメスはいるものの、すぐに離れて空へ鳴き声を放つ。中には近づくことさえせずに、ひたすら首を伸ばして呼び続ける個体もいる。
「そう、あれが減少理由。オスの精鞘を食べないメスが増えているんだ。原因はまったくわからない」
 目の前に望んだものがありながら、本能に刻まれた充足の、どこが足りないのか。
 アレクとの生活も何かが足りなかった。求めは叶えられているはずなのに、アレクもそれを感じていたのだろうか。
 突然目の前に激しい水飛沫があがった。
 気づけば穏やかだった川面は大きく盛り上がり、岸辺を激しく打ち続けている。ゲオリスの鳴き声に、海嘯の近づく音を聞き漏らしていたようだ。今回の規模の大きさを予測して、これまでより高台で観測していたが、波は次々駆け上ってくる。ゲオリス達も翻弄され、怒濤に押されて岩棚の上へと運ばれていく。
「こ、これ、ゲオリスは大丈夫なんですか?」
「メスは水中に数時間潜れる上、波の中で産卵するんだ。海嘯はニ三日続くからね。で、引く水の流れにのって海へでた卵は孵化して」
 ひときわ大きな水塊が揺るがす大音響に、サクヤは息を飲んだ。眼下の住居ポッドが軋み音をたてて傾ぎ、流れに放たれようとしている。
「サクヤさん! ここは危険です! 早く飛行艇へ!」
 たちまち膝まで押し寄せる水流に足がよろめく。タケルの先導を受けながら、なかば四つん這いになって飛行艇へ転がり込んで、必死にハッチドアを閉めた。なおも追いすがる波に半ば浮きながら、エンジン音を響かせた飛行艇が危うく離陸した。その時ーー
 高く盛り上がった水柱の中から、長く巨大なものが空中に跳ね上がり、岩棚の上に飛沫をあげて落ちた。大気は海嘯と風とゲオリス達の鳴き声で満ちあふれ、飛行艇は激しく揺さぶられる。そのぶれる視界の中。
 跳ね落とされた大きな塊に、ゲオリス達が集まっていた。
「食べてる……精鞘?」
 飛行艇が角度を変えると、川面の幾重にも寄せる波の下に黒い大きな影が見えた。高度を上げると、海嘯をさらに押し込み遡上する長い姿がいくつもある。
「あ、あれ、なんです? クジラですか?」
「ゲオリスだ。海のゲオリス……彼らの求めて呼んでいたのは、これだったんだ」
 ゲオリスは地域による個体の形の差が大きい。それでも、遺伝子的には十分交配可能であった。
「はあ、海にもいたんですね。でもなんで今なんだろ」
 タケルが首を捻ったところで通信機が鳴る。サクヤ宛の動画メールとの表示に開いて――息が止まった。
『サクヤ、ひどいよ! すごい宝を持っているのに隠したりして。私は先に親子の名乗りをしちゃったからね!』『サクヤパパ! アレクっておもしろいね! これからそっちへ行くからね。一緒に暮らすの、とっても楽しみ!』
 あの輝く顔と、懐かしいながらすっかり成長した笑顔。
 タケルの問うまなざしに、サクヤは微笑みを返す。
「前のパートナーとの子で、引き取ることにしたんだ」
 この子と自分とアレクで三人。空のゲオリス、陸のゲオリス、海のゲオリスで紡ぎ出された未来。
 見上げた空には衛星の影から出た主星と、微かに尾を引く彗星がある。

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