臆病者のドラゴンテール

少年病

 私はいつだって臆病者で、戦う強さもなく、誰かの背中に隠れているだけの守られる側の人間だった。
 私の生まれは小さな鉱山町。本の向こうにある無数の景色を空想する日々。冒険に出るのを夢に見て、平和を享受する毎日。
 そこに悪魔が攻めてきたのは突然のことだった。悪魔、魔族の王に使役される禍々しい存在。近頃になって組織的に街を襲うという噂は聞いていたが、この町には来ないだろうという根拠のない漠然とした安心感があった。
「家から出てきてはいけないよ。いいね、シグ」
 弓、借りていくわね。そう付け加えて私の頭を撫でると、両親は外へと駆け出して行った。扉が閉まる音を聞いて、寝床の下に潜り目を瞑った。わずかに残る温もり。あの手は確かに震えていた。その震えは私にも伝染し、それからしばらく、私は拳を握って、ただ時が過ぎ去るのを堪えていた。
 震えが収まる頃には、握った拳の感覚ももう無くなってきていた。外が静まったのを期に、恐る恐る窓から外を覗く。地に伏した悪魔が数体。人型だが黒ずんだ皮膚に、二本の角。その場に立っていたのは、鎧を纏った騎士が一人。こちらに気付くと、微笑み手を振った。手招きされ、外へ出る。両親を探したいと告げると、彼は快く引き受けてくれた。
 むせかえるような臭気に口を覆いながら、騎士の後を追う。引き裂かれた遺体と、斬り伏せられた死骸。二つの弓が見えた。見覚えのある弓。そこから腕が伸びている。それもまた二本。母の上に覆い被さるようにして父がいた。私は一瞬言葉を失いそうになったが、差し出された騎士の手に応える両親の姿を見て、私は泣き崩れた。私が隠れている間、両親も戦っていたのだ。互いと、そして私を守るために。二人を抱き起こす騎士の背中は勇ましく、そして同時にこれは運命なのだと感じていた。

 数日の間、騎士への感謝の宴が催され、その間に私の決心は確固たるものとなっていた。両親の反対を押し切り、私は旅に出た。騎士に同行を願い出ると、渋い顔をされたが弓の腕を買われて許可してもらえた。グラムと名乗った彼は、ドラゴンの皮をなめした革鎧を纏い、牙から磨かれた剣を手にしていた。まるで英雄譚に出てくる竜騎士のようだと言うと、彼は頬を搔いて笑った。巷では既にそう呼ばれているらしい。
「王都へ向かおうと思う。今回の件を話さないと」
 王都への道中、グラムの旅の目的を伺った。悪魔は世界各地で活発化していて、遠い辺境の地にあるグラムの故郷も襲われたらしい。そうして彼は魔王を打ち倒す旅に出たそうだ。悪魔だけでなく、悪魔の放つ瘴気にあてられた獣たちは凶暴性が増し、魔物という存在に変わる。そうグラムは言い淀むことなく教えてくれた。確かに道すがら出会う獣はみな出会い頭に攻撃をしてくる。森でも、山でも。魔物との戦い、そして野宿を繰り返し、ふと気付いた。父と共に狩りを行っていたとき、父は常に傍にいた。狩りを教え始めたのも今思えば唐突で、あれはこのことを予期していたのだろうか。悔しさに拳を握ると、ちくりと指が痛んだ。調理の際にできた無数の切り傷と火傷。家で手伝う際には火の周りには立たせて、具材を切るのはいつも母だった。
 最初から最後まで、ほんの小さなことでも私は両親に守られていた。そして今も、戦うときはグラムの背中を見ている。私は何本の矢を射ることができただろうか。私も早く誰かを守る力を手に入れたい。道中、グラムは何度も声をかけてくれたが、次第に返答は相槌を打つに留まっていった。状況を打破することも叶わず、下を向いている内に私たちは王都へと辿り着いた。
 そびえる城壁を潜り、眼前の景色に私は息を呑んだ。故郷とは比べ物にならない人の数。商店には見知らぬ食材や雑貨。中央通りの群衆の上、丘の頂に城が建っている。
「俺も最初に来た時、圧倒されてしばらく口が開いてたよ」
 グラムに気付かされ、私は咄嗟に目を伏せた。呑気に楽しんでいる場合ではない。私はまた口を噤んで、グラムの後に続いた。
「おお、竜騎士様、お戻りで。おや、そちらの方は」
「ついにお仲間かい。いや、それにしてはまた、か細い娘だね」
 市場に入ってからグラムは絶えず声をかけられていた。そして私には好奇の目が向けられ続けた。竜騎士様も隅に置けない、なんて言葉が出るのはきっと私がただの小娘にしか見えないからだろう。そして王城を前にする頃には、竜騎士に付いているる「リザードテール」だと笑われていた。
「謁見の手続き、少し時間がかかるから。また夕刻にここで」
 城門で別れた私は、街に戻る気も起こらず、城の前の階段に腰を落ち着かせて先ほどの言葉を思い出していた。リザードテール。リザードとは一度戦ったことがあった。人型の竜族で、翼はあっても飛ぶことはできず、退化して短くなった尾ではドラゴンのように薙ぎ払う攻撃はできないと、グラムに教わった。ドラゴンテールではなくリザードテール。つまり竜騎士の後ろに付いているだけで戦力外。たった数分で見抜かれる自身の本質。苦笑いと共に涙が出た。
 このまま王都に残るのはどうだろう。何か出来ることはあるだろうか。思案している間に辺りは茜色に染まり、振り返るとグラムは階段の上に立っていた。彼の視線は夕炎に向けらている。守るべきものが彼にはある。遠い故郷を想う決意に満ちた瞳に魅せられた私は、なにも言い出せぬまま再び旅に同行させてもらうこととなった。

 王都を出立してから、私の冒険の日々は加速していった。大陸を超えるために大海原へ。北に向かえば白銀の世界。白と緑の境界線を越えて苔むす森へ。越えれば今度は一面の砂漠。オアシスに拓いた石造りの町。森の中には他種族の村落があり、雪原の町には温泉と呼ばれるものもあった。本で見た、空想した景色を目の前にして、それでも私は素直に喜べずにいた。戦いではやはりグラムの背中に隠れてばかり。時を重ねるほど虚しくなり、一方で彼への憧れは増していった。
 彼はいつだって勇ましく、強者に立ち向かう強さを持ち、決して相手に背中を見せることのない人間だった。私とは対照的な。
 次の目的地へ向け、山脈を越える必要があった。迷路のような洞窟を抜けては、崖を登ったり下ったり。暗闇の中で何度グラムの背中にしがみついたことだろうか。前方に明かりを見つけては駆け出す彼に、置いて行かれないよう私は必死だった。
 グラムは洞窟の出口で立ち止まった。横から覗き見ると、吊り橋がかかっていた。足場の木は朽ちていて、踏み抜いてしまうことは容易に想像できる。けれどそれしきのことで歩みを止めるグラムではなかった。彼は魔王討伐という責務を負いながら、しかしこの冒険を楽しんでいた。そうして軽やかに吊り橋へ足を踏み入れていった。
「シグ、怖いの?」
 振り返ったグラムにからかわれ、私は自身の震えに気が付いた。でもこれは足の震えではない。
「怖いよ。グラムが落ちるんじゃないかって」
 悪魔が故郷を襲ったとき、震えが収まらなかった。あれはきっと、両親と二度と会えなくなるかもしれないという恐怖も混じっていたのかもしれない。私は今でも臆病で、下を覗けばあまりの高さに怖気づき、差し出されたグラムの手を掴むしかない。それでも、この雲の中を歩くような浮遊感。今までの冒険で見た景色、得たもの。そしてこれから先も目の覚めるような無数の物語を確かめたい。この目で。前を行くグラムの、運命だと信じた背中に並んで。
「ねえシグ。なにかを失うのが怖いというのは、きっとそれが誰かを守る力に変わるんだよ」
 僕もそうだからよく分かるんだ。そう言うグラムの表情は見えないが、一方の手で頬を搔く姿に私も笑みを零した。ずっと支えてきてくれた、私の父と母の強さ。私にもあったんだ。
 塞ぎこんでいた私の心を包む臆病な闇は薙ぎ払おう。私はもう、竜騎士の背中にただ付いているだけの尻尾ではない。

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