あなたたちの守護星

朝森雉乃

「ねえお願い。もう一度、次は私の目を見て言ってみて」
「もう、エリィズ。この一度きりだよ。あなたが望むかぎり、ぼくはあなたとともに笑おう」
「……ああ、テオ。あなたの瞳ってなんて美しいの」
 夏になりたての夜。まだ少し、涼しさが残っている夜。雲ひとつない新月の夜は、若い二人が家を抜け出すのにもってこいの夜だった。名もない丘の上、全天にまたたいている星。その中でも、恋愛の守護星とされるソレーユは、ゆびわ座の要石として、さわやかな淡黄色に輝いている。
 そんな夜の中心に寄り添って座る二人が、恋人同士でないはずがなかった。
「エリィズ、うそはいけない。こんな夜中に瞳が見えるだなんて」
「それでも見えたのだもの。真剣な眼差しと純潔な真心が。ええ、きっと今、テオの瞳はこの夜で一番美しいのよ」
「まいったな。あなたの指先よりも美しいなんてこと、あるはずがないのに」
 エリィズの伸ばした手をテオフィルが優しくつかんだ。
「魔法の指。いつも慈しみに満ちて動くあなたの指こそ、ぼくの目を釘づけにして離さないのだから」
「あら、あなたが見ていたいのは、私の指先だけ?」
「もちろん違うさ! でも、あなたの魅力をすべて解き明かすには、この夜では時間が足りない」
 テオフィルがわずかにのどをつまらせた。その一瞬だけ、夜の闇が濃くなった。
 エリィズがテオフィルの手をにぎり返した。
「あなたが私の指を褒めてくれるのなら、私はあなたの声をたたえるわ。導きの声。何もかもをやさしく分かるように、正しく教えてくれる声を、とても尊敬しているの」
 テオフィルは照れ笑いをしながら、エリィズの肩にもたれかかった。
「たしかに、この暗闇でも声は聞こえるね。ありがとう、エリィズ」
「そうやってすぐいじわるを言うのは、珠にきずよ」
 そう言いながら、エリィズも笑っていた。
 二人はそのまま寝転がると、変わらず穏やかに空にかかる星を眺めた。エンジュ座。みつばち座。赤く輝くフラムボウを擁する英雄座、ヤーヴィ。その伴侶の妖精座、エリィザベト。ヤーヴィとエリィザベトの間にある、ゆびわ座。
「ぼくはヤーヴィになれていたかな」
「あなたはあなたよ。悪い女王蜂と戦わなくたって、私にとっての英雄はひとりきり」
「はちみつ色の指輪をあげられずじまいの英雄さ」
「すてきな神話だけれど、こだわることはないじゃない」
 コウモリの夜鳴きすらしない夜に、二人の声だけが浮かんで消えていく。
「あとどのくらいあるかしら」
 エリィズの声は、まるでワインの在庫を確認するみたいに平穏な調子だった。
 テオフィルが一拍の間を開けて答えた。
「あと一眠りもしたら、終わりかな」
「眠らなければ終わりも来ない?」
「そうだとしても、いつかぼくもあなたも寝てしまう」
「もう、うそのつけない人」
 二人はしばらく口をつぐんだ。虫の音も、街のざわめきもない。緑はすべて枯れ落ちて、風は葉擦れを奏でられない。潮騒はしているだろうが、海からは遠すぎた。徹底的な静寂は、星の命が尽きかけている証として、うつろに響いている。
 その沈黙の中、星空をゆっくりと動く小さな光を見つけて、エリィズが手を差しのべた。
「星を発った皆さんに、大いなる幸あらんことを」
 エリィズの穏やかな祈りに、テオフィルも言葉を重ねる。
「星に残ったぼくたちに、希望へ向かう姿もて安寧を」
 エリィズが寝返りをうって、のばしていた手をテオフィルの胸に預けた。
「残ることを選んだ人は、ほとんどいないそうよ。百万人のうちの、一人か二人だって」
「じゃあぼくたちは、百万人の中でもっとも愚かな選択をしたわけだね」
「ええ、本当に愚かで、そしてすてきな選択よ。だってあなたと、この夜空を邪魔されずに眺められるのだから」
「……ああ、エリィズ。あなたはいつだってとびきり良い考え方をする人だ」
「それ、褒めている?」
「どうかな」
 エリィズが笑い声をあげながらテオフィルの胸を叩く。テオフィルはその攻撃をかわすために、彼女を抱きしめた。
 エリィズがわずかに息をのんだ。そして、のんだ息をあえぐようにはき出すと、テオフィルの背に腕を回した。
「死ぬのが怖くないわけじゃないの。でも、冷たい宇宙船に乗って、たどり着けるかどうかも分からない旅に出ることの方が怖かった。私は、ただ臆病で、生きることよりも死ぬことを選んでしまったのだわ」
「ぼくも同じだよ。たとえあなたと二人きりだとしても、未来が見えない宇宙船の中では、いまと同じような気分ではいられない。はっきり死ぬと分かっていた方が安心するなんて腑抜けていると、教授にもあきれられた」
「私、テオはきっと星を発つと思っていたのに」
「ぼくだって、ついこの間まで、宇宙へ行くのが楽しみでしかなかったさ。でもそれは、いつかきっと帰ってこられるこの星があればこそだった」
 テオフィルが言葉を切って、指でエリィズの髪をすいた。柔らかく滑らかで、もつれているところはまったくない。
「ねえ、教えてテオ。あなたたちの研究について。星を発った皆さんが、良い環境の星に着く可能性はあるの?」
 テオフィルがエリィズの髪に指を埋もれさせながら、わざとらしくはにかんだ。
「国際重要計画には守秘義務がある」
「もう、いじわる」
「あはは、そうだね。残念ながら、ほぼゼロに近い確率さ」
「ゼロではないのね」
「いや、ぼくたち研究者という人種は、ゼロだとか必ずだとは言えない性分をしていてね。でも、その中で可能性が高かったのはあの星かな」
 テオフィルが指差した淡黄色の星は、その期待に応えるようにひらめいた。
「この星と環境が似ているという解析があって、距離も比較的近い星に、ソレーユが従えている惑星が挙げられる」
「つまり、星を発った人たちは、これから英雄の愛の証を太陽として生きるのね」
 エリィズが声を弾ませる。一瞬あっけにとられたテオフィルが、その言葉の意味を理解して吹き出した。
「まいったな。もう成功すると分かっているみたいだ」
「だって、あなたがそう言うのだもの」
「あはは、それでは予言しよう。ソレーユ第三惑星渡航計画の責任研究者は、研究室でもとりわけ優秀なアダンとエヴだ。彼らならたどり着いてくれるし、したたかに生き抜いてくれる。あなたが信じるなら、きっと」
「ひたすらに信じるわ。あなたがおっしゃるなら、きっと」
 二人はそっとひたいをくっつけ合うと、そのまましばらく口をつぐんだ。
「エリィザベト」
「テオフィル」
 お互いの名前を呼ぶ。
「ねえ、テオ」
「なんだい、エリィズ」
「なんだと思う?」
「まったく。一度きりだって言ったじゃないか」
 肩を揺らすエリィズの耳元へ、テオフィルが唇を寄せる。
 エリィズがささやきを聴いてまたほほえむ。
「絶対?」
「ああ、絶対さ」
「うそつき」
「うそじゃないとも。恋をする男という人種は、うそがつけない性分をしていてね」
「知っているわ。特に星が美しい夜にうそをつく人なんて、男にも女にもいやしないのよ」
 笑い合う声が空に広がる。それだけで、闇はふわりと淡くなる。そうして星はいっそう鮮やかに満天を飾る。二人はその星々に照らされながら互いの名を呼ぶ。
 やがて恋人たちが眠りに落ちるころ、ソレーユは夜空の頂に達した。その光は、愛を守護するに間違いなくふさわしい、清らかで温もりのある美しさだった。

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