星に願いを

nameless権兵衛

タタン タタン タタンー
 闇の中で輝く星が、窓の外を流れてゆく。夜の町を彩るのは、家々が灯す地上の星。皆同じに見えるけれど、一つ一つの輝きの元には、幸せな家族が暮らしているのね。
 人もまばらな終電の中から、私は流れる星の海を見つめていた。揺れる電車が、少しお酒の入った身体に心地良いリズムを刻む。でも、心臓がドキドキしているのはお酒のせいじゃない。肩に添えられた手の……
 ……崇君のせい。
 隣に座る彼の肩にそっと頭を持たせかけたら、優しく抱き寄せてくれた。忘れかけていた温もりを思い出すには、それで十分だった。

 彼と会うのは六年ぶり。高校を卒業して以来となる。大学卒業後、地元の銀行に就職を決め、社会人として二年目を迎えた春。同窓会の通知が来たのはそんな時だった。
「きゃ~、みみみ。久しぶり~」
 私の同窓会はアキちゃんのこの言葉から始まった。熊耳美海(くまがみみみ)と言う名前から彼女がつけてくれたあだ名で、それを聞いた途端、一気に高校生だった頃に引き戻される。久しぶりに見る懐かしい顔ぶれ。卒業以来の級友達と会うのは嬉しくもあるけど、ちょっとした気恥かしさも覚える。学生の頃、思い描いた未来を叶えた人も叶えられなかった人も皆大人になっており、お酒を飲みながら旧交を温めるのは本当に楽しかった。
 崇君が来るとは思っていなかった。東京で広告代理店に就職したと聞いていたから、来ないと思っていた。
 ……来てほしくないと思っていた。
 でも背広姿の彼は、遅れてお店に現れるや、皆に笑顔で迎えられた。少し大人びた顔つきになっていたけど、笑顔は昔のまま。そんな彼と私は目を合わせることすらできなかった。
 宴もたけなわとなり、終電がなくなるからと言う理由で二次会を辞退すると、彼も明日の午前中には仕事に戻らなければならないと言って、その場を抜け出した。
 嘘をつく時の癖も昔のままね。首に手を当てながら悪い悪いと言う彼は、送るよ、と言って私を連れだした。
 ……まるで、私達が付き合っていた頃のように。

 内気で引っ込み思案で、本ばかり読んでいた私に、彼が告白してくれたのは高二の秋。焚火の炎が夜空を焦がす学園祭の後夜祭。校舎の裏で、ずっと君のことが好きだった、と言われた時、私はただただ驚くことしかできなかった。
 明るく女の子達から人気のあった彼が、美人でもオシャレでもない私のどこを好きになったのか全然わからなかった。でも、あの時の真剣な眼差しは今も忘れられない。消え入りそうな声で、うん、と答えると、子供のようにはしゃぎまわって喜ばれ、びっくりしたのも覚えている。
 それからの一年、彼と付き合っていた時間は本当に楽しかった。あまり外に出歩かない私を、色んな所へ連れ出してくれた。苦手だった人付き合いにも慣れ、友達から明るくなったと言われた。彼と一緒にいると、新たな自分を発見できるようで嬉しかった。そんな私の笑顔を見るのが、何より好きだと言ってくれた。
 ……あの時は、好きな人と喜びを共有することが、かけがえのない幸せだと心から信じられた。でも、今にして思えば、あの頃が幸せの絶頂だったんだわ。短いため息とともに、終わりの日のことを思い出す。
 破局が訪れたのは、付き合い始めてちょうど一年目の頃。将来についての考え方に相違があることは、早い段階から気付いていた。私は地元での就職を望み、彼は都会へ出たがっていた。お互いの夢を追っているのだから仕方ないことだと思っていたけど、彼の中でそれは、焦りとなっていたのだと思う。
 ある日、崇君の家で一緒に勉強していた時、突然彼は私の身体を求めてきた。急に抱きしめられたかと思うとベッドへ押し倒され、いつにない強引な態度に驚きを隠せなかった。いつかそんな日が来ることは、覚悟していたつもりだったけど、怖いくらいの眼差しに優しさはなく、むしろ暴力的な光を宿していた。ブラウスを脱がせようとする彼の手を振り払い、私は激しく拒絶した。
 ついに悲鳴を上げ、力いっぱい両手を突っ張ると、そこには今まで一度も見たことのない、悲しそうな表情の彼が立ち尽くしていた。取り返しのつかないことをしたのだと自覚したけど、その時の私は動揺していて、ただ逃げ出すことしかできなかった。
 それから、私達は疎遠になった。お互い顔を合わせ辛くなり、何かと理由をつけて避けるようになった。その内受験勉強で忙しくなり、ついには自然消滅という形で私達の交際は終わりを迎えた。
 ……それなのに、どうして私は彼といるのだろう。

トクン トクン トクン……
 触れ合った肌から、彼の鼓動が伝わってくる。それともこれは私の鼓動?
 私の知らない六年間を、あなたはどう過ごしてきたの?東京ではどんな暮らしをしていて、どんな人達と一緒にいるの?色んな事を聞いてみたい。私のことも聞いてほしい。でも、口にするのは怖かった。また、彼を傷つけるんじゃないかと思って。
「ねぇ‥、恋人はいるの?」
 思わず口走った言葉に、自分自身で驚いていた。私ったら何を……。
 抱き寄せる手に力がこもり、彼の緊張が伝わってくる。
「今は……いないよ」
 今は……ね。そっか、いないんだ。
「……ずっと、美海のことが忘れられないんだ」
 呟くような彼の言葉にドクンと胸が高鳴るが、すぐに締め付けるような痛みに代わる。私はこの言葉を聞くのを恐れていたんだわ。
「……でも私達は、お互いの道を歩き出したのよ」
 そう、私達はもう子供じゃない。好きな気持ちだけではどうにもできないことがあることを知っている。もし彼が私のために地元に戻ると言えば、それは彼の夢を奪うことになる。だけど私が彼の元に行けば、その選択を後悔しないなんて言えるかしら。崇君と別れたことは、お互いの夢と、幸せを選んでのはず……
「だけど、それでも僕は美海のことが好きなんだ」
 いつかと同じ真剣な目で見つめられ、私の心は大きく揺らぐ。でも……
 いつの間にか電車は止まり、アナウンスが私の降りる駅名を告げていた。

 背後で電車が発車する音を聞きながら、私は一人ホームに佇む。まだ肌寒い春の夜風が、肩に残った温もりを奪い去ろうとするかの様に吹き抜ける。
「これで…、よかったのよ…ね」
 呟く言葉に応えるものはない。少し気分を落ち着けてから帰ろう。そう思って傍らのベンチに腰掛けると、途端、涙がとめどなく溢れてきた。泣くなんていつ以来かしら。こんなに感情が溢れてくるなんて、彼と別れてから一度もなかったのに。私はお化粧が崩れるのも構わず子供のように泣きじゃくった。 
 本当はずっと後悔してた。あんなふうに好きな人と別れてしまい、それを正当化しようと心を偽ってきた。彼が今も思ってくれていることを知っても、受け止めようとしなかったのはお互いの幸せの為なんかじゃない。本当は自分が傷つくのが怖かっただけ。そして私はまた六年前と同じ後悔を繰り返そうとしている。
「嫌よ……」
 このまま終わりにするなんて嫌。やっぱり私、崇君が好きなんだ。どうしよう、本当に涙が止まらない。まるで今まで胸の中に押さえこんできたものが迸ってくるみたい。せめてこの気持ちを彼に伝えたい。恋愛ドラマのようにハッピーエンドを迎えるとは限らないけど、傷つくのを恐れて逃げるのはもうやめにしなくちゃ。
 現実は甘くないし、未来のことはわからない。だけどこれからの私と彼の恋物語は、自分の意思で綴らなくちゃいけないの。だから、もう俯くのはやめるわ。涙を拭いて顔を上げると、澄み切った夜空には星の海が広がっていた。
 流れ星ではないけれど、泣いている私を眺めていた星に願いを。
 ……どうか私と崇君が、地上を灯す幸せの星になれますように。

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