水餃子を逃がす

効果はいまひとつ

「彼女は変だ」と言ったら「お前の方が変だ」と言い返されたあとに「いやふたりとも変だ」と言い直された。
「まあそれは認めよう」と頷いてみせたが本当は首をひねっている。
「自分の持っている常識と合わないから変だって言ってしまうのは変だ」
「ほら、やっぱお前も変だ」
「うへぇーん」
 そんなふうにいい加減な感じで話し出す。
 それはいつの話で
「ついこのあいだのことなんだけど」
 どこで起きた話で
「水族館。え、どこの? えーっと覚えてないけど魚はいっぱいいた」
 主要な人物は誰で
「彼女とぼくで」
 なにを
「水餃子を」
 どうしたのか
「川に逃がした」
 話の筋が見えないよ
「それをこれから話すんだ」
「あらかじめ想定したことってたぶん泡ぶくみたいなものだよ。ぶくぶく。簡単に消えて吐き出していたことも忘れちゃうんだよ。ぶくぶく」
 彼女はそんなことを言いながら水族館が決めた順路の通りに水族館をめぐる。
 入口付近の開けたスペースには、ヒトデやナマコといった正直そこまでテンションの上がらない水槽が並ぶ。もちろんいきなりジンベエザメが泳ぎ狂っているような水槽を見せられても、ぼくみたいな反応の鈍いやつなんかは気が引けて素直に楽しめない。だから以後の展開への緩衝材としてヒトデナマコは良い判断だと思うが、それでももう少し、せめて魚が見たいなぁ、と不満に思いながらも20分くらいダラダラと見て回りながら隣の部屋に移った。次は淡水魚コーナーで、ついさっきまで魚を見たいと思っていた割には、実際目にしてもそこまで興味を引かれず、なんかいろんな魚がいっぱいいる、という無関心も甚だしい感想がぽかんと浮かんだだけだった。
 あきらかに楽しんでいないぼくに対して彼女は水槽から水槽へと走り回り、どうやら楽しんでいるようだったのでふたりで平均を取ればバランスは良いんじゃないだろうか?
 目の前の水槽を横切った黒いなんかの魚に尋ねて見たが、黒いやつは無反応で泳ぎ去ってしまった。代わりに彼女がぼくのところにやってきて、「次の部屋にはハンマーヘッドシャークがいるよっ!」と嬉しそうに口にして、先に行ってしまった。
 別にハンマーヘッドシャークに関心があるわけではないのでそれを聞かされたからといって気分が盛り上がることはないが、ハンマーヘッドシャークって言葉の響きはなんかちょっと好きだ。ハン、で詰まったあとにマーが続くところなんかは重いハンマーを振り抜くさまを想像させるし、さらにそこにヘッドとくると、そのハンマーが何某かの頭部を打っているようにも思える。そして最後に接続されるシャークがそれまでの想像に対するすべての回答を示している、とかなんとか思いつつ彼女のあとに続くと、そこにはこの水族館の一番の目玉である巨大水槽があって、いろんな魚がいろいろいた。
 そのなかからハンマーヘッドシャークを探してみたけれど、よく分からない小魚の群れとか、派手な色の魚とか、大っきいやつとか、ふつうの魚とかしか見つけられなくて諦めて部屋の隅にあるベンチに座ってボケっと眺めて、水槽の魚と同じくらい走り回っている彼女を見て、手を振られて、手を振って、でも手はつながないで立ち寄った館内レストランで水餃子を注文した。
「この子たち、弱ってる」
 丸皿の上に扇状に並んだ水餃子を深刻な表情で見つめたまま彼女は言った。
 確かに、皿に並んだ水餃子の皮は少し乾燥していた。このまま放っておけば水分が完全に抜けて死んでしまうだろうと思った。
「これから、川に逃がしにいこうか」
 そう提案すると彼女はパッと表情を明るくして笑った。ぼくも笑い返してから近くを歩いていたウェイターを呼び止め、事情を説明してなにか容器を借りられないか頼んだ。
 ウェイターは嫌な顔一つせず厨房へ向かい、五分ほどしてから銀色の大きな両手鍋を持って現れた。
「これを使ってください」
「ありがとうございます。終わったら返しに来ますので」
 ぼくは鍋を受け取り、テーブルの端にあった水差しでその半分くらいまで水を注いで水餃子用の水槽を作る。弱っていた水餃子をそこに入れると水餃子はしばらく泡を吹いてから少しずつ元気を取り戻して漂いはじめた。
 ぼくが会計のためにレジカウンターにいる間、彼女は鍋を持ってレストランの自動ドアの前に立ってじっと待っていた。自動ドアは何度も閉まろうとして、その度に彼女の存在に気付いて開いた。
 あのドアが自動であって良かったとふと思った。そうでなければ、一度閉まってしまうとわざわざ自分の手で開けなければならなくなる。それは少し億劫だ。
 そんなことを考えながら
「ほら、元気になってきた」
 会計を終えて彼女のところに行くと、嬉しそうに鍋を見せてきた。
「よかったね」
 水族館を出てこれから訪れる人々のなかをさかのぼるようにして駐車場を過ぎ、敷地の外に出る。
 振り返ると水族館の看板。半人間化した魚が「楽しいよっ!」と吹き出しをつくって陽気に笑っている。辺りには二車線の道路が左右に伸びているだけで目立った建造物はない。車道を挟んだ斜め向かいにデイリーヤマザキはある。遠くに山が見える。吸い込んだ空気には潮の香りが少し混じっている。海は意外と近いのかもしれない。
 ぼくたちはなんとなく潮の香りがする方へ向けて歩き出した。前にも後ろにも他に歩いている人はいない。車道に車はよく通る。これから水族館に行くと思われる車とすれ違う。乗っている人が物珍しい生きものでも見るかのような目をぼくたちに向ける。ぼくはその度に軽く微笑む。そうすることで見られていることをぼくは分かっていると相手に示すことができる。
 水族館から離れるほど潮の香りはどんどん濃くなっていく。でも波音も聞こえなければ海鳥が上空を飛ぶこともない。
 道の先から砂浜が見えるようなこともないまま、道なりに進んで行く。辺りには草木が生い茂り、道の勾配も徐々に増している。少し暑い。
「大丈夫?」
 ずっと黙ったままの彼女に尋ねる。
「うん、さっきよりも元気になってきた」
 自分ではなく水餃子の調子を答える。彼女の頬を太陽が斜めから照らし赤く見せる。いや、赤じゃないかもしれない。辺りはもう山道だ。でもとても潮くさい。顔を横に振ってにおいをはらう。視界の端に光がよぎる。顔を止めて光の見えた藪へと視線を向ける。草の隙間から散発的な光が見え、そちらへと足を向けると藪の先には小川が流れていた。
「あそこに逃がそう」
 たいした大きさの川ではない。まさしく小川と呼ぶにふさわしい。川べりに到着したときには水餃子に対する彼女の愛着は十数年の愛犬と肩を並べるほどになっていた。
「ギョーザ、ギョーザ、もうお別れだよ」
 水餃子たちは揺れ動く水に合わせて鍋のなかをくるくると回っている。彼女は名残惜しそうに鍋を傾け、そこから水餃子が自分の意思で飛び出すまでぐっと目をつむっていた。
 水餃子はなかなか流れ出なかった。ぼくは彼女がまだ目を閉じていることを確認してから指で水餃子を押して川に落とした。水餃子は流れに従って転げるようにして下流に向かっていった。
「あの子たち、もう捕まらなければいいね」
 鍋のなかで水は銀色に揺れている。その水は少し濁っている。

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