化け提灯

樹莉亜

  その町には、奇妙な生き物と一寸変わった人々が住むという。誰とはなしに、そこは妖町(あやかしまち)と呼ばれていた。

 妖町の傍を流れる堀川を西に行ったところにある橋で、近頃化け提灯が人を脅かしているという。傘屋にその話を持ち込んだのは、橋にほど近い田町の稲荷神に仕える狐であった。なんでも、化け提灯は侍ばかりを選んでいるようで脅かされた侍の中にはやれ化け物退治と躍起になって、稲荷の方まで化け提灯を探しに来る者もいるらしい。狐は甚だ迷惑しているのだと、苛立ち紛れに出された茶を飲み干した。偶さか傘屋に顔を出した又三郎が、件の化け提灯を捕まえる役目を押しつけられたのは、単に適当な侍が他にいなかっただけである。
 仕方なしに彼はその晩、狐の案内でその橋に行ってみることになった。
 上弦の月が西へ傾く宵の口。川向こうの堤は遊郭へと向かう酔客の明かりで賑わっている。橋のこちら側は田圃が広がり、橋を渡って来る者は滅多にない。人気の疎らな橋の上を行ったり来たりすること暫し。橋の袂に上下に揺れる灯りを見つけた。
 よく見れば火袋は破れ、裂けた口のようになっている。中には蝋燭もないのに燃える怪火が瞬いていた。何処がどうなっているのか、火袋の中程から生えているように見える人の片腕が提灯のつるを掴んで持ち上げ、重化の下からは片足が生えている。
 こちらに気づいた化け提灯はぴょんと跳ね、一気に又三郎との間合いを詰めた。
「お前がツジギリかあ〜?」
 おどろおどろしい声を出しながら迫る化け提灯に、又三郎は思わず二、三歩後退る。
「こいつぁ驚いた」
 確かに妖のようだと感心する彼に、化け提灯は尚も言い募る。
「お千代の〜恨み〜」
「生憎と俺は辻斬りじゃあねえが、まさかお前さん辻斬りを探してんのかい?」
 腰を屈めて、ぴょんぴょん跳ねる化け提灯に話しかける。又三郎が動じていないと見て取ったか、化け提灯はさっと後ろに飛び退こうとして、失敗した。こっそり後ろに回り込んだ狐に足を噛みつかれ、転んでしまったのだ。
 転んでも火が消えないところが如何にも妖らしい。
「何しやがんだ、この狐め!」
「そりゃこっちの台詞だよ。あんたのせいでうちの稲荷にまで物騒なお侍が来るんだよ!」
 言い争う化け提灯と狐の間に割って入った又三郎は、化け提灯のつるをひょいと掴んで持ち上げた。
「まぁそういうわけだから、ちょいとお前さん、俺たちと一緒に来ちゃくれねえか?」

 傘屋へと連れ帰った化け提灯は、大蛙とどちらが口が大きいかで競い出し、蛇の目に笑われ、番頭の唐傘に揃って叱られたところで漸く温和しくなった。
「それにしても、なんでまたお侍ばかり脅かすんだい?」
 傘屋の店主であるお美雲が訊ね、又三郎も首を傾げた。
「そういや、『お千代の恨み』とか、言っていたな。そのお千代さんと何か関わりがあるのかい?」
「お千代はおいらの前の持ち主さ……」
 お千代は提灯を作る職人の妻であったという。化け提灯はお千代の夫の家に伝わる古い提灯が付喪神になったものだった。
 夫婦となって数年、お千代の夫は流行病で亡くなってしまう。子供を抱えて寡となった彼女は、昼は茶屋で働き、夜は橋の袂に立って夜鷹となって銭を稼いだ。提灯は夜鷹となったお千代を仄かに照らす相棒であった。
 そんな日々が続いたある夜、いつものように茶屋の仕事を終えて橋へと向かうお千代を凶刃が襲う。理由も判らぬ、突然の出来事であった。後に人の噂を耳にすれば、以前より度々出没しているらしい辻斬りの仕業であったという。
 提灯は、その時初めて足を生やした。付喪神になって意識はあったものの、それまではせいぜいが明かりが長持ちする不思議な提灯という程度であったのが、足を生やし地を蹴って、逃げた。
 逃げて、逃げて、そして気づいた。
 お千代を置いてきてしまった。
 急いで橋まで戻ったものの、そこには誰もおらず、地面に血溜まりだけが残っていた。川縁から垂れた柳の枝に、女物の帯が辛うじて引っかかっていた。
 それが三年前のことである。
「そういや、三、四年前にも辻斬りの噂があったね。まだ捕まってなかったっけ。それにしたって、なんで今頃になって、お侍を脅かして回るんだい?」
「近頃またツジギリって野郎がこの辺に現れたって噂を耳にしてな……」
 お美雲に答えて、提灯は今度こそ辻斬りを見つけてお千代の仇を討ちたいのだと語った。
「旦那。あんたもお侍だ。しかも妖を見ても動じない胆力の持ち主だ。おいらの助太刀をしちゃくれねえか?」
「生憎俺は剣術の腕はからっきしでな」
 悪いが力にはなれないのだと、又三郎が首を振る。
 それに今、噂になっている辻斬りがお千代を手に掛けた者かどうかはわからないのだ。
 膝を曲げて俯く化け提灯に、少し気の毒になった彼は、こう続けた。
「仇討ちの助っ人は兎も角、お千代さんのことは少し探ってみるか」

 又三郎とお美雲は、お千代が働いていたという茶屋に足を運び、当時の様子を聞いてみることにした。お美雲を連れて来たのは、話を聞くには若い娘相手の方が警戒されまいという算段であった。
 茶屋の主人夫婦はお千代のことを覚えていた。気だての良いお千代には足繁く通う常連も付いていたというほどだったそうで、主人夫婦もお千代がいなくなったことを嘆いていた。辻斬りにあったという噂だが、遺体は見つかっておらず、お千代の息子は親戚に引き取られたという。夫婦はお千代がまだどこかで生きているのではと言って力なく笑った。
 次いで大川を渡ってお千代が夜鷹をしていた辺りに行ってはみたものの、こちらはとんと収穫がない。日も暮れかかり、橋の袂で支度をしていた蕎麦屋にダメもとで声をかけた。主人はお千代の名を聞いて、ひどく狼狽えた。
「おじさん、何か知ってるのかい?」
 お美雲の問いかけに、人の良さそうな蕎麦屋は「ここだけの話だよ」と前置きして語り出した。
 お千代は蕎麦屋の常連だった。蕎麦屋はその晩も此処に店を構えていたが、その日現れたお千代はひどい有様で、髪は乱れ帯は解け、頬と背中に刀傷を作り、手には抜き身の脇差しを持っていた。蕎麦屋は急いで彼女を知り合いの医者に連れて行った。背中の傷は見た目ほど深くはなく、話を聞くとお千代を襲った男は浅く切りつけて動けなくなった女を犯してから殺す腹積もりだったようで、お千代の帯を切り裂いてからことに及ぼうとしたところを、必死の抵抗を見せた彼女と揉み合いなり、川に落ちたのだという。お千代が持っていた脇差しの切っ先は血に濡れ、柄には旗本の家紋があった。揉み合った際にお千代が相手の脇差しを奪って刺したのではないか、と蕎麦屋は言った。
「じゃあ、お千代さんは生きてるのかい?」
 蕎麦屋は頷いて、お千代は子を親戚に預け、己は死んだことにして身を隠したらしいと語った。

「そうかい、お千代は生きてたのか」
 橋の袂で話を聞いていた化け提灯がぽつりと呟く。
「お前さんが探してる仇は死んじまったかも知れねえな」
 又三郎の言葉に、化け提灯は火袋の怪火を揺らめかせた。
「よかったよ。ああ、そんならよかった」
 まるで憑物が落ちたような弱々しい呟きと共に火袋の火が消え、ころりと提灯が転がった。そこにはもはやただの破れた提灯しかなかった。
「挨拶もなしに逝っちまうたぁ薄情なやつめ」
 又三郎は提灯を拾い上げ、丁寧に折り畳んで懐へしまうと、妖町の方へと歩き出した。
 見上げると満月に少し足りない月が輝いていた。

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