前程万里のフェアリーテール

少年病

 彼はいつだって勇ましく、立ち向かった相手が強者であっても決して背を向けない人だった。

 私は大陸の辺境にあるこの町で、両親の営む酒場の手伝いをしていた。店は小さく、とりわけ裕福な暮らしではなかったけれど、笑い声の絶えない町が大好きだった。いずれ結婚をし、子供を産んで、店を継ぐ。そんな夢を見るたびに浮かぶ顔がある。農家の一人息子で私の幼馴染みのグラム。いつか、彼が育てた野菜を私がお店で、なんて妄想を抱いては何度となく寝床で身悶えた。それがどうして。
「グラムよ。お前は勇者に選ばれたのだ」
 良く晴れた日のことだった。はるか遠くの王国から使者がやってきて、グラムへと告げた。
「お前は勇者として、魔王を倒す旅に出なくてはならぬ」
 たまたまグラムの家へお邪魔していた私は、近くにあった箒を掴んで、横柄な態度をとる髭面をはたいてやろうかと思ったが、すんでのところでおばさんに止められた。
 詳しく聞けば、近頃、魔王城のそびえる地より幾多の悪魔たちが侵攻し、近くの町村から順に襲われているという。かつて魔王を住まう大地ごと封印した伝説の勇者は、故郷へ帰り、平穏無事に余生を過ごしたとされている。その遠い血縁にあたるのがグラムというわけだ。つまりはおじさんかおばさんもその血筋のはずだが。
「グラムよ。君は昔、近くの森で一本の剣を抜いただろう」
 勇者の剣はこの地に安置され、その場所へは限られた者だけが辿り着くことができるのだという。グラムは天井を見上げて思案していたが、私には思い当たる節があった。それは、グラムと背の高さを競い合っていた幼少時代まで遡る。
 初めての冒険と称して郊外の森へと遊びに行ったときのこと。思っていたよりもずっと森は深くて、意気揚々と先陣をきって進んでいた私は、気付けばグラムの服の裾を掴んでいた。うっそうと生い茂る草木の向こうは何も見えず、似通った景色が続き道標もない。辺りは徐々に暗くなっていき、小鳥の囀りはもう聞こえない。迷った。そう途方に暮れていた私を気にもせず、グラムは口笛を吹きながら歩みを止めない。グラムとよく遊んでいた私も運動には自信があったが、好奇心はグラムの方が圧倒的に旺盛だった。この小さな冒険の言い出しっぺももちろんグラム。裾を掴む手に力が入るのは、怖いからではなく無計画性に憤ってのことだ。怖いからではない、決して。そんなことに気付くわけもなくグラムはずんずん進み、やがて開けた場所に出て、彼は興奮して叫んだ。
「剣だ!」
 グラムの背中から覗くと、夕陽が差し込むギャップの中央に切株があり、確かに一本の剣が差さっている。その神々しいまでの景象に息を飲み、駆け寄る。抜き身であるにも関わらず錆もなく、白刃のその表面に私たちを映し出していた。
 あの場所に辿り着いたことは、グラムの運命だったとでも言うのだろうか。
「文献からこの町に辿り着いた我々は、森の精から君の噂を聞いた。突然のことに困惑するのは当然だが」
 思い出したようにぽんと手を叩くグラムに呆れることなく、使者は頭を下げた。
「君だけが頼りだ。世界を救ってほしい」
 そんな理不尽な。なんて言葉はグラムの目を見てすぐに引っ込めた。呆けていた顔はどこへやら、彼はもう守るべきものを背負ってしまったと、その目を見れば分かった。グラムのその、まっすぐな瞳。あの日を同じ。
 森で剣を見つけたとき、あまりの美しさに心奪われ、魔物の接近に気付いた頃には、辺りはすっかり闇に包まれていた。背中に遠吠えを聞き、振り返った先にいたのはオオカミの姿をした魔物。暗闇に浮かぶ赤い瞳。ヘルハウンドだ。この近くに生息していないはずなのに。当時の私にそこまで悠長に考えている余裕はなく、唸り声に恐れ慄いて尻もちをついた。闇から這い出た黒い体躯が、月明りに照らされる。剥かれた牙を見ていられず、目を閉じようとしたところで視界が塞がった。剣を手に、グラムが私の前に立っている。
 そこからの記憶は曖昧だが、ただグラムの雄姿だけが脳裏に刻まれている。ヘルハウンドは一匹だけに留まらず、絶えず波状攻撃を受けた。剣が力を与えているのか、それとも人知れず鍛錬していたのか。農家の息子にはおよそ似つかわしくない神業の如き剣技。長い時間をグラムは戦い抜き、ヘルハウンドが退いていくのを見ながら膝をついた。溜息を吐き、ゆっくりと私の隣に座る。多くの搔傷を負いながら、それでも笑顔で、「大丈夫か」と聞いてくる。私が涙ながらに頷くと、「良かった」とだけ呟いて、肩に頭を乗せられた。月明りと朝焼けが混じり始めた頃、ようやく私たちは立ち上がり、帰路についた。その道中で、剣を携え前を行くグラムは徐に振り返り、私の目を見て言った。
「僕が絶対に守るからね」
 未だ止まらない私の震えを抑えるためにかけた言葉だったのか、今でもそれは分からない。グラムの真っ直ぐな瞳と、再び前を行く背中。照れ臭くて見上げた先の、燦然と輝くアズライトの朝焼けが、強く印象に残っている。
 そんな思い出に浸っている間に、グラムと使者はおじさんたちを説得し、数日としない内に王都へ向けて出立する手はずとなった。私はただ、見送ることしかできない。ここから始まる大いなる英雄譚の、その主人公になり得る選ばれし勇者。失う怖さに震えるだけの私とは違う。
 それから数日が経ち、グラムの家で旅の準備を手伝っているときのことだった。おじさんが作ってくれたという鞘から例の剣を抜き、グラムは刀身を眺めている。
「ちょっとグラム。散らかしたのあなたなんだから、少しは手伝いなさいよ」
 散らかり放題で足の踏み場もなかった部屋も、ようやく片付いたところで満足してしまったのか。箒の先で背中をつつくと、グラムはぼそっと呟いた。
「守るものがたくさんあるね」
 正面に回って覗いた顔には微笑みを浮かべていた。不安からくる笑いなのか、それとも数多の冒険譚を夢見る童心か。私は内心、複雑だった。あの日の約束と今の言葉はきっと同じだ。私を守ることは、世界を救うという使命の一部分でしかない。突然のことにも動じず、全うしようとする姿勢にはさらに好意を深めたが、私はそこまで綺麗に生きられない。分かっている。物語の主人公だから勇者に選ばれたのではない。誰にも負けない勇気があるから、彼はこの物語の主人公となったのだ。
「あの日の約束のためにも、僕は世界を救うよ」
 まるで自分に言い聞かせるように、剣に力を込めるように。言葉の真意は分からないが、でも、世界を救ったその先に、私という存在があるならそれ以上に嬉しいことはない。それならば、グラムのため私にできることは。
「ほら、そこも掃くんだからどきなさいよ」
 私はこれからも両親の店を手伝い、町を盛り上げ、時折こうして彼のいなくなったこの部屋を掃除することだろう。慌てたように部屋の隅へ移るグラムに、「感謝しなさいよ」と胸を張って言った。

 そしていよいよ旅立ちの日となり、町のみんなが集まって外門までグラムを見送った。おじさんとおばさんのあそこまでの泣き顔を見るのは、ヘルハウンドに襲われたあの日以来かもしれない。あれもこれもと餞別の品を渡され苦笑いを浮かべるグラムに、そこから先へは私一人が付いていった。郊外の森に踏み込んだところで、私は前を歩くグラムの背中に抱きついた。行かないで、なんて言葉はきっと彼も望んでいない。あふれ出そうな涙を堪えて。
「ぜったい無事に帰ってきてよね」
 背中に頬を当ててそう呟けば、前に回した腕をグラムにそっと撫でられた。きゅっと唇を噛み、腕を解いて私は彼を押し出す。振り返ることなく、グラムは歩みを進めていった。世界を救う旅。そしていつか使命を終えて帰ってきたときには。
「また私だけを守ってほしいな、なんて」
 彼を困らせるであろう我儘は、木々のざわめきに消えた。空を見上げれば、アズライトの朝焼け。今日は絶好の洗濯日和だ。結局あふれ出た涙を拭って、私は踵を返した。
 前提万里の物語。その終着点が輝き続けるよう、私はこの場所を守り続けるのだ。

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