この物語はフィクションです。

十子

 ある日のバイトの休憩時間。遅れて休憩室に入ると、そこには津山くんだけがいて、テーブルに突っ伏して眠っていた。少し横を向いているので、寝顔が見える。写真に収めて、バイト仲間のグループラインに送ろうか。そうしなくとも、私のスマホに眠る思い出のひとコマに…
 思って近づいて、覗き込んで止めた。彼は無防備に眠り続けていた。半開きの口。たまに、ぐず、と鼻を鳴らす。
 私は出来る限り音を立てないように移動して座った。期間限定のポテトチップスを買っていたけど、袋を開ける音も、ポテチを取り出す音も、立てるのを憚られた。持ってきたお茶だけ飲んで、遠巻きに津山くんを見つめていた。
 穏やかな寝息が響く。それに合わせて肩がふくらむように上がり、しぼむように下がる。
 スマホのカメラに収めてしまうのは勿体なかった。誰かと共有なんてもちろん、自分用に形にして残すことすら惜しい。この温度も音も空気も、自分の記憶にしか残せない。
 好きな人だったら、呼吸の音さえも独り占めして手放したくないものなんだな。新しい発見だった。

 津山くんは、同じバイト先の人だ。学年も同じで、京都出身。人懐こい性格で男女問わず好かれている。親しくなると、女の子でも、下の名前で呼ぶような距離感が許される人。私は、1年半一緒に働いても「南さん」だけど、でも、それでいいって、思ってた。この日までは。
 飲み会でもよく笑いよくしゃべる津山くんは、そのとき、中学生時代に、隣の県まで自転車で行くつもりが30分で断念した話でみんなを笑わせた後、ちょっとトイレ、と立ち上がった。それからしばらく、戻ってこない。
 様子見がてら、私もトイレ行こうかな。ちょっと通路ですれ違えて、2人で話せたらいいな。淡い期待に席を立ち、トイレの方向を示す矢印どおりに進んでいたはずだったが。
 開いた重たい扉の先は、非常階段だった。しかもそこには、外に向かって手すりにもたれている人影。慌てて扉を閉めようとした私の動きを、発された声が止めた。
「あれ、南さんやん」
 津山くんだ。招かれた訳でもないのに、ふらふらと彼に近づいていく。今思うと私も酔っていたんだろう。
「どうしたの、こんなところで」
 んー、ちょっと。それだけ言って、津山くんは空を見上げた。辺りの明るさのせいで、星は見えない。けれど、
 「満月…?」
自信がなくて語尾を上げた。津山くんはやわらかく笑う。
「まで、もうちょいやろなぁ」
目線は空のまま。横顔には、なぜかさみしさが滲んでいた。遠くに思いを馳せている、ここにいない人を想っている、ような。そう思うと、胸の中心がきゅっとつままれたように感じた。津山くんまでここにいないような気がしたから。
 「…津山くんの地元でも、同じ景色が見えてるのかな」
だから、こんなことを口走った。気を引きたかったんだと思う。さっき中学時代の話、してたし。津山くんは目を丸くして私を見た。でも何も言わない。
 「あ、唐突にごめん、その」
間違えた。体温が一気に下がって、それからまたぐっと上がる。意味のない手ぶりをしながら、後ずさった。
「邪魔してごめんね。気にしないで」
 非常扉に背中が当たり、曖昧に笑って見せてから、ドアノブを探った。早く立ち去りたい。調子に乗り過ぎた。
 「南さん」
そこに降って来たのは、なんだか改まっているような、少し張りのある声だった。
 彼を見ると、私をじっと見つめた後、ふわりと笑んだ。
ありがとう。関西弁特有のイントネーションで言う。
「一緒にきれいなもん見れて、良かったわ」

 誰にでも言ってるんだよ。あれくらいではうぬぼれない。
 でも、のぼせ上がるのには充分だった。一度でいいから、一晩でいいから、特別な関係になりたい。私にしては過激なその思いは、日増しに強くなっていった。

 次にやって来たバイト先全体の飲み会の日。この前のように、津山くんが席を立ったのを見て、私も立ち上がる。追いかけて声をかけた。
 「津山くん!」
手が震える。心臓の音が大きくて速くて、気持ちだけ先走りそう。津山くんは、普段と同じ笑顔で振り返った。
「南さん。どうしたん?」
息を整える。何度も練習した台詞。自然に口にしないと。
 「…今度、友達と旅行で京都に行くことになったんだけど、津山くんのオススメの場所とかお店とか教えて欲しいなって。一次会が終わった後、2人で話せないかな?」
一息で言い切る。慣れない私が精いっぱい考えた口実。今自分がどんな顔をしているか不安で、視線が落ちてしまう。
 「あ、そうなん?ええよええよー」
津山くんは、軽いノリで快諾してくれた。
 「…良かった、ありがとう」
喜んでいいはずだ。なのに、どこかで失望する自分がいた。やっぱり、こういうのに慣れてる人なんだ。思ってすぐ、慌てて打ち消す。そうあれと誘ったのは他でもない私じゃないか。がっかりする資格なんてない。
 「そしたら、とりあえず連絡先交換しよか」
津山くんの提案に頷いて、手にしていたスマホを出した。
 それから先は、企てた自分でも驚くくらいトントンと話が進んだ。一次会が終わった後、皆と離れた場所で落ち合う。話をしながら、強めのお酒を頼んで酔ったふりをしたら、あっさりとアパートまで送ってくれることになった。
 「この本屋は小さいけど、品揃えが良くて気に入ってる」
「ここの焼きたてパンを朝ご飯にするのが憧れなんだ。いつも起きられないけど」
「飲み会帰りにこのコンビニでよくアイス買ってるの」
何てないことをしゃべりながら、最寄り駅から家までの道を歩く。彼にとってはどうでもいい情報だって分かってたけど、少しでも、彼に何かを刻みつけたかった。

 「俺な、名前『輝也』ていうやんか」
同じ布団の中から、カーテンを少しずらし、窓の外を見上げて津山くんが言った。私の住むアパートは、隣の建物との距離が近い。だから、夜に明るい光が差し込んでも、人工のそれだとしか思えない。なのに、彼の瞳に反射すると、白くやわらかく、空から降ってきたようだった。
 「じいちゃん家の近くに竹藪があってな、ある日じいちゃんが光る竹を見つけて、割った中から生まれてきてん」
津山くんの目元は、茶目っ気を滲ませて笑んでいる。
 「じゃあ、そのうちお迎えが来るんだね」
返した私の声は、ふざけたように弾ませたつもりだったけれど、失敗したみたいだ。その証拠に、津山くんは、せやなぁ、と言いながら体ごと私に向き直り、その腕を私に回した。私はそのまま、彼の胸元に顔をうずめて目を閉じた。

 翌朝、目覚めたら、隣に人のぬくもりはなかった。
やっぱり、ね。そうひとりごちることで、傷つくことを避けようとする。でも上手くいかずに布団の中で丸まった。
 そこに、ガチャリとドアを開く音がした。
 恐る恐る顔を出すと、津山くんが茶色のビニール袋を提げて部屋に入って来た。バターの香ばしい匂い。
 「あ、起きとる?あそこのパン屋で、パン買うてきたで」
確かにどれも旨そうやったわ。そう言いながら、ローテーブルの上にパンを並べていく。クリームパン。カレーパン。ソーセージパン。クロワッサン。返事をしない私に、津山くんが顔を上げる。目が合って、笑った。
「どうしたん?小夜子ちゃん、目がウサギさんみたいやで」

 それから。
それからも、なぜか彼は私の隣にいる。月に帰らないの?と聞いたら、お迎えが来ぉへんからなぁ、なんて笑って。
 もし、本当にお迎えが来るのなら、私はあなたを私のアパートに匿って、窓のシャッターを下ろして、ベランダで一晩中見張っていてもいい。
 それでもきっと時が来たら、あなたはいなくなってしまうのだろう。そんな気がする。そうしたら、私は、あなたとの話に嘘を混ぜてお話にして、お焚き上げする代わりに、ネットの海に流そうと思う。きっとその話は誰かに読まれたり読まれなかったりして、静かに沈んでいくのだ。
 だからこれを読むときには、美味しいクロワッサンを是非お供に、どうぞ。

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