喫茶ねこまた亭繁盛録

カジキ

「いらっしゃいませ〜」
 鈴を転がすような声が出迎えるここは喫茶「ねこまた亭」。ビジネス街の一角にある古い喫茶店だ。通りに面した窓からは午後の光が入り、歴史を感じる飴色の調度品を、まるで琥珀のように照らし出す。
「こちらにどうぞ〜」と案内にきたウェイトレスは、そのシックな店の内装とは似つかわしくない、いわゆるメイド服姿。しかも膝上丈のスカートにニーソックス。とは言え決して下品ではなく、なんというか「萌え」というよりも「可愛らしい」制服だ。頭にはネコ耳がぴょこぴょこして、腰のあたりからでている尻尾がゆらゆら揺れている。
 大きな一枚板のカウンターはまるでオーセンティックバーのよう。戸棚に並べられたたくさんのカップは、どれも白い肌に薄く植物の絵が描かれている。カウンターの奥の席に案内されたのだが、席に近づいたところでかわいいウェイトレスは「あっ」と声を上げた。
「マスター、駄目じゃないですかこんなところでさぼっていたら」
 そう、言われたマスターは立派なひげをふるふると揺らし、大きくあくびをした。
「にゃぁ」
 と、言ってひょいっと椅子から飛び降りる。ノルウェジアンフォレストキャットというやつだろうか。気品のある佇まい、あたたかそうなでフサフサの毛並み。マスターはネコであった。
「すみません……。マスター、今日はここがお気に入りみたいで」
 と申し訳なさそうにウェイトレスが頭を下げる。一緒にネコ耳もふにゃぁと折れている様子がいかにも可愛らしい。なんとも微笑ましい光景にこちらも口角が緩む。
 着席すると同時に、カウンターの向こうからおしぼりとお冷が差し出された。初老の男性で、こちらも洒落た口ひげを蓄えているがネコではなさそうだ。
「ご注文は?」
 落ち着いた声だ。ニッコリと笑ったときにできる顔の皺まで、なんだか安らいで感じる。
「ブレンドを……ん?」
 メニューも見ずにブレンドを頼もうとしていたが、視線のはしに見えたメニューに見慣れないものがあった。
「お気づきになられましたか? 当店の名物なんですよ」
 そう答えながら、マスターがいたずらっぽい笑みを見せる。
「じゃぁ、それを」
「かしこまりました」
 注文をし、おしぼりで手を拭きながら店内を見渡す。ネコのマスターはどこか暖かい場所に移動したのだろうか? 店内に見当たらない。できれば少しもふもふさせて欲しかったなぁ……
「おまたせしました」
 眼の前に氷がカップを叩くカランという音がした。カップからわずかに揺らめく湯気がコーヒーの芳醇な香りを鼻孔に運んでくれる。
「ホットのアイスコーヒーです」
 湯気の立ち上るカップには氷の入ったコーヒーが注がれている。カップは少し汗をかいているように見える。狐につままれたような気分でコーヒーを眺めていても、氷は溶ける気配はない。
「この氷には秘密があって、実はコーヒーで作ってあるんですよ。なので溶けても味が薄まらない。いつまでもアツアツのヒエヒエをお楽しみいただけます」
 なるほど。なにがなるほどなのかわからないが、なるほどと思いながらコーヒーをすする。芳醇な香り、ほのかな酸味。アツアツでヒエヒエだ。
「ガムシロップとお砂糖、あとミルクです〜」
 ウェイトレスが差し出すのを横目に見ながら、この不思議なコーヒーをただただ見つめてしまう。不思議だ。うまい。不思議だ。アツい。不思議だ。冷たい。ふむふむ。なるほど。なるほど……。
「どうぞ〜。マスターからのサービスです」
 首を捻りながらコーヒーを飲んでいたら、ウェイトレスが皿にちょこんとのせたアイスクリームを出してくれた。
「熱いアイスクリームです。やけどに注意してくださいね」
 なるほど。なるほど……。少し硬めのアイスで、スプーンですくい取り口に入れる。熱い。熱い! くちの中でほふほふしていると「ああ、だから気をつけてくださいって言ったのに〜」とウェイトレスに笑われてしまった。なるほど、熱い。なるほど……。

 不思議な体験をしているうちに、なんだか面白くなってきてしまった。気づくと「マスター、メニューを」と言ってメニューを食い入るように眺め始めていた。

 当然のようにアイスホットコーヒーや、紅茶にも同じようなものがある。無調整調整豆乳というのはいったいなんだろう。サンドウィッチ(パン不使用)というのは、これはただのサラダじゃないのか。甘い激辛カレー、これは味の想像がつく。フライドポテト(ノンフライ)というのは健康に良さそうだ。ホットコーラという飲み物もある。普通に考えたら温かいコーラなんだろうが、きっとこの店のことが。炭酸がシュワシュワしていたりするに違いない。こうなると一見普通そうに見える、たとえばこのパフェやパンケーキだってどんな驚きの仕掛けがあるのか想像がつかない……
「パフェやパンケーキは一般的なものですよ。ご期待に添えず申し訳ない」
 こちらの頭の中を読んだかのようなことをカウンターの向こうからマスターが語りかけてきた。私は「なるほど」と答えることしかできなかった……。

 メニューをひとしきり眺めて、なるほど、としか頭の中に浮かんで来なくなった。そのとき、店内の大きな壁掛け時計からボーンと音がなった。夢中になっている間にずいぶんと時間が経ってしまったようだ。
「マスター、お会計」
 カウンターの向こうからすっと差し出された伝票をみて、お金を渡す。その瞬間に、私は気づいてしまった。テーブルに備え付けられている調味料に「甘い塩」と書いてあることに。

「ありがとうございました〜」
 鈴を転がすような声が店内に響く。店内には、ネコ耳ウェイトレスと、あの立派なカウンターの上で「にゃぁー」とあくびをするネコのマスターだけになった。
「ちょっと、マスター。お客さんが居なくなった途端に気を抜きすぎですよ。お皿洗ったりしてからお昼寝してください」
「いいじゃないですかちょっとくらい。それよりも、あなた、ずっと耳と尻尾が出っぱなしになってること気づいていますか?」
「ふにゃ!」
 ウェイトレスが頭をおさえ、しまった、という表情になる。
「で、でも尻尾はちゃんと隠してありますもん」
「一本だけね」
「ふにゃぁ……」
 次の瞬間、ウェイトレスは姿を消し、そこにはつやつやした毛並みの黒猫が、耳を垂らし、しょぼんとした様子で座っていた。尻尾が二本ある。
「まぁ、かわいらしいメイドさんだと思われてたようだから、問題ないでしょう」
 そう、マスターは言いにゃぁとあくびをする。午後の光がカウンターの上に陽だまりを作り、その中でマスターは丸くなった。
「今日はもう、店じまい。お店閉めて、あなたもこっちにおいで。今日はここが暖かいにゃぁ」
「はいにゃ」
 そして二匹は陽だまりの中で午睡を楽しむ。ゆったりとした時間が流れる。コーヒーの香りのする飴色の店内で。

 かつて、その町は、奇妙な生き物と一寸変わった人々が住んでいたという。誰とはなしに、そこは妖町(あやかしまち)と呼ばれていたそうな。

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