丁丁兄弟

チョコレートビスケット

 戦好きの魏の恵王は、たいして強くもないのにとかく野心が強い。周りの国々を攻めては、かえって自国を狭める。
 時は戦国。ところは今でいう中国。そこはまさに地獄。
 田畑小さく、家畜少なし。人の食うものは無きに等しい。
 みな腹を空かしている。そもそも、食う喜びを知らぬ。
 そんな魏の国に、丁(てい)という姓もつ兄弟がやって来た。彼らはさすらいの料理人である。乱世ゆえなる人々の飢えを少しでも満たそうと、各国を行脚していた。
「突き出た子らの腹を見よ。兄者、ここは酷く飢えている」
「なんとむごい有様。弟者よ、これは働き甲斐がある」
 二人はまずさびれた農村にゆき、村人たちに温かい汁を振舞った。日ごろ飢えに苦しむ身には、たいそう沁みる。
「はふっ、うまいうまい! こんなうまいもの、口に入れたことがねえ。おお、ところでこの具の菜っ葉はなんだね」
 と村人の一人が湯気から顔をあげて訊ねた。
「それか? それはな、ほれ、そこらの道端の草だ」
 と大柄な兄丁(あにてい)は微笑みながら答えた。
「ええ? わしら、道草を食ってるのかい?」
「その通り! どうだ、案外いけるだろう。草根木皮も用いようなるぞ。それに、滋養強壮にも効く」
 小柄な弟丁(おとうてい)は得意げにいう。彼はあらゆる草木の特性を知りつくし、薬学にも通じていた。
「まさか、道草がこんなにうめえとはなあ。丁兄弟、謝々!」
「おっと、我らも道草食ってる場合ではない。さらば!」
 丁兄弟はおっとり刀で村を出、人はこれを見送った。

 続いて訪れたは城下町。街路に商いの声が飛び交う。だが食い物を扱う店は少ない。
「さて弟者よ、はたして肉屋はどこだろうか?」
「おう兄者よ、あすこに!」
 弟丁が指さす先には、羊の頭を屋根に掲げた肉屋。坊主頭の男が血まみれの牛刀で荒々しく肉を捌いている。
「おうい、ちょっと肉を見せてくれないか」
「へいらっしゃい、いくらでも好きに見てってくんな!」
 丁兄弟は店頭に並ぶ肉を見た。そして互いに目配せする。
「どうしましたね? お二人さん」
「やあやあ、このいかさま野郎め! これは羊の肉にあらず、狗(いぬ)の肉ではないか! おまけに、不衛生な野の狗だ!」
 兄丁の怒号にも動じず、肉屋はにやにやと笑った。
「ばれちまいやしたか。まあ、大目に見てくだせえ。だって、だれもこれが羊の肉だなんていってないでしょう。それに、狗の肉を食って何が悪いんです?」
「五十歩譲って、看板のことは許そう。百歩譲って、狗のことも許す。この乱れた時世だからな。だが!」
 兄丁は背負った八尺あまりの牛刀をにわかに引き抜くと、滅茶滅茶に振り回した。白刃の輝きが四方を照らす。
「ホワチョチョチョチョチョチョチョ‼」
「ひえっ! なんだこの怪力男は! 助けてくれえ!」
「許せん!……まだ骨に肉が残っているではないか!」
 兄丁の牛刀は絶妙に閃き、天井からぶら下がっていた狗の骨から、残余の肉をごっそりこそぎ落としてゆく。全てにこれを行い、たちまち骨の海と肉の山ができた。
「ほれ、こんなに残っていたではないか! もったいない。それとな、こういう肉はよく火を通して食うのだぞ!」
「へ? へ、へえ。へへ~!」
 肉屋は思わずひれ伏した。頭頂の輝きが四方を照らした。

「もし、そこなお二方、もし。よろしいかな」
 丁兄弟が振り向くと、まるまる太った男が立っている。
「只今の牛刀さばき、お見事! わたくし、城に勤める官吏でありまして。どうか、王に謁見してもらえませんかな?」
「ほほう、これは丁度(ていど)良い。我らも、この国の王に一度まみえたかったのだ、なあ、兄者!」
「ん、まさしく! 少しばかり、王に申し上げたいことが」
 三人は城に向かう。戦の準備で兵や軍馬が行き交っていたが、丁兄弟は気にも留めず、黙って門をくぐった。
「王よ、見事な技をもつ芸人を連れてまいりました」
 官吏はそういうと、「あとはまかせましたぞ。王は短気ゆえ気をつけられよ」と二人に囁き、速足で立ち去った。
 恵王はまだ若く、なかなかの美男であったが、その眼はぎらぎらと光り、まるで眠りを知らぬ獣のようだった。
「おぬしらか、妙な技を見せるという芸人は。ん?」
「芸人ではございません。我ら丁兄弟、旅の料理人でございます。弟者いくぞ、それ、丁、丁丁、丁丁丁、丁!」
「何だそれは、笑わせる。やはり芸人ではないか!」
「いや、今のは単なる験担ぎの掛け声。お気になさるな」
「では一体、余に何を見せるつもりなのだ?」
「庖(料理人)の道を。ついては、牛と鍋を賜りたく」
 恵王の命で、屠られたばかりの大牛と大鍋が来た。
「ありがたき幸せ。しかし、我らで屠りましたものを」
「余は畜生の血が飛ぶ様が嫌でな。人の血はまだしも」
「なるほど。しかし、心配ご無用。では、早速……ホワチョチョチョチョチョチョチョ」
 兄丁が八尺の牛刀を振るうと、王と侍者達は楽の音を聴く心地となった。肉を裂く音は世にも妙なる調べを奏で、その合間に骨を分けるトントン、カンカンといった拍子が鳴っている。王の周りにはべっていた侏儒たちは思わず愉快に踊りはじめ、庖の牛を解体する様も、神前で舞う如く軽やか。
「おお、見事な。骨肉を別けても血の一滴も跳ね飛ばず、かえってその音は人の舞い踊るほどの心地好さ。技もここまで極まるものか」
 王はそう呟くと、大きくため息をついた。
「求めているのは、技ではありませぬ。道これのみ。たとえば牛の筋肉(すじにく)、これを人の筋肉(きんにく)でもって切ろうとしてもうまくは切れませぬ。心で切るのみ。固い骨を刃で無理に切ろうとしても徹(とお)りませぬ。骨の隙間を徹すのみ。全て道の流れに沿って腕を振るい、刃を振るうことができれば、決して苦労することなく、刃の欠けることもありませぬ。それこそが、我らの目指す庖の道でございます。」
 弟丁は兄丁の切り分けた牛の肉や骨を大鍋で煮て、多種多様な道草で味付けしていく。ほかほかと湯気を立てた牛煮込み鍋は、城中の兵や家臣でも食べきれないほど出来た。
 恵王は肉を一口ほおばると、顔から湯気を出して叫んだ。
「美味なり! 美味なり! うむ、これぞ天下一品!」
 食べた者残らず感嘆し、相抱き合い咽び泣く姿もあった。
「おぬしらこそまさしく真の庖。何でも望みを叶えてしんぜよう」
 という王の言葉に、兄丁は静かに応じた。
「では、恐れながら。余った牛煮込みは、どうか飢えた魏の民に。そして、これ以上民の腹を空かせぬよう、政道を正しゅうしてくださりませ。腹が減っては戦ができず、そもそも戦をしたところで一向に腹は膨れませぬ」
「何と、そんなことか」
 兄丁は神妙に肯いた。
「あい、わかった! 心配はいらぬ。今度の戦に勝てば、領土が増え、民もたらふく食えるようになるであろ!」
 兄弟は顔を見合わせた。

 城門を出た二人は、話しながら歩いている。
「どうやらこの国もそう永くはないらしいな、弟者よ」
「うむ、王があの調子では……。だが、それは人の世の常であるし、民もやわではない。ああ、兄者、あれを見よ」
 弟丁が指さす先には、狗の頭を屋根に飾る肉屋が。
「ははは、開き直ったか。おうい、よく火を通せよ!……おお、弟者、あれを見よ」
 兄丁が指さす先には、道端に生える草をむしり、そのまま齧る村人たちの姿が。「あんまりうまくねえ!」「こっちはうめえぞ」などと、真剣に議論している。
「よしよし、食う喜びを知ったか。おうい、毒菜には気をつけよ!……さて、兄者よ、次は何処へ」
「決まっている。我らは征く、腹を空かせた者のいるところ、何処までも!」
 こうして二人は魏を去った。
 戦国一の庖、丁兄弟の旅は続く。



 ※一説に、「包丁」の語源は兄丁の奇怪な叫び声「ホワチョチョチョチョチョチョチョ」から来ているという……ウソかマコトか丁、丁丁、丁丁丁、丁!

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