主夫は家事室で愉楽する

檀敬

「む、む、む、分からん!」
 黒いTシャツを両手で持ち上げて悩んでいた。
「これは誰のTシャツなのだろう?」
 よく晴れた日の午後、室外から洗濯物を取り込んで家事室でたたんでいるところだった。
 絶好の洗濯日和だったので、ルーチンワークの家族四人分の洗濯物とその他にシーツなどのイレギュラーな洗濯物も洗ったために量が多かった。手当たり次第にたたみ始めて、数個目に手にしたのがこの黒いTシャツだった。
 たいていの場合、洗濯物の形状や色を見ただけで家人の誰の物なのかはおおむね判断ができる。さすがに、ブラジャーは長男や次男の洗濯物であるはずはないからだ。
 しかし、この黒いTシャツは一目で家人の誰の洗濯物なのかを判断できなかった。
 このように「この洗濯物は家人の誰の物だ?」と分からない事案はそんなに珍しくない。新しい衣類を買ったと自分に知らされない場合に発生するからだ。
 ここから、主夫の推理タイムになるのだ。

「み、み、み、見ろ!」
 黒いTシャツの襟を確認すると小さなタグがあり、そこには「L」という表示がある。しかし、男性物のLサイズにしては短い丈のような気がするが。
 詳しく検分した「黒いTシャツ」の証拠を挙げてみる。

・無地で、布地が黒色の半袖Tシャツ。
・襟首のタグには小さく「L」と書かれているだけ。
・目視だが、Lサイズにしては全体の寸法が小さめ。
・布地は薄く、高級なTシャツではない。
・表向きにして干したので手掛かりが消滅した。

 最後の証拠については説明が必要だろう。
 実は、女房は一つのポリシーを持っていて「汗をかくから、シャツは必ず裏向きに脱ぐ」というものだ。
 しかし、洗濯物の干し方で自分もポリシーを持っている。それは「たたみ易いように表向きにして干す」である。
 もちろん、例外はある。色の濃い洗濯物は、色あせ防止に裏向きで干すのだ。しかし、この黒いTシャツは安物だったので、この例外処置は行わなかった。

 なぜこのように干す時のこだわりがあるのかというと、キレイにたたんで収納することを目指しているからだ。
 たたみ易い洗濯物はちゃんとしわが伸びて乾いている洗濯物であり、その洗濯物のしわが伸びるか、伸びないかは干す時に決まる。だから、一度裏返してからまた表向きにするなどいった、手間をかけて干しているのだ。
 また、乾き易さを考えて、下着と靴下、厚物や薄物、長袖と半袖、フード付きのパーカやジャンパー、ズボンや上着のポケットの数とその位置を考慮し、裏向きにしたり広げたりしてハンガーやピンチハンガーに干す。
 干す際には、洗濯物と洗濯物の空間を開け、厚物と薄物、あるいは綿物と化繊物を組み合わせて干し、空気の通りが良くなるように配慮する。
 このように洗濯物の完全乾燥を目指して、干す時には乾かすことだけを考えているので、たたむ時の「これは誰の洗濯物か」を断定できる情報を看過してしまうのだ。
 もし、干す際に「この黒いTシャツは裏向きだった」という情報を覚えていれば、この黒いTシャツは女房の物だと断定できた。
 しかし、自らが干す時に洗濯物の状況を覚えていなかったために証拠の一つを消滅させてしまったのだ。

 ここまでの推理をまとめてみよう。
 この段階で考えられる持ち主は「次男」である。彼は傾向として黒を好み、実際に黒いTシャツをたくさん持っている。
 長男は色物やプリント物を好むので、黒いTシャツを持っていない。
 また、女房の物である可能性も捨て切れない。彼女は色物もたくさん持っているが、黒い物も持っている。ただ、女房の物だと考えると、件の黒いTシャツの「L」というサイズ表示が気になる。
 まずは「長男」の可能性が無くなったことだけは間違いない。

「まぁ、まぁ、まぁ。推理はこれくらいにして、次の洗濯物をたたもう」
 洗濯物はこれだけではない。今日は大量にあるのだ。列挙した証拠から次男の物、もしくは女房の物ではないかとライトな断定をして黒いTシャツは脇へ置き、他の洗濯物を次々にたたんでいった。

 実のところ、洗濯という生活行動は前日から始まっているのではないか? と思うことがある。
 洗濯物をたたむ段階では完全に遅くて、干す時、いや洗濯槽に洗濯物を入れる時、いやいや、完璧を期すなら、前日の家人の様子を記憶することまでに考えが及んでいないと『洗濯』という生活行動は完結しないのではないだろうか? などと考えたりするのだ。
「昨日のあいつらはどんな服装をしていたのだ? それさえ覚えていればこんな苦労はしないのに」
 申し訳ないのだが、自分は毎日、毎回、そこまでの意識が働かないのだ。そのためにこうした事態に陥るわけであり、陥ってからいつものごとく、こう思うのである。

「めぇ? めぇ? めぇ? 変だなぁ?」
 大量の洗濯物をたたみ終わって、女房、長男、次男、そして自分の洗濯物が積まれた山を見て違和感を覚えた。
「おかしい、何かがおかしいぞ」
 それぞれの洗濯物の山を検分する。まずは靴下とか下着とかシャツ、ズボンにアウターといった種類とその数をチェックし直した。
 ルーチンワークの洗濯物には一つのルールがある。
 それは直近に着用していた衣服を洗濯するということから、種類は一人分のセット、つまり靴下と下着(パンツやブラジャー、シャツなど)、ズボン、アウターが一枚ずつということになる。
 また、何回も着替えたわけでなければ、その数量もそれぞれがせいぜい複数枚になる程度だと推測できる。もちろん、一種類だけ着替えた場合もあるだろうけれども、その場合はそれだけが余るので判別ができる。
 今回の洗濯にはルーチンワークに加えて他の洗濯物もあったが、それらはシーツとか枕カバーとかで惑わされることはなかった。

「やはり、つじつまが合っていないなぁ」
 自分と長男の洗濯物は問題ないので、疑わしい女房と次男の洗濯物を比較する。
 次男の洗濯物には既にTシャツが積まれていた。そして、次男は昨日、着替えをした形跡はなく、また洗濯物の種類と枚数のつじつまは合っていた。
 女房も昨日、着替えをした形跡はない。しかし、洗濯物の種類と枚数は合致していなかった。シャツが足りないのである。
「これで間違いない」
 確信を得たので、件の黒いTシャツを女房の洗濯物に積んだ。

 女房が帰宅するのを待って、件の黒いTシャツのことを確かめた。
「そうよ、私のTシャツよ。よく分かったわね」
「Lサイズというタグがあったから『次男の物かもしれない』と、かなり悩んだよ」
「あぁ。あれは女性用のLサイズよ」
「もう! もう! もう!」
 こうして、黒いTシャツの所有者は判明した。

 こんな推理をするまでもなく、所有者の分からない洗濯物を別にしておいて、家人が帰宅した時に一人ずつに尋ねれば良いことではある。
 では、どうして「誰の洗濯物か」と推理するのか?
 それは『主夫の密かな愉楽である』とでも言っておきましょうか。

感想を投稿する
ログインする※ログインしなくてもコメントできます!
コメントするときにログインしていると、マイページから自分が付けたコメントの一覧を閲覧することができます。

名前は省略可。省略した場合は「匿名希望」になります。

感想の投稿には利用規約への同意が必要です。