甚五郎とお亀

樹莉亜

 甚五郎は幼い内から手先が器用であった。
 八つの年に宮大工の見習いにあがり、十五の頃には一人前の彫物大工として腕を振るうようになった。彫物とは寺社の柱やら欄間やらに施される彫刻のことを言う。甚五郎の彫物は、「まるで生きているようだ」と評判になるほどだった。ある時、甚五郎は棟梁の娘にせがまれて、竹を削って水仙の蕾を彫った。娘はたいそう気に入って花立てに挿しておいたところ、翌朝になって見ると蕾は見事に花開いた−−と、この噂が呼び水となって、甚五郎が手掛けた木彫りの動物が夜な夜な動き出すだの、鳴き声を聞いただのと、まことしやかに語られるようになった。
 評判に目を付けた親方は甚五郎を娘婿にしたいと言い出し、娘も満更ではなさそうで、甚五郎も悪い気はしない。
 ところが、それをよく思わなかった甚五郎より十は年上の兄弟子が、甚五郎に切りつける事件が起きた。甚五郎は大した怪我ではなかったものの、暫く右腕が使えなくなった。後になって、兄弟子は以前から棟梁の娘と恋仲で、将来を誓い合っていたのだという。
 そうなると、己が悪い訳でもないのになんとはなしに甚五郎の方が居たたまれなくなってしまう。
 彼は逃れるように江戸へ下った。

 幸いにして腕の良い職人であった甚五郎が仕事にあぶれることもなく、江戸でも大工としてやっていけた。江戸も神社仏閣は多く、また火事も頻繁に起こることから建て直しの際に彫物を頼まれることもあった。ここでも、甚五郎の彫物は持て囃された。
 甚五郎の暮らす長屋の隣は、お亀という名の若い女である。お亀は仕立ての仕事などを請け負って暮らしている、面倒見の良い女であった。
「ちょいと甚さん。裾がぼろぼろじゃないかい」
 甚五郎の半纏の裾がすり切れているのを見かねた彼女が、そんな風に井戸端で話しかけて来たかと思うと、あっという間に甚五郎の半纏を脱がして持って行ってしまった。翌日、半纏は綺麗に繕われて甚五郎の手元に戻った。そんな切っ掛けから、お亀は甚五郎に何かと世話を焼くようになる。総菜を作りすぎたと言ってはお裾分けを持って来たり、己の物のついでに洗うと言って甚五郎の洗濯物を持っていったりするのだ。
 世話になるばかりでは申し訳ないと、甚五郎は木彫りで小さな亀を彫った。
「お亀さんにはいつも世話になっちまって」
「いいんだよ、あたしがしたくてしてるんだからさ」
 そう言って遠慮する彼女に、甚五郎は半ば押しつけるようにして亀の根付けをお亀に渡す。
「俺はこんなもんしか出来ねえが、受け取ってくれ」
「いいのかい? こりゃまた、随分と良く出来た亀じゃないか」
 親指の先ほどのそれを受け取った彼女はたいそう喜んで、少しばかり恥ずかしそうに頬を染める。まるでお天道様のように輝く笑顔に、甚五郎も胸の奥がじんわりと暖まっていくように感じるのだった。

 それから暫くのこと、甚五郎は新築の祝いにと猫の彫物を頼まれた。世話になっている大工の棟梁の知り合いで、大の猫好きだという御仁に渡す物だという。等身大に彫り上げたそれは、今にも動き出しそうなほどの出来映えで、棟梁も件の御仁も感心しきりであった。
 だが、その猫の置物が鼠を捕ったと噂になる。
 持ち主はいつもその置物を床の間に飾って眺めていたという。それがある朝、猫の置物の足下に鼠が転がっているのを、掃除に入った女中が見つけて大騒ぎになった。鼠は勿論本物である。始めは誰かの悪戯かと思ったが、床の間に見張りを立てても、置物の場所を変えても、朝になると鼠の死骸が転がっているということが立て続けに起きた。それでなんとなく気味が悪いという話になったのだった。
「そりゃあきっと、お前さんの彫った猫があんまり良く出来てたんで、鼠も驚いてひっくり返ったのさ」
 お亀はそう言って笑うが、甚五郎はどうにも不安に思えて仕方なかった。二人はいつの間にか、朝餉も夕餉も一緒に食べる仲になっていた。

 猫の置物は棟梁に返された。祝いに送った品を突き返されては面目が立たないと憤る棟梁は、件の品を作った甚五郎を責めた。
「お前があんなもんを拵えるから、俺が恥をかいたんだ」
「なに言ってんだい。頼んで来たのはそっちじゃないか! はじめは喜んでたくせに!」
 甚五郎にあたる棟梁に、負けじと声を張り上げたのはお亀の方であった。
「こちとらまさか妖憑きを掴まされるたあ、思ってもいねえさ!」
 妖憑き。
 その言葉に甚五郎は、はっと息を飲んだ。
 そうなのか。もしや今までも夜中に動いただの、花が咲いただのと噂になったのも、全て妖に憑かれた己のせいだったのだろうか?
「妖だったらなんだってんだい。それで鼠を捕ってくるんなら良い猫じゃないか!」
 お亀の大声が狭い長屋に響き渡る。
 棟梁は顔を真っ赤にしていたが、お亀に言い返すことも出来ず、帰って行った。
 残された猫の置物と憤慨するお亀を交互に眺めながら、また働き口を新たに探さねばなるまいと、甚五郎はため息を吐いた。

 口入れ屋は甚五郎に渋い顔をした。噂が噂を呼んで、甚五郎が妖に魅入られているという話が広がっているらしい。そうなると仕事だけではなく、住処も考えなくてはなるまい。甚五郎は何軒も口入れ屋を梯子した。最後に訪ねた口入れ屋は、大工仕事はないが、「妖町」と俗に呼ばれる町にある長屋なら紹介出来ると言った。その町の住人は皆、妖か妖憑きなのだという。
 どうせ己も妖憑きかも知れぬのだから、もうそこで良いと、甚五郎は引っ越し先を決めた。そのことをお亀に告げると、彼女は己も付いていくと言った。甚五郎を放っておけないと言う。どこまでも世話焼きで一途なお亀に、甚五郎もまた離れ難く思っていた。

 越した日、長屋を差配する古手屋の主人に挨拶に行くと先客がいた。その男は古手屋と一緒に箱のようなものを覗いている。身形からして、そこそこの商家の旦那のようであった。奥に座った焼き物の狸みたいな恰幅の良い親爺が、笑みを張り付けて、「いらっしゃい」と言った。
「裏の長屋に越してきた甚五郎と申します」
 甚五郎が頭を下げると、狸親爺は笑みを深めた。
「福兵衛と申します。こちらは武田屋の旦那、八十右衛門さんで、長屋の地主でもあるお方ですよ」
 甚五郎が挨拶すると、八十右衛門は人懐こく笑った。
「甚五郎さんだね、話は聞いてるよ。長屋の連中はちょいと変わったのが多いが、根は良い連中だ。仲良くしてやってくんな」
「へえ、お世話になりやす」
「ところでお前さんが彫った猫ってな、どんなだい? 本当に鼠を捕るんなら、あたしが買おうじゃないか」
 八十右衛門は例の噂を知っていたようで、百両で買おうと言い出した。ただの木彫りの猫に百両など滅相もないと首を振る甚五郎に、八十右衛門は馴れ馴れしく肩を組む。
「一緒に越してきたお亀さんかい? まだ祝言あげてないそうじゃないか。何かと物入りだろうし、引っ越し祝いにとっときな」
 八十右衛門の気遣いに、甚五郎はただただ頭を下げた。
 それから暫くして、甚五郎とお亀は夫婦になった。長屋で上げた祝いの宴に参加したのは、半分は妖で、半分は妖憑きの人間だったが、そんなことは気にならなかった。
 甚五郎の隣には、お天道様のような笑顔を振りまくお亀がいる。その横顔を見ていると此処でなんとかやっていけるような、そんな気がするのだ。

 その町には、奇妙な生き物と一寸変わった人々が住むという。誰とはなしに、そこは妖町(あやかしまち)と呼ばれていた。

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