叛逆する乙女たち

速達配達人

 一晩で千回「み」を唱えると、願いが何でも叶うのだという。その条件は厳しくて、「み」の数が九九九回でも一〇〇一回でもいけない。与えられたチャンスは一年に一度きり、澄み切った空に結ばれた冬の大三角形に穴をこじ開けるようにして叫ぶ。この声をユニコーンが聞き届け、天の川の流れに乗って、願いをこちらまで送り届けてきてくれるのだという。発祥地は日本で、現在は海外でもそれなりに知られているようだ。
 ただ一つ問題があって、それは資格を持つ人間が処女に限られていること。愛する異性の侵入を受けた女は、既にして願いを叶える権利を剥奪されている。男にも同じことが言える。親愛なる部分殿を愛蜜の巣食う現場に安住させてしまったその日から、ユニコーンにはそっぽを向かれてしまう。一角獣の興味の対象は常に、他者の汚れを知らない純朴な少年少女たちだった。性の階級制度に組み入れられてしまった人間は、もはや用済みというわけである。
 毎年二月頃を迎えると、満天の星空に集団で「み」をシャウトする光景が各地で見られるようになる。多くは中高生だが、中には四十は過ぎていそうな特徴的な男性も混じっていた。これまで叶えるチャンスはいくらでもあったはずなのに、「み」を途中でつっかえてしまったり、大三角形がまだ形成されていないうちからその年のチャンスを使い果たしてしまったりなどして、今まで数多くの辛酸を舐め尽くしてきた歴戦の強者と見てよい。
 何にせよ、彼らの願いは皆同じであった。自分の理想の恋人に出会い、彼とめでたく一つになること。そのためだけに彼らは、毎年冬の寒さに耐えながら、「み」を唱える機会を虎視眈々と待ち受けている。

 バレンタインデーだった。坂巻流子(さかまきるこ)は高校二年生の冬を迎えていた。
「るる」という愛称で親しまれているこの女は、鉄仮面のような見た目に反して優しい性根の持ち主だった。捨てられた猫は必ずどこか然るべきところに運んでいくし、泣きべそをかいている児童には率先して救いの手を差し伸べる。初対面では釣り上がった目とそっけない態度が妙に印象に残るが、実際に付き合ってみるとそれが単なる照れ隠しだということがわかる。教室ではなるべく目立たないよう本人は心掛けているものの、何か言うたびにクラスの全員がどっと沸く。マスコットキャラクターのようでいて姉御肌的なところもある、説明しがたい奇怪な乙女である。
 この日は珍しく、快晴だった。最近はずっと曇り空で、夜の美しい光景を堪能できないでいる。最悪の場合太平洋側にでも遠征しようかと思い始めていた矢先の、この晴れ模様である。無論、油断はならない。ネット上で確認できるあらゆる天気予報を覗いてみた。結果はどれも「ここ数日は雨や雪の心配はないでしょう」。曖昧な物言いが少し気にかかるが、今後二十四時間の降水確率は、どの時間帯も二十パーセント以下。誰かに見られないよう、流子は下駄箱のところで小さくガッツポーズを取る。
「おはよー今日も寒いっすね」
 コート越しに背中を叩かれる。振り向いた先には加納千尋(かのちひろ)が立っていた。隣の組の同級生で、流子の中学以来の親友である。
 流子は握っていた拳を首元へと開き、後ろ髪を颯爽と撫でつける。「そう? 最近はずっと曇ってたから、道脇にたむろする雪たちが苦悶の声を上げて萎んでいくのが楽しみでならない」
「強がってみせても、あたしには何もかもお見通しだからな? るるの心は今、今夜の一角獣様のことでいっぱいのくせしてさ」
 それはお互い様でしょと口に出す前から、加納の骨太の体が覆いかぶさってくる。痛いし重いしで我慢ならなかったが、ここは学校という公共の場。二人の時みたいに本音を曝け出したい欲望を、仮面の下へと巧妙に押し隠す。
 そのまま積み荷を運ぶ要領で、流子は教室までじりじりと歩んでいく。その間、同級生から挨拶を受けた。流子はそのたびに適当に返していったが、彼らは皆一様に、背中に引っつく巨女をいない者として取り扱った。意識していなくとも聞こえてくるひそひそ声にしびれを切らした加納が向かうも、声の持ち主は既に姿を消している。
「まあ、誰かを腫れもの扱いして自分たちのみみっちい平和を大切にする、その理屈はわからんでもないけどな。でも中には本気であたしを恨んでいる臆病さ加減満載の子もいるから、早いとこその勘違いをぶっ潰してやりたいんだけどなあ。るるはここじゃかわいこぶってるばっかだから、あたしが代わりに『こいつはあたしのもんだ』っていう血生臭い現実を、公衆の面前で惜しげもなく突きつけてやりたいんだけどなあ」
 自分の気に食わない時、やたら饒舌になるのは加納の悪い癖だ。一方で「なあ」と語尾を伸ばすのは、自分が心地よい優越感に浸っていることの何よりの証拠だった。
 久々の空模様がそうさせたのか、流子自身にもはっきりしない。しかし殊今朝に関しては、この気まぐれな親友はすこぶる好調のようだ。教室の手前で別れる直前、流子は爪先立ちで彼女の耳元へと囁きかける。
「夜。一緒に来てよ」
 案の定、今年一、二番目の笑顔が待ってましたとばかりに飛び込んできた。

 私は適当に地元でいいかなということを口に漏らすと、加納は流子を侮蔑の目で睨んだ。今からちょうど三年前、中学校の図書室での出来事である。
「あたしのためとかそんな糞みたいな理由だったら、あたしが速攻でそのなよなよした紐帯部分かっ切ってやるからな? そうなりたくなかったらあたしのレベルに合わせようだとかそんな甘っちょろい貧弱思想を今すぐ撤回しろ」
 二人の成績には雲泥の差があった。東京にまで行く必要はないが、一段階上の進学校を受験することを担任から薦められていた。
「じゃあ、千尋が私について来ればいいじゃん」
 あの時ほど昂った経験はない。「はあ? あたしがどんだけ底辺か知ってるくせして。そんなに賢さ振りかざしてえのかよこいつ」という向こうからの文句でノルアドレナリンが暴発し、その後は嵐のような応酬が、人目も憚らず行なわれた。その日は結局、お互い何を言いたかったのかがてんで不明なまま別れた。数日間は険悪なムードが続くも、加納が塾に通い出したらしいことを耳にした流子は狂喜しつつ「千尋おおお」と、その大きな背中にダイブしていったものだ。
 そうして二人は同じ高校に進学した。加納は流子以外とはそりが合わず、どこまでも孤高を貫くしかなかった。
「なにぼーっとしてんだ」
 隣から肩を叩かれたことで、流子の意識は現実に引き戻される。そして今、自分が「み」を叫ぶために群衆のただなかに立っていることを認める。
 丘を少し上がった先にある広場は、普段であれば週末の家族の憩いの場である。しかし十一月に入ると利用人数が激減し、初雪が降る頃には一週間を通して十数人ほどにまで縮小する。ランニングコースとしては最適だが、凍結した坂道を走る無謀な人間はまずいない。そもそも市の条例で、冬場の走行は規制されている。
 それでも公園を利用する市民はゼロではないので、毎年の雪かきは徹底されている。特に「み」の言い伝えが全国的に活況を呈して以降、賑わい始める二月に備えて作業人数を倍に増やしたとのことだ。
「けど誰が、わざわざこの日にしようって言い出したんだろうか」
 既にところどころで「み」の輪唱が始まっている。最近のことには違いない。気がつけば、バレンタインの夜に獣のように叫ぶ少年少女たちが冬の風物詩と化していた。
「ま、あたしらには関係のないことだけども」
 中学時代に意気投合して以来、毎年ここを訪れている。この日でなくては駄目というこだわりはない。今回は偶然重なってしまったというだけの話だ。
「一角獣様へ。今年も一年、私たちを御守り下さいますようお願い申し上げます」
「声に出すな恥ずかしい」
 照れ隠しをする加納は貴重だ。みんなの前でもそうやって素直でいられますようにと声なき声で祈ると、繋いだ指先がじんと熱くなる。貴方の望むような乙女ではないかもしれないけど、それもぎりぎりありじゃない? 神話を嫐りつつ、星空に「み」を連ねていく。

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