Re:in car=nation

アライアキオ

 妹の彼氏を殴って帰ると、妹は小石みたいにまだ座っている。どうしようもない現実。全部、夢ならいいのに。

「兄ちゃん。もし、アタシが死んだらどうする?」
 昔から、これが円花の口癖だった。今また、体操座りをして、両足に顔をはさむようにしながら訊いてくる。
「どうもしないよ。ただ、悲しむだろうな。普通に」
「……兄ちゃん、やっぱりマジ平凡」
 と、寂しげな顔でため息をついて、右手でそっと耳元に触れる。俺はその横顔を何気なく見る。真っ赤に染めた短髪に、虚ろな、人形のような顔。彼氏にはこんな顔しないんだろうな。そういうやつなんだ。いつでも、心に鍵をかけている。隙はめったに見せない。物思いに沈んでるときだけ、こういう顔をする。いつものころころ変わる表情は嘘で、きっと、これが本当の顔なんだ。

 突然の交通事故で両親が死んだ時、つまり俺が十才で円花が七才の頃から、俺たちはお互いだけを信じてきた。
 近しい親戚もなく、孤児として生きることになり、引き取られた先は教会。そこで数年を過ごした。ある夜、神父が俺と妹に迫った。俺たちはそこから逃げ出した。
 その夜、円花は俺にはじめて人形の顔を見せた。
 都会での犬のような生活の中、俺たちはそれぞれできる仕事をやった。俺は一日中、建設現場で働いた。妹は……円花は職業柄、タチの悪い男と親しくなることが多かった。
 それから、円花はその仮面のような素顔を見せることが増えた。
 悪友の一人と付き合いだしてから、ぱったり仕事をしなくなった。俺も続けてほしくなかったから、二人分働いた。いや、三人分だ。妹は彼氏と同棲を始めて、ちょくちょく金を無心しに来た。俺は黙って金をやった。
 受け取る時に見せる、虚ろな笑顔。
 ある日、妹が俺の住むボロアパートに泣きながらやって来て、泊めてほしいといった。頬の痣を見て、俺はそのままヒモ野郎を殴りに行った。

「じゃあ、もしアタシがそのあと、生き返ったりしたら?」
「どうもしない。ただ、笑うんじゃないか」
「なんで?……嬉しくて?」
「この世に、戻ってくるほど楽しいことが何かあるのかよ?」
 そっか、と言って円花は出ていった。気が立っていた俺は追いかけもせず、そのまま殺風景な部屋で寝た。

 円花はヒモ野郎の所に行く途中、赤信号を渡ろうとして跳ねられた。急いでいて信号の変わり目に気づかなかったらしい。それに、死の間際「車が……」と呟いた、とも。
 警察からの電話を聞いても、不思議と涙は出なかった。飼い猫がどこかに行ったみたいな悲しみしか感じなかった。それはきっと薄情なことなのだろう。じゃあどうしろと?
 ちなみに、妹が逢いに行ったヒモ野郎は「誰か」に暴行を受けて意識不明。ブチ所が悪かったか。孤児になって十年、とうとう俺も刑務所行きか。
 少しヤケになりつつ、病院への夜道をバイクで駆ける。
 冷たい風が心地いい。徐々に焦燥感が失せ、無感覚になっていく。円花と二人で生きてきたこれまでを思い出す。記憶の中の景色と、現実の景色がごちゃまぜになる。
 急カーブに差し掛かった時、赤い髪がガードレールの向こうに見えた。つい手元が狂い、曲がり損ねる。

「見て」
 いやだ。起きたくない。
「だめ。見て」
 眠い。もう少しこのままにさせてくれ。
「兄ちゃん、見て」
 そっと目を開ける。
「どう?」
 長い黒髪をそよ風になびかせて、円花が立っていた。
 あたりを見回すと、暖かい光に満ちたのどかな草原だった。甘い蜜の香りがする。一輪だけ咲いた白い花へ黒い蝶が留まっている。
「あれ、なんて花なんだ」
「カーネーション。……そうじゃなくて、どう?」
「ああ、似合ってるよ」
 円花は微笑して、右手でそっと耳元に触れた。
 変わらないな。
「ここがどこかわかる?」
「さあ。夢の中なんじゃないかな、きっと」
「……兄ちゃん、やっぱりマジ平凡」
「それよりもだ、俺はお前の彼氏を殺しちまったかもしれない」
「知ってる、さっき逢ったよ。とても怯えてた」
「すまない、……」
「どうして? まだ何も終わっていないのに。始まってもいないけど……」
「どうすればいい?」
「簡単。忘れるのよ」
 忘れられるかよ。
「冗談言うなよ」
「私、もう車の国に戻るのはヤなの」
「車の国?」
「そう、車。自動車、バイク、それに歯車。子供の頃、家族でチャップリンの映画を見なかった? 歯車だらけの世界。アタシら二人とも、忙しく歯車になって働いた。でも幸せにならなかった。それで小さい歯車の方は、他の歯車とくっついた。そしたら、今度はうまく噛み合わなかった」
「そんなの、理由にならない……きっと、何回でもやり直せるだろ」
「理屈じゃないの。私は車に轢かれて、車の国から抜け出した。兄ちゃん、私が生き返ったら笑うんでしょ? 兄ちゃんが目を覚ましたら、アタシも笑ってやるんだ」
 笑わないさ。
「あんな奴のために、ヒモ野郎のために消えちまうのか?」
「元はといえば、アタシのせいだし。それに消えるんじゃない、みんな忘れるの。あのエロ神父も、嫌な仕事も、ヒモ野郎も、兄ちゃんも」
「お前のこと、俺は忘れたくない」
 いつの間にか泣いていた。
「はあ、男らしくないなあ。兄ちゃん、やっぱりマジ……」
 そこで意識が遠のいてきて、やがてほとんど何もわからなくなった。身体が勝手に宙に浮いて、どこか暗い道を、ものすごい速さで通り過ぎていく。
 当分の間、あの草原に戻ることはないだろうな、と思った。それとも、二度と。

 目覚めると、ベッドの上で横になっていた。どうやら病室らしい。脇の窓から朝の光が差し込んでいる。
 向かいで寝ている男は喧嘩でもしたのだろうか、頭に包帯を巻いてうんうんとうなっている。きっと悪夢だろう。
「目が覚めた? 駄目よ、あんまりとばしすぎちゃ。もし、死んでしまったらどうするの?」
 ちょうど入ってきた若い看護師は俺を軽く叱ってから、優しく微笑んだ。
「表情が暗いわね。そうだ、お花を飾りましょう。何がいいかしら?」
「……そうだな、カーネーションがいいな」
 そう呟くと、看護師はぷっと吹きだした。
「意外と普通の花を選ぶのね。それより、あなたご家族は?」
「いません。……一人も。十才の時に両親が死んで、それから一人きりです。」
「やっぱりそうなの。意識がないものだから、あなたの身元をいろいろ調べたのだけれど、誰もいないのよ。あなたを知ってる人が」
「そうですか。……看護師さん。看護師さんみたいな黒い髪の女の人はいませんでしたか、この車の国に」
「車の国。なにかしら。ふふ、まだ夢を見ているの」
 看護師が静かにまた笑った。右手でそっと耳元に触れる。そして不意に虚ろな、人形のような表情を浮かべた。
 なぜか無性に泣きたくなって、無理に頬をひきつらせた。

 なぜ、カーネーションと答えたのか。
 それは自分でもわからないが、そういう名の白い花に黒い蝶が留まっている夢を見ていたことを覚えている。
 だけど、看護師が置いた花は赤かった。
 俺はゆっくりと瞼を閉じる。同じ夢を見れるだろうか。

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