RECREATION

ムラサキハルカ

 昔々、あるところにそれはそれは美しいお姫様が住んでいました。お姫様はとてもお転婆で、世話係や家臣たちを大変困らせていました。世話係の目を盗んでふらりと抜けだすなんて当たり前。お城の武器庫から刀を取りだして振り回したり、厨房に忍びこんでお殿様や家臣のための食事や菓子の類を食い散らかしたり、掛け軸をびりびりに破いたり壺を割ったり。いたずらの度にお殿様はお姫様を厳しく叱りつけましたが、そのお転婆さはとどまることを知りませんでした。もしかしたらお姫様自身、そうやって困る人を見て楽しんでいたのかもしれません。とにもかくにもそんな調子なものだから周りの人たちは常日頃から手を焼いていました。
 ある日のことです。お姫様はいつものように世話係の目を盗んで城の外へと抜けだしました。おおむね行き当たりばったりな暮らしをしていたお姫様ですが、この日は珍しくと言うべきでしょうか。はっきりとした目標を持っていました。お城の傍にある森、その奥にある祠にあるという神酒を飲むことです。世話係が世間話の一環で口にした天にも昇るような味だという神酒。この話だけで目的が決まったと言っても過言ではありません。事前にこっそりと祠への道順を調べたうえで、この森への遠征に臨みました。元々お姫様は城を抜けだし頻繁に森に足を運んでいたのもあり、木の幹に寄りかかったりして適度に休憩を挟んだりはしながら、たいした苦労もなく祠の前へとたどり着くことができました。
 夜になっていたのもあり祠周辺は闇に包まれていましたが、お姫様は暗くなれば暗くなるほどかえってわくわくする性分だったのもあって、木作りの祠の扉を開けます。目的の神酒とおぼしきものはすぐに見つかりました。天にも昇る味というのは果たしてどういったものだろう。高揚感に身を包みながら、取りだした神酒を一気にあおりました。濃厚なお米のどろりとした味。思わずむせそうになったところで、頭の中に広がったのは、白無垢を着て少し大人びたお姫様とその隣に立つ見知らぬ男の姿。そして二人のどことなく幸せそうな顔。
 口に含んだ神酒をなんとか飲み下したお姫様は、天にも昇る味というのもたいしたことはないな、と思ったあと、頭の中に広がった景色を思い出し、あれはなんだったんだろうと訝しがりつつも急に眠くなってきました。それが自分の未来のことだと気付いたのはもう少し後のお話です。

「そしてそれからと言うものお姫様の頭の中には時折先々のことが浮かぶようになった、というわけです」
 緑生い茂る森の中で姫の末裔だと名乗った巫女服姿の少女はそう締めくくった。和田は内心、与太話の類だなという気持ちを強めつつも、取材相手の機嫌を損ねることは得策でないと思い、はあ、と力なく頷く。そんな和田を少女はじっとりとした目で見た。
「信じてませんね。そういう反応されるのは慣れてますけど、あまり愉快じゃないです」
「いえ、決してそんなことはありません」
 思っていることを半ば言い当てられつつも、なんとか取り繕おうとする和田。少女は小さく溜め息を吐いたあと、まあいいです、と告げてから、ぐいぐいと森の奥へと進んでいく。和田はその後を追いつつ、ここにやってくる前に上司に告げられた、くれぐれも先方の機嫌を損ねないようにという言葉を頭に浮かべ、肝を冷やしていた。
 程なくして、木と木の間を抜け、開けた草原のような場所に出る。その中心には天まで伸びていそうな樹木が一本立っていた。不思議と見覚えがあるはずなのにもかかわらず木の名前は出てこない。
「あれが、話に出てきた酒の材料になっている実です」
 少女が指差す方向を見上げれば、緑色の丸い実のようものが生っているのが確認できる。ただし、それはかなり高い枝にぶら下がっていて、地上からでは小さい点のようにしか見えない。
「地面に落ちたものを拾うんですか」
 伝説の神酒の原材料の入手方法についての取材という名目であったため、すかさずそう尋ねる。しかし、少女は首を横に振った。
「いいえ。あの実は自然に落ちることはありません。何もしなければ木の上で腐り果てて一生を終えるでしょう」
 では、どのように実をとるのだろう。少なくとも今、ぱっと確認できる装備では収獲は不可能に見えた。まさか木登りするとでも言いだすのだろうか。そんな和田の疑問を楽しむように少女は背負ってきた大きな鞄から鳥籠を出す。籠の中には緑色の美しい白鷺とおぼしき一羽が静かに佇んでいた。ぼうっとしている和田の前で少女は素早く籠の蓋を開けて、行け、と鋭く言い放つ。それと同時に白い水鳥が飛び立っていった。ぼんやりと見守っている内に、実を咥えた鳥が地上に戻ってくる。白鷺は柑橘類とらしき実を少女に渡すや否や、自ら籠の中へと戻っていった。
「ほら、取れました」
 混乱する和田に、少女は緑色の実を差しだす。
「どうです、初実取り記念に一口。おいしいですよ」
「いいんですか。貴重な物なんですよね」
 そもそも、そのまま食べていいものなのだろうか。和田の疑問に少女は木の上の方を差し、まだまだたくさんありますから、と微笑み、このまま食べても未来が見えるようになったりはしませんからご安心を、と告げる。
 少女が本当のことを言っているかは定かではなかったが、仮にここで口にしなければ上司の面子を潰してしまうかもしれない。そう考え、和田は一思いに実を齧った。

「それで先生、この続きは」
 ここまでの文章を読み終わった俺は、目の前にいる和田先生に尋ねる。先生はにっこりと笑ったあと「まだ、ありませんね」としれっと告げた。それでは困るのだと焦りつつ「そこをなんとか」と粘ろうとする。
「そうは言ってもですね。自分の生涯をモデルにした小説ともなると、書くのが恥ずかしいんですよ。だから、あまり筆が乗らないと言いますか」
 また、先生お得意の言い訳がはじまった。連載中の小説をいいところまで書いては、その度にもっともらしい言い訳をして中絶しっぱなしにする。人読んで未完作家とは彼女のことだった。俺はそんな先生に書き下ろし自伝小説をなんとか書いてもらわなくてはならない。
「ですけど、先生は今までも多かれ少なかれ自分の人生を材料にして小説を書いてきたんですよね。それでも自分のことともなると気恥ずかしくなるものなんですか」
 そう。先生は作中にでてきた未来が見えるお姫様の末裔であるし、当時記者だった夫を神酒の原材料のなる木まで案内したのも彼女だということだった。
「恥ずかしくなかったら、私の視点で甘ったるい心情描写でも書いてますよ。この場面を夫の視点にしてるのも照れくさいからです。これからあの木になった蜜柑が惚れ薬だったというところを書かなきゃいけないなんて、ああ恥ずかしい」
 先生は口を尖らせてそう告げたあと、俺から原稿用紙をひったくる。なるほど、それで小説内では和田さんに実を食べさせようとしていたのか。どうやらますます非現実的な方に話を転がっていくらしい。
「先に言っておきますが、今作も未完に終わりますよ」
 唐突に先生は不吉なことを口にする。恥ずかしいからですかと尋ねると、違います、と首を横に振られた。
「恥ずかしいですけど、今までで一番力を入れて書いてはいるつもりですし、こう見えて気合に満ち溢れてます」
「じゃあ、なんで」
「決まってるじゃないですか」
 前置きした先生は、原稿用紙の上になにか書き込み、
「人生がまだまだこれからも続く以上、生涯をモデルにした小説の構想もどんどん膨らんでいくことでしょう。そして、私は死ぬまでこの小説を書くつもりですから、そうなれば必然、未完のままです」
 そんなスケールの大きなことをぶちあげてみせる。プルーストにでもなったつもりだろうかと思いつつも、どこかわくわくしてる俺がいる。とにもかくにも未完どころか未刊にさせないために、早く続きをください、と告げた。





 そしてお姫様は目を覚ましました。

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